高田馬場はいかにして“ガチ中華”タウンになったのか? 中国の厳しい競争社会が生み出した留学生の街
早稲田大学をはじめ、大学や専門学校、予備校が集まる日本有数の学生街に、いつ頃から、どんな理由で“ガチ中華”が増えていったのか。在日中国人の動向に詳しいおふたりに、中国茶館『虫二(ちゅうじ)』にてお話を伺った。
お話を伺ったのは……
中村正人さん
写真・右。日本で暮らす中国語圏の人たちが供する“ガチ中華”を楽しむSNSコミュニティ「東京ディープチャイナ研究会」代表。
謝霄然(シェ・シャオラン)さん
2014年に来日。早稲田大学大学院日本語教育研究科卒。中国茶カフェ『甘露』『虫二』のほか、日本語教室も運営。
東京における“ガチ中華”の変遷
そもそも“ガチ中華”が生まれたのはいつくらいなのだろう、中村さんは2015年がひとつのターニングポイントではないかと話す。
「池袋に『海底撈(ハイディラオ)』ができたことですよね。おやっと思った」
中国最大の火鍋チェーンだ。客層として日本人よりも中国人を強く意識した店が、このあたりから池袋に増え始めた。謝さんが言う。
「もともと池袋は、80〜90年代に来日した中国人が集う街だったんですよね」
そんな人々に向けて食材を売る『友誼商店』『陽光城』が92年にオープン。すると「池袋が懐かしい食材を求める中国人の集まる場所になっていった」と中村さん。やがて在日中国人向けのビジネスがどんどん立ち上がった。新聞社、両替、不動産、旅行会社……そして飲食店だ。
これらの店は中国人が本土でも日本国内でも経済力をつけるにつれ、日本人マーケットを意識しない本場のままの味と店構えを売りにするようになり、やがて中国のチェーン店まで上陸してきたというわけだ。
また、池袋まで埼京線で20分で出られて、家賃の安い西川口に住む中国人が増え、飲食店も次々に開いた。同じように安く暮らせる東京東部に住んでいる中国人のターミナルでもある上野でも、本格的な飲食店が増えていく。
こうした店を日本人が“ガチ中華”と呼び注目するようになったのは、「2021年くらいでは」と中村さんは言う。
中国の流行が最初にやってくる街
池袋が「発火点」となった“ガチ中華”だが、高田馬場は留学生が原動力になったとふたりは口をそろえる。謝さんは「2018年くらいから中国人向けの塾や予備校が増えてきたんですよ」と振り返る。日本の大学院進学を目指す中国人が、受験勉強をする場所だ。
「中国は人口も多いし、景気があまり良くないこともあって、高学歴でも就職先がない。だから海外の大学院に行こうという人が多いんです。競争や努力がどんどんインフレしているんですよ」
より良い就職先が見つかるのではないか、人生が開けるのではないかと親が子供を海外に送り出す。とりわけ費用の面でもリーズナブルな日本は人気だ。そんな学生たちが学ぶ塾や予備校は、なぜ高田馬場に増えたのだろう。
「早稲田大学の影響だと思います。私もですが中国人留学生が多いし、李大釗(リーターチャオ=中国共産党創設に関わった)とか有名な人も学んでますしね」
こうした土地柄もあって昔から日本語学校が多く、周辺には留学生寮も点在し、中国人も含む若い外国人が行き交う街でもあったのだ。いまは日本語学校で言葉を学びつつ、塾や予備校で受験勉強をする「ダブルスクール」の中国人が目立つ。そんな若者が授業の合間におなかを満たす店が続々と出てきて、高田馬場もまた“ガチ中華”の街となった。
だからここには若者の求める店があるのだと中村さんは言う。
「いま中国で流行しているものが、日本でいちばん最初に来るのが高田馬場だと言われているんです。人気のチェーン店とかね。郷土料理というより、創作料理を出す店も増えました」
