24年ぶりの同窓会で気づいた、“幸せな人生”の条件
中学校の同窓会に出た。
僕はいま39歳なのだが、中学校を卒業してから24年は同級生とほぼ連絡を取っていなかった。
果たして24年ぶりに同級生と出会うと、どういう感情が沸き起こるのかが気になり出席してみたのだけど、これがなかなか得難い不思議な体験であった。
何が面白かったかというと、記憶の中にある子供の面影を残した姿の中年が目の前にいるという部分であった。
それまでは、人間は子供から大人に成長する過程で、その人の顔は色々と変化していくものだと思い込んでいたのだが、改めて24年ぶりに会った同級生の顔は、根っこの部分が全然変わっていなかった。
これまでの人生において、僕は常に先に先に行くことばかりを考え続けていた。必死になって医大に入り、死ぬ気で医業を身に着け、生き急ぐように美食に高級ワイン、サウナやフルマラソンに瞑想や絶食と、常に己を成長させ続ける事ばかりにのみ夢中になっていた。
しかし24年たって地元の公立中学校の面々と会って、僕はどこか遠くに行っているつもりだったのに、結局は東京という街の小さな地元コミュニティーの中に懐かしさと共に回帰したがっている事に気がついて、正直ものすごく驚いてしまった。
子供が生まれると、街に根付く感覚が生まれる
最近になって子供が小学生になったのだが、子供に付き添って学校の登校に出かけたり、あるいは子供繋がりで親同士の関係が生まれたりするにつれ、自分が街に根付くような不思議な感覚を得るようになった。
これまでも色々な街に住み、その空気のようなものを肌で摂取してはいたのだが、街から受け入れられるような感覚が得られたのは生まれて始めてだった。
今までは住んでいる場所はあくまで仕事やら遊びに行く為の宿のようなものだとしか思わなかったのだが、子供が生まれてからというものの、自分が街に取り込まれ、地域社会の一員としての自覚のようなものが生まれたのである。
この経験を通じて地元民のような感覚に目覚めたという事もあるのだろうが、久方ぶりに中学校の同級生と出会い、自分自身に地縁のようなものが内在していた事が、妙に嬉しかった。
いろいろあったけど、必死に生き抜いた
言葉にすると陳腐な表現になってしまうが、公立中学校はまさに多様性の宝庫であった。
そこには医者やら弁護士のようなのもいれば、独立してクリエイターのようなものをやっている人間もいた。他にも鍼灸師がいたり、店舗開発をやっている人間がいたりと、驚くほどに各々がバラバラな人生を歩んでいた。
中学校の頃に僕からみてイケイケそうだった人間が、中年になって妙に内省的になっていたり、逆に全然変わっていないどころか、より個性が先鋭化されていた人もいた。ちなみに僕は「よくわからないけど鼻水ばっか垂らしてたイメージしかない」けど、一体どうしたんだ?という評価を頂いた。
人間の発達というのは誠に面白いものだ。僕自身、昔に思い描いていたように人生は全然進んではいないし、おそらく24年ぶりに出会った同級生達も、色々な環境に転がされ続けて、今に至ったのだろう。
結局、最後の最後には、自分でどうにか自分の人生をやるしかない。親や周りの人間はその手助けをする事はできるかもしれないが、親や周りの人間が子供をぶっ叩いて矯正し、当人の意思を捻じ曲げたとしても、行き着ける場所には限界がある。
僕は24年ぶりに出会った同級生が、キチンと自分の言葉で自分の人生を語ってくれていた事がとても嬉しかった。ああみんな、あれから24年間、頑張って生きたんだ。
「毒親」の正体は、他人の人生を奪う人
毒親という単語がある。僕はこの言葉が何となくドメドメしい色合いをしているなとは思うものの、イマイチその意味のようなものが掴めずにいた。
しかし最近、何から何まで自分の我が通らなければ他人にこっぴどく当たり続け、一切の裁量を部下に与えないという管理職の元で働く機会があり、ようやく毒親という存在の本質がわかるようになった。
毒親とは何か?それは権力を使って、他人の人生を奪う存在である。
仕事にしろ家庭にしろ、上役の人間はつい「自分の言う通りに部下(子供)が動けば、全部うまくいく」という思想を持ちがちだ。
僕自身は色々あって親から医者になれと強要され、色々あって3周ぐらい思想が回転した結果として医者になったのだが、恐らくなのだけど親は「医者にさえなれば人生は全部上手くいく」とでも思っていたのだと思う。
何度も何度も「お前の為を思って」やら「私ほど真剣に貴方の事を愛している人間はいない」というような言葉を幼少期から投げかけられたのだが、こういう一方的な愛情は押し付けがましいだけではなく、子供をメンタル的にも追い詰めるよなぁと今になっては思う。
