新宿ミロードに丸の内TOEI、日比谷野音……2025年秋までに別れを告げた風景たち【東京さよならアルバム】
日々、街の表情が大きく変化する東京。2006年、私はふと思い立って、消えていく風景を写真に収めることにしました。「消えたものはもう戻らない。みんながこれを見て懐かしく感じてくれたらうれしいな」とそれくらいの気持ちで始めた趣味でした。そんな、東京から消えていった風景を集めた「東京さよならアルバム」。今回は第23弾として、2025年3~9月に別れを告げた風景を紹介します。
2025年3月 新宿「新宿ミロード」
大きく生まれ変わる新宿
2月の「新宿アルタ」に続いて、新宿駅南口直結の商業施設「新宿ミロード」が、3月16日の日曜日をもって閉館した。小田急電鉄のグループ会社が運営し、1984年10月オープン。10代から20代の若年層向けの衣料品店や飲食店が入り、多くの若者に親しまれたが、新宿駅周辺の再開発に伴い、40年余の歴史を閉じることになった。
小田急線の新宿駅真上にあり、入り口が駅構内からか、サザンテラス側のデッキからかなどで、入るのに分かりにくかったが、20店以上の飲食店があり「食」が充実していた。西口と南口をつなぐ「モザイク通り」と共に新宿西口、南口の繁栄に貢献した。そのモザイク通りも2023年に営業を終了し、「ミロード」も閉館後解体され、2029年度までに新たな商業施設が生まれる予定である。「小田急百貨店新宿店」、「新宿アルタ」、そして「新宿ミロード」と、新宿も大きく生まれ変わることになる。
2025年4月 京橋~汐留「東京高速道路(KK線)」
銀座のおなじみの光景
京橋-汐留間のわずか2kmだが、銀座の中心部などを通る首都高速の一部的存在だった東京高速道路KK線が4月5日に廃止になった。ここは首都高と一体なのに経営は別会社、最高速度も40km/h、そしてこの区間は無料だった。完成したのも1959年と、最初の首都高速より3年も早い、東京最初の高速道路だった。両端で首都高環状線と、西銀座ジャンクションで首都高八重洲線と接続している。この線を使うと、浜崎橋と竹橋の間を、交通量の多い江戸橋ジャンクションを使わず短絡できることもあって重宝された。
廃止の原因は、日本橋付近の首都高地下化に伴い、この部分も地下化することになるからだという。この道路の下には、銀座コリドー街や『銀座インズ』などがあり、銀座の中心部を通る景色としておなじみである。
銀座の景色を楽しみながら、新幹線や電車と並走し、ビルの間を走る快適な道路だった。しかもいつもすいていて快適なドライブを楽しめた。この跡地は歩行者用の遊歩道になり、ニューヨークのハイラインのように新たな東京の名所として生まれ変わる計画である。4月後半にはウォークイベントも行われた。
2025年4月 六本木「俳優座劇場」
3500本以上の作品を上演
新劇の殿堂として知られた六本木の「俳優座劇場」が、4月末日閉館した。1954年に開館、1980年に建て替えられ現在のビルの中の劇場となった。開館以来71年間、3500本以上の作品が上演され、俳優の息遣いが感じられる劇場として人気を博したが、老朽化などのため閉館することになった。最後の作品「嵐 THE TEMPEST」は、シェイクスピア最後の作品といわれるファンタジー作品で、全日完売、有終の美を飾るのにふさわしい演目となり4月19日の千秋楽で幕を降ろした。
六本木の交差点からもすぐ、1階にはバーもあり多くの人に親しまれた劇場でもあった。このわずか3カ月後の7月、この劇場は『YOSHIMOTO ROPPONGI THEATER』という吉本興業の劇場にリニューアルして営業を始めている。
2025年7月 銀座「丸の内TOEI」
東映最後の直営館、65年の歴史に幕
