なぜ元プロ野球投手・佐野慈紀は、右腕の切断手術で「ホッとした」のか?
野村邦丸アナウンサーがパーソナリティを務めるラジオ番組『くにまる食堂』(文化放送・月曜日~金曜日9〜13時) 9月16日の放送は、髪が薄いことをネタにした『ピッカリ投法』が有名な元近鉄バファローズ投手の佐野慈紀氏が登場。文化放送の坂口愛美アナウンサーとともに、5月に公表した右腕の切断手術についてお話を伺った。
邦丸「今、半袖のTシャツをお召しになって、左手を使っていろんなジェスチャーをしてくれていますけど、右腕がどの辺からないんですか」
佐野「肘より上ですね」
邦丸「往年の佐野慈紀を知っている人間からすると、なんか違和感があるわけなんだけど、切断したのは今年5月でしたっけ」
佐野「5月1日です」
邦丸「腕を切断する前、ずっと右投げだった佐野慈紀選手が、右手人差し指と中指を切断したんですよね。特にピッチャーをやっていた人間からすると、これは命といってもいいと思うんですよ。この指で操るわけでしょ。いくら現役から離れていたといっても…、どうでしたか」
佐野「いや~…、ショックだったですね。指がなくなるっていうのは。ただその時に、天秤にかけられたのは命だったので。正直、死ぬことへの恐怖の方が大きかったですね」
邦丸「その前は、足の指も切断されていますね」
佐野「足の時も結構脅されていて、結局足の指だけ切断したんです。でも、感染はいつどこに飛び火するか分からないと言われていたので、利き腕の、それも指先がなくなるっていうのは、後々考えたら、腕がなくなるよりショックだったと思います」
坂口「感染症の悪化ということなんですけど、最初は、指先の本当にちょっとした傷口だったんですよね」
佐野「本当にちっちゃい、誰にでもできるようなかさぶたで、一気に広がっていったんですね。だから瞬く間ですよ。もう1週間かからない。最初、1本の指に膿が溜まって洗浄するじゃないですか。そしたら、もう2~3日で腫れてきて。また、うつってるなとなって。で、切断する事になって。これで感染が落ち着くかなと思ったら、今度は手の甲までどんどん広がって。その期間も1週間ぐらいですね。いわゆる人食いバクテリアと同じだと思います」
邦丸「怖いね…」
佐野「もう、いたちごっこなんですよ。膿んでくるので洗って取るんですけど、次の日にはまた溜まってくるんですよ。それの繰り返しで。だから正直、腕を切るって言われたときは、その痛みがなくなるんだったら、そっちの方がいいとホッとしました」
邦丸「そんなに痛いものなんですか」
佐野「めちゃくちゃ痛かったです。見栄っ張りで強がりなので、「絶対泣かんとこ」と思って我慢したんですけど、麻酔も効かないし。でも最終的に我慢できなくて、先生の前で「一言いっていいですか」「いいですよ」「…痛い~!!」とか言って」
邦丸「近鉄バファローズでは中継ぎピッチャーをずっとやってて。確か中継ぎピッチャーで初めての1億円プレーヤーですよね。それだけの存在だった佐野慈紀が右腕を落とす。自分の右腕がないと気づいた手術の後はどんな感じだったんです」
佐野「違和感というよりも、全身麻酔だったので、起き上がったときに自分がどういう状況に置かれているのか分からない。ちょっとパニクったんですよね。その後、麻酔が切れる中で、いろんなことが頭の中に蘇ってくるじゃないですか。でも、まだ自分では腕が付いているという錯覚に陥るわけですよ。で、徐々にその気持ちが落ち着いてきて、集中治療室から一般病棟に戻る時に、初めて「ああ、やっぱり無いんだな」って感じましたね」
邦丸「確かに腕は失ってらっしゃるんだけど、佐野慈紀っていうオーラはそのまま残ってますね」
佐野「ありがとうございます。でも、全部受け入れたの?って言われたら、全く受け入れてないです。受け入れてないですけど、前を向くしかないので。障害を背負ったからと言って引っ込み思案になる必要もないし、別に人間が変わるわけじゃないので、アホなやつはアホのままでいいかなと。そう思っているつもりです」