自分の子供が、鼻水をたらして毎日ゲームに熱狂してたりすれば色々と不安になるのはわからなくもないのだが、そういう不安に耐えられずに親が音を上げて子供を無理やり勉強漬けにするのは、子供を愛しているからというよりも、子供に人生をやらせる事がイマイチ信用できないからだろう。
能力が無ければ、性格を悪くしないと生き残れない
とはいえまあ、この年になって思うが、能力が無い人間が子供を何とかして育て上げようとすれば、権力も暴力も死ぬ気になって駆使して、涙や情を用いるのは道理的である。
会社で働いてて思うが、仕事が全然できない人間が上司役に収められてしまうと、嘘や涙、叱責や人格攻撃のようなものを多用しがちになる。
逆に仕事ができる人間は、仕事をやってるだけで勝手に尊敬されるからか、そういう風には権力を使わない。
上司なのに無能だという二律背反に、多くの人は耐えられない。素直に己の能力の無さを告白できるタイプの人間は、大変な人格者である。
ヒステリックに泣き叫ぶ元上司に出会った時、僕はかなり心身共に疲弊したが、その人から離れて数年たった今になると、逆にあんな立ち振舞をしなければ現場を回せないという能力の無さは、ものすごく生きにくいだろうなという憐憫の情のようなものが湧いてきてしまう。
能力が無いのに出世してしまう事は、物凄い不幸である。あれにならない為にも、ちゃんと自己研鑽は自分の性格を守るために続けようと学べた、実によい機会であった。
与えられた役割を真面目にこなし、地域をやっていく
僕が子供の頃、人は努力次第で、望むものに何でもなれるという思想が蔓延っていた。
この言葉が完全に間違っているとは思わない。少なくとも僕は、随分と努力で獲得したものも多い。
しかし改めて24年ぶりに中学校の同級生に会って思ったのは、結局は人間は収まるべき場所に収まるのが、一番幸福なのだろうという事だった。
能力も無いのに身の丈に合わない場所で働くことを強要されても、周りの人間はソイツを上に引き上げてあげる事もできないし、当人も無能を自覚させられるだけで居辛いだろう。
能力も無いのに管理職やら親になってしまい、自分の能力以上のモノを願ってしまうものも不幸である。「まあ、自分がこんなもんだから、自分の子供もこんなもんだろう」という位の、いい意味での適切な無関心さと相手への信用がなければ、子育ては大変に苦しいものになる。
24年ぶりの同窓会で会った人達は、恐らくなのだけどそれなりには人生が上手くいってる人間ばかりだと思うのだが、何となく、みんな自分に与えられた役割を納得して、眼の前の現実をちゃんとやっていっているような感じがして、とてもそれが僕には心地よかった。その感覚に触れられただけでも、同窓会に出席した甲斐があったなと思う。
自分の人生に納得できていますか?
適切に自分自身の人生で裁量を発揮して競争し、結果的に自分の納得した役割に殉じれる。学校教育やら社会人経験における競争原理は、この己の身の丈を自覚する為のものだろう。
もちろん、多くの人はその過程で夢破れ、惨敗兵として泥水を啜るような辛い体験をするわけだけど、そこで啜る泥水だって、ちゃんと最後まで戦い抜いてから飲むのならそれは立派な戦果であろう。
いろいろあったけど、僕は今の自分の人生の結果にそれなりには満足している。期待値以上にものすごく上手くいった部分もあれば、全然うまくいかない部分もあった。
だが上手くいったものは、後でちゃんとしっぺ返しがやってきたし、逆にうまくいかなかった部分は後で補償のようなものがキチンと返ってきているように思う。
そうしてなれた自分自身という何者かを使って、これから僕はこの地に根ざして地域住民の一人として暮らしていくのだろう。そういう生き方ができる事に、僕はとても満足している。
あなたは自分に与えられた“役割”に納得できているのだろうか?もし自分が「身の丈にあった、ちょうどいい場所」で生きられていると感じられるのなら、それはとても幸福な事だと僕は思う。
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【著者プロフィール】
高須賀
都内で勤務医としてまったり生活中。
趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。
twitter:takasuka_toki ブログ→ 珈琲をゴクゴク呑むように
noteで食事に関するコラム執筆と人生相談もやってます
Photo by:Nathan Dumlao