内面のリズム、色彩の呼吸 ― 「難波田龍起」(レポート)
日本の抽象絵画のパイオニアとして知られる難波田龍起(1905-1997)。高村光太郎との出会いをきっかけに画業を志し、戦後には独自の道を切り開いて抽象表現を追求しました。その作品は、日本における抽象絵画の到達点として高く評価されています。
今年は難波田の生誕120年。20年ぶりとなる本格的な回顧展が、東京オペラシティアートギャラリーで開催中です。
東京オペラシティ アートギャラリー「難波田龍起」会場入口
難波田は高村光太郎の思想に影響を受け、「内的生命」をとらえる芸術を目指しました。高村が重視した「トーン」は、龍起にとって生涯の探求テーマとなります。
1930年代には、古代ギリシア彫刻への憧れを主題にした作品を制作。そこには、近代的な不安と古代への思慕が交差し、詩的なイメージが立ち上がっています。
第1章 初期作品と古代憧憬
戦後、復興する東京の風景に刺激を受けた龍起は、抽象表現へと踏み出します。古代への関心から現代の現実へと視点を移し、新たな制作に挑みました。
幾何学的な冷たさとは一線を画し、人間性と詩情を保った表現を模索。自然や宇宙といったイメージも、作品のなかに溶け込んでいきました。
第2章 戦後の新しい一歩:抽象への接近
1960年代、ヨーロッパやアメリカで展開された新しい抽象「アンフォルメル」に触れた龍起は、ドリッピングやオールオーバーといった技法を取り入れます。
しかし、物質そのものに頼る表現には慎重で、精神性を重んじました。内なる律動や人間の声を求め、破壊と再生のプロセスを表現に転化していきます。
第3章 アンフォルメルとの出会い
1970年代に入ると、龍起は筆による描画へと回帰。線と色彩が密接に連動し、画面に統一感と秩序が生まれました。
人影や建築物などを想起させる具象的な形もあらわれ、古代への憧れや詩的なイマジネーションが再び表面化します。
第4章 形象とポエジー:独自の「抽象」へ
1988年に制作された水彩連作《石窟の時間》では、鉱物や結晶のような硬質なイメージが広がります。連作は、日記のように日々の内面を綴ったものとされています。
この表現は、ドイツ・ロマン主義の詩人ノヴァーリスの幻想とも共鳴します。思想と詩情を併せ持つ、龍起ならではの抽象世界がそこに広がります。
第5章 石窟の時間
90歳近くになっても制作意欲は衰えず、晩年にはあらたな「爆発」が訪れます。モネの《睡蓮》から刺激を受け、《生の記録》の制作へとつながりました。
色彩と線は空間と一体化し、生命の誕生そのものを感じさせるような表現へと結実します。画家のまなざしは、限りない生命の流れを追い続けていました。
第6章 晩年の「爆発」へ
激動の時代を生き抜き、内なる声に耳を傾けながら詩的な抽象表現を追い求めた難波田龍起。日本の近代絵画史における抽象表現の豊かさと深さを再認識させてくれる展覧会です。
なお、本展の会場である東京オペラシティアートギャラリーが所蔵する「寺田コレクション」は、寄贈者である寺田小太郎氏が難波田作品との出会いを契機に本格的な蒐集を始め、「東洋的抽象」というコンセプトを掲げて構築したものです。難波田龍起はその中核をなす存在であり、今回の展覧会は、同ギャラリーと難波田芸術との深い結びつきを改めて実感させる機会ともなっています。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2025年7月11日 ]