「それとね、昼どきはお弁当を売っている店も多い。持ち帰りはどこでもできるし、買ってきて学校で食べる。“学食”的な感じなんですよ、高田馬場の店は。ご飯と総菜が食べ放題で、昼どきは留学生で大混雑の店もある」と謝さんが話すと、中村さんは「いわゆる“ひとり飯”の店もかなりある」と返す。
「留学生に教えてもらった『小食堂』みたいに、ひとり用の定食が人気なんです。基本的に中国料理はみんなで食べるものだから、ああいう店は池袋や上野ではあまり見ないですね」
言われてみれば麻辣湯(マーラータン)や米粉の店、煮込みチキンの『楊銘宇 黄燜鶏米飯(ヨウメイウファンメンジーミイファン)』など、どこか日本のチェーン店のような、ひとりでサッと食べていくスタイルの店が高田馬場には多い。中華バーガーともいわれる肉夾馍(ロージャーモー)のようなファストフード、中華スイーツの店も目にする。
「それに新陳代謝が激しいですね」と謝さん。「新しい店ができたと思ったらすぐに潰(つぶ)れたり」。
そうした情報は、中国版インスタグラムとも呼ばれるSNS「小紅書(シャオホンシュ―=RED)」で共有される。
「僕のまわりの“ガチ中華”ウォッチャーもみんな小紅書で情報を集めてますね」と、中村さんも利用しているとか。
そして留学生は自炊をあまりしないので、中華食材店が少ないのも高田馬場の特徴だろう。
謝さんが思わず涙した店とは?
謝さんが早稲田大学で学びつつ、この街で暮らし始めた2017年はわずかだった“ガチ中華”の店は、いまや50軒以上にまで増えた。そんな高田馬場を、中村さんは「中国社会の変化がそのまま見られる街」と評する。
一方、謝さんは「常連がいないんですよね」とこぼす。留学生はどんどん入れ替わる。街に根づいて、長年ずっと通ってくれる人は少ない。それが経営の難しさにも、新陳代謝の早さにもつながる。
「うーん、また卒業の季節かあ、なんて愚痴も店の人からは聞きます」
そう話す謝さんに、おすすめの店を教えてもらった。
「湖南料理はどこも本格的。『内蒙人家(ネイモンジンカ)』は予約が取りづらいけど羊のスープがおいしい。それとね、私は日本に来たとき最初は交換留学で鹿児島の学校に2年間いたんです。向こうには“ガチ中華”がなくて、東京に来て初めて行った店が『蒙古肉餅(モウコロウピン)』でした。あそこの肉餅を食べたとき、懐かしくておいしくて、泣いちゃった」
高田馬場はこんな思い出を、留学生ひとりひとりが胸に抱えている街なのだ。
工夫を凝らしたお茶請けで中国茶のひと時を『虫二』
謝さんと日本人の向井直也さんが共同経営する中国茶館。路地の奥にたたずむ知る人ぞ知る隠れ家的な店。季節ごとに替わるお菓子とお椀のほか、果籃(ナッツや果物)とともに中国各地の珍しい高級茶を楽しめる。同系列の『甘露』はカジュアルなカフェで、中国文化に興味を持つ日本人が訪れる。謝さんの中国語教室も開催されている。
虫二(ちゅうじ)
住所:東京都新宿区高田馬場2-14-5/営業時間:11:00~18:00/定休日:月・火・木/アクセス:JR・私鉄・地下鉄高田馬場駅から徒歩5分
取材・文=室橋裕和 撮影=泉田真人
『散歩の達人』2025年6月号より
室橋裕和
ライター
1974年生まれ。新大久保在住。週刊誌記者を経てタイに移住。現地発の日本語情報誌に在籍し、10年にわたりタイや周辺国を取材する。帰国後はアジア専門のライター、編集者として活動。おもな著書は『ルポ新大久保』(辰巳出版)、『日本の異国』(晶文社)、『カレー移民の謎』(集英社新書)。