「特性だから」で教えることを諦めたくない!自閉症娘と歩んだ日々に思うこと
監修:森 しほ
ゆうメンタル・スキンクリニック理事
小さな時から、苦手なことがいくつかあった中学3年生のASD(自閉スペクトラム症)娘。
広汎性発達障害(ASD/自閉スペクトラム症)の娘は、中学3年生。小さな時から、苦手なことがいくつかあります。
2、3歳の頃は会話がほとんど成り立たず、こちらが言葉で説明しても理解することが難しいため、娘とコミュニケーションを取ることに苦戦しました。
そのため、娘がどう感じているかをどうすれば理解できるか……こちら側の思いや、ルールをどうすれば分かってもらうか……本で調べたり、専門家に聞いたりしながら、日々試行錯誤して伝える方法を探しながら、娘と向き合ってきました。
そんな状態だった娘も、少しずつではありますが、成長してくれ、できなかったことを一つひとつクリアしていきました。今回のコラムでは、私が娘と一緒に歩んできた中で、思ったことを書きたいと思います。
娘は生まれた時、体重は標準だったのですが、生まれてからはとても小柄でした。
そのため、小学2年生ぐらいまで、同級生より年下に見られることが多く、特性上できないことや難しいことがあっても、幼く見られているおかげで、目立つことはありませんでした。私自身も、その見た目の幼さに焦る気持ちもあまりなく、助かっていた部分もありました。
そんな時期、当時かかりつけだった発達外来の先生に、こんなことを言われました。
私はこの時、周りに見られたくないから叱る……なんて、そんな日は来ないと思っていました。
小学3年生になった娘を見て、初めて感じた「恥ずかしい」という感覚
しかし、小学3年生ぐらいから、急激に体が大きくなった娘。
見た目の大きさと、やること、しゃべり方、立ち振る舞いに違和感が出るようになり、今まで以上に娘の「変わっている子」感が目立ってくるようになりました。この時、私は「恥ずかしい」という感覚が初めて分かりました。
しかし、以前かかりつけ医の先生から言われていた言葉のおかげで、”私が恥ずかしいから”という基準で娘の行動を叱らないように、(100%ではありませんでしたが……)心がけることができていました。
娘を注意するのは、その行動が、周りに迷惑だった時だけ。狭い場所などで周りに人がいるのに(精神的に落ち着くからと言って)くるくる回って、周りの人にぶつかりそうになったりして迷惑をかけたときや、大きな声で泣いて、奇声をあげ、周りの人がうるさいと感じるような状況になった時でした。
この時は、はたから見たら変な行動でも、それが周りに迷惑をかけていない場合や、迷惑をかける対象がいない、家の中や一人のときは、できる限り見守ろうと思っていました。
しかし、さらに娘が成長し、小学校高学年になった時、別の問題が発生しました。それは、特性がある娘に、世間一般的の常識をどの程度教えるかということ。
たとえば、「人が嫌がることをしない」というのは保育園、幼稚園でも教わることです。「叩かない」「押さない」「人のものを勝手に取らない」などは動きメインなので、シンプルで分かりやすいですし、先生からも指導があります。しかし、動きではなく、相手の反応から考える場合、娘は人の気持ちを想像するのが苦手なので、途端に難しくなります。
人が嫌がっているかどうかが分からないので、小学校低学年までは「泣いていたら嫌だということ」「やめてと言われたら嫌がっている」といったパターンを教えていました。
小学校高学年~中学生になると、今度は「人が嫌がる」が目に見て分からないという場面も多くなり、判断の仕方が高度になってきます。
この年齢になってくると、相手が嫌がったり、困ったりしていても、我慢したり、隠したりするので、嫌がっている状況が目で見ても、分からなくなってきます。嫌がっていなかったと思い、突き進んでしまうと、あとから実は嫌がっていて、困らせていたんだと分かったりすることもあります。
また「相手の気持ちを察して……」や「一般常識的によくない……」や「周りの人の表情や空気を読んで……」などの言葉も世間的に増え、「良いこと」と「悪いこと」の2つではなく、「どちらとも言えない」や「状況から見て判断」というようなパターンも出てます。
娘は、相手の気持ちを想像したり、空気を読んだり、先まわりして動くといったことがとても苦手です。特性上、周りと同じように行動するのは難しいと、分かっています。
しかし、苦手だからといって教えなくていいのか……?