東宝、松竹とともに「3大メジャー」の一角である映画会社、東映の本社ビル「東映会館」が老朽化などから再開発され、東映直営映画館「丸の内TOEI」が7月27日閉館した。本社機能も京橋に移転した。1960年から65年間、東映直営の映画館であると同時に大手映画会社最後の直営館でもあった。文字通り日本の映画史、エンタメ史を彩ってきた映画館であり、一つの時代の終わりである。
1960年、大川橋蔵主演の海洋時代劇スペクタクル『海賊八幡船』がこけら落とし、以来、『網走番外地』、『昭和残侠伝』などの任侠映画、のちのスタジオジブリにつながる東映動画、70年代は、『仁義なき戦い』などの実録路線、『さそり』、『不良番長』、『トラック野郎』などのシリーズもの、80年以降は、『二百三高地』、『セーラー服と機関銃』、『極道の妻たち』シリーズ、『あぶない刑事』シリーズ、『天と地と』、『失楽園』、『鉄道員(ぽっぽや)』、などの話題作、近年は『エヴァンゲリオン』、『ワンピース』、『スラムダンク』などの大ヒットアニメ、まさにきら星のごとき作品群を上映してきた。しかしシネコンの台頭や合理化などで直営館は次々と姿を消し、映画黄金時代を彷彿させる最後の灯も消えようとしている。2029年に跡地は商業施設として生まれ変わるらしい。
ラストは「さよなら丸の内TOEI」と題して5月から7月27日まで80本の作品を上映、最終日27日は、『動乱』、『鉄道員(ぽっぽや)』、『男たちの大和』を上映。私も50年間さまざまな思い出があるので、『宇宙からのメッセージ』と、『女囚701号さそり』、『鉄道員(ぽっぽや)』を観にいって別れと感謝を告げてきた。
2025年9月 日比谷「日比谷野音(日比谷公園大音楽堂)」
尾崎豊にキャンディーズ……伝説を残してきた音楽の聖地
大正12年(1923)の開設以来、100年以上数々のコンサート、イベントを催してきた「日比谷野音」が、2025年10月より建て替え再整備工事のため、休館となった。そのため今の野音は9月いっぱいで営業を終了し、今後新たな「野音」に生まれ変わる。
大正12年(1923)、日本初の本格的な野外音楽堂として開設されたが、戦争で一時休館したのち、1954年に2代目の「野音」に変わり、ロック、フォークのコンサート会場として盛んに利用された。1969年、10円コンサートという初のロックイベントを行い、さらにキャロルの解散コンサートやキャンディーズの解散宣言などの伝説が生まれた。
1983年現在の3代目の「野音」となり、尾崎豊のステージ飛び降り事件や、現在も続く女性ミュージシャンのみによる日本初のロックフェス「NAONのYAON」など、日本の音楽発展に欠かせない音楽の「聖地」として特別な存在となっていった。ラフィンノーズの雑踏事故といった悲しい事故もあったが、アーティストの登竜門としての役割を果たし、多くのアーティストがこの舞台に立つ聖地となった。
私もここで、「ロックが生まれた日」と「NAONのYAON]などのイベントを収録して放送した。観客としても70年代のフォークのコンサートから、最近では元・キャンディーズの伊藤蘭さんの2021年のライブまで、50年にわたってたびたび訪れたが、都会の真ん中で緑に囲まれたライブは、解放感にあふれ、ここだけの独特な空気に包まれていた。特に夕暮れから夜への変化、ライトの美しさなどは忘れられない。
9月23日には、「野音オープンデー」として、最後に無料で一般開放され多くの音楽ファンが訪れた。多くのアーティストが立った舞台に立ち、楽屋にも入れることができた(写真はオープンデーの様子です)。南こうせつやCharなどの楽器や衣装も展示され多くのファンが足をとめていた。現在の「野音」最後のコンサートは、9月27日にChar、28日のエレファントカシマシがラスト公演となった。今の野音は消えてゆくが、「野音」の歴史は新しいページを迎え、伝説は続いてゆくだろう。
写真・文=齋藤 薫