特性上「難しい」ことに対して、親としてどう対応するかという部分には、本当に頭をかかえました。空気を読むことが苦手な娘に対して、私たちが空気を読むことを教えることは、無謀なことであり、やるべきではないのか……。
娘の発達障害が分かった時、「このままの娘でいい!長所を伸ばしていこう!苦手は苦手として受け入れていこう!」と思いました。
しかし……「苦手だから教えない」というのは、違う気がすると感じました。
そう思った私たちは、娘にいろいろなことを教えました。
「なんでできないの!?」という言い方はせず、「理解しがたいかもしれないけど、世間の人はこう感じる」ということや、「なんでそんなことしないといけないの?ということも、すごく重要になることもある」と、実践をふまえて教えていきました。
この場合、私たちが教えなければ、娘はこの先、同じ場面に遭遇しても、泣いている子に対して声をかけることはないでしょう。悪気がなかったとしても、そのことを娘に教えなかったのは私たち。知らなくて無視してしまって、将来大人になった娘が責められたら?あぁ、教えておくべきだったと私たちは思うはずです。
私たちはそうやって、一つひとつのことを教えてきましたが、「難しいことをさせているから酷だ」とか「それは難しいから教える必要はない」「教えても無理だと思う」と言われることがあります。
しかし、私たちは娘に、苦手なことができるように強く求めたり、できなかったときに罰を与えたことはありません。
私たちはいつも「苦手なのは分かっているよ。でも、あなたが大人になった時、これができないと困ったりすることもあるかもしれない。だからいろんな方法を使って、まぁなんとかこなせるまでもっていこうね」「苦手度100だったとしたら、苦手度80とかまでにしよう」と話しています。
娘の発達障害は受け入れていますし、発達障害がある娘に対して定型発達のように振舞ってほしいとも思いません。でも、発達障害があっても、教えることはやめずにいたいと思っています。
苦手だった「察する」ことも、少しずつできるようになってきた娘
実際、娘は苦手である「察する」という部分も、少しずつできるようになってきました。
食事のテーブルが汚れていた時、「拭いて」という声かけをしなければ、娘は拭くことは絶対しませんでした。しかし、小学4年生ぐらいから、毎日毎日「テーブルが汚れていたら、言われなくても拭こう」という声かけを続けた結果、2年後には「テーブル拭く?」と聞いてくれたり、黙ってテーブルを拭いてくれるようになりました。
乾いた洗濯物が山になって置いてあっても、娘は特に気にせず、またいでいくような状態でしたが、「手が空いてる人は、畳もう。みんな協力するんだよ。」という声かけを3年ほど続けると、洗濯物を見つけたら黙って畳むようになりました。
あーさんに、声かけをするときは、スモールステップを心がけています。たとえば、食事の支度の際、みんなが慌ただしく動いていても、一人「我関せず」だった場合……
まずは「食事の支度の時間になったらリビングに来る」を教えます(何をすればいいか気がつきやすくする)。リビングに来ることができるようになったら、その次に「箸を並べる」を教えます。それができるようになったら「お皿を並べる」、その次は「料理を運ぶ」……。
こうして娘は、実際に察して動いているわけではありませんが、自分以外の人のために、先に動いて助けるということが可能になっていきました。
娘と一緒に歩んできた日々で思うことは……
私たちが娘と一緒に歩んできた日々で思うのは、「特性があるから、できるようになるのは難しい」とか「教えなくていい」ということは、言わないでほしいということ。今はできないことでも、2年……5年……10年先は分からないし、難しいことを理解していても、私たちは教えることはやめたくないのです。
もちろん、発達障害の度合いや、年齢、いろいろな子がいるので、全ての子がそうするべきだとは思いません。娘の状態を見つつ、どこまでならできるかと、夫婦で考えて取り組んでいます。これは難しいからもう少し段階を踏もうとか、そういうことを考えながら進めていくのがわが家流です。
今まで諦めずに教え続けたことが、結果、娘の成長につながったのでこれからも、一つひとつゆっくりと向き合い、続けていきたいと思っています。
執筆/SAKURA
(監修:森先生より)
SAKURAさん、スモールステップでお子さんの成長を支える工夫をされてきた体験談をありがとうございます。「苦手だから教えないのではなくゆっくりでも一歩ずつ進もう」という考え方で、お子さんが少しずつ新しいことをできるようになったのですね。
さて、発達の偏りのあるお子さんは、他者の気持ちや意図を理解すること、表情や空気を読むことが難しい場合があります。特定の分野での集中力や記憶力や細部への注意など、優れた強みを持つことも多いのですが、その一方で、柔軟な思考や他者との相互作用が難しい場合があります。これが社会生活での摩擦や誤解を生んでしまうこともあるのです。
SAKURAさんが感じられた、「周囲とのギャップ」や「変わっている子」と見られる状況は、この特性によるものと考えられます。
お子さんを支える際には、個々の特性に合わせたアプローチが重要です。医療機関や療育の支援機関と連携し、娘さんの特性や発達段階に合わせた支援計画を立てるといいのではないでしょうか。
ご家庭でSAKURAさんが実践されている、スモールステップや具体的な声かけは、大変素晴らしいですね。「テーブルを拭く」といった具体的な行動を習慣化させる声かけや、実践してくれたら「できたね!」「助かるよ!」と褒めることで、お子さんは達成感を得られて、ポジティブな強化がされます。発達の偏りの傾向のあるお子さんは、ルーティンやスケジュールを明確にすることで、安心して過ごせるようになります。視覚的なスケジュール表やタイマーを使うといいですね。また、「なぜそれをするのか」を理解すると行動に移しやすいということもありますので、たとえば「テーブルを拭くと、みんなが気持ちよくご飯を食べられるよ」と理由を伝えるといったことも有効です。
SAKURAさんが「苦手度100を80に」と表現しているように、完璧を目指さず、お子さんのペースで少しずつ進む姿勢が重要です。焦らず見守ることで、お子さんは自信を持って成長することができるのではないでしょうか。これからも、お子さんのペースに寄り添いながら、一歩ずつ進む過程を楽しんでくださいね。
(コラム内の障害名表記について)
コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。
神経発達症
発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。
知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。
※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。
ASD(自閉スペクトラム症)
自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。