すべてはここから始まった!自由が丘「MONT-BLANC」のモンブラン誕生秘話
日々の天気や街のトレンド、おいしいゴハンに大人の悩み、社会の仕組み・・・1日イチ「へぇ~」なトピックスを。
新進気鋭のコラムニスト、ジェーン・スーが、生活情報や人生の知恵をナイスなミュージックと共に綴る番組。
杉山アナが「スイーツアナウンサー」としてレトロスイーツとその店の魅力を伝え、あなたを甘いノスタルジーに誘うこのコーナー。
これまで、「サバラン」「たぬきケーキ」「フルーツサンド」「アップルパイ」「ザッハトルテ」「人形焼き」をとりあげてきました。
【これまでのお店】
・池袋・タカセの「サバラン」
・西葛西・パローレ洋菓子店の「たぬきケーキ」
・赤羽・プチモンドの「フルーツサンド」
・谷中「マミーズ・アン・スリール」の「アップルパイ」
・銀座「カフェ・パウリスタ」の「ザッハトルテ」
・人形町「重盛しげもり永信堂えいしんどう」の「人形焼き」
第7回は・・・東急東横線・自由が丘駅からすぐの「Mont-Blanc(モンブラン)」。
いま日本で食べられているケーキ・モンブランの発祥と言われるお店。
91年の歴史をもつお店なのですが、現在は仮店舗。もともとお店があった駅前の商業施設が建て替えのため、一時的に仮店舗で営業されています。仮店舗とは思えないほど、キレイで雰囲気のあるお店!
店頭のショーケースには、看板商品のモンブランを中央に、ショートケーキ、エクレール、サバラン、レアチーズケーキ、チョコレートケーキなどが並びます。
栗を使ったロールケーキも。また、焼き菓子もたくさんの種類が売られていました。
このお店とモンブランケーキの由来について、4代目で専務取締役の迫田直幸さんにお話を伺いました。
迫田:創業者であり、菓子職人の迫田千万億がヨーロッパで登山をしていたところ、シャモニーの町からみたヨーロッパ最高峰のモンブランに感銘を受けて、シャモニーの市長・ホテルモンブランの支配人に許可をもらい、日本に帰ってきたそうです。当時、中世ヨーロッパの晩餐会やレストランで、皿盛りのデザートで、モンブランの原型となるメレンゲや生クリームに栗のペーストをかけたものは存在していたそうです。まだケーキの形ではなかったそう。ヨーロッパでは渋皮を一緒にひいた茶色いペーストが主流ですが、日本人には栗の甘露煮、栗きんとんが馴染みがあるのでそれをベースに黄色いモンブランを作り上げました。
いま日本で馴染みがある「黄色いモンブラン」これを作り上げたのが、直幸さんの曽祖父である、創業者の迫田千万億さん。創業者がヨーロッパで見た名峰「モンブラン」の美しさに感銘を受けて、91年前に「モンブラン」というお店とその看板商品である「モンブランケーキ」を作り上げたそうです。
・中世のヨーロッパにはモンブランの原型となる“栗のペーストを使った皿盛りのデザート”はあったそうですが、それを元に、黄色いペーストのケーキを考案したんですね。
・お店のこだわりとして一番は、
「愛媛県伊予市のブランド栗・中山栗」を使用していること。・中山栗は、あえて傾斜の強い斜面に栗を植えて、過酷の環境の中で栄養をたくわえるため、大変おいしい栗になるそうです。ただ近年は、暑さのために栗の収穫時期が遅れることで材料調達に影響しているそう。
ここまで取材して1つ疑問が生まれたのですが、自由が丘の1つのお店で生まれた「黄色いモンブラン」がなぜここまで日本中に広がったのか。
迫田:モンブランを考案した戦前当時は、甘いものが高級な時代。洋菓子に馴染みなくて、迫田はこの洋菓子という文化がこれから日本の人々を幸せにしていくだろうと強く考えていました。できあがったモンブランについては、あえて商標をとらなかったと聞いております。そういった経緯もあって、日本のケーキやデパートでもモンブランというケーキが当たり前のように並ぶ光景になったというのは、創業者も喜んでいるんのではないかと思います。当時、職人さんたちが修行のために集まってこられていたんですが、配合や作り方などをあえてオープンにして、どんどん広めていってくれと。
当時、迫田千万億さんは、商標登録しなかったんです!(屋号は登録)それどころか、全国の職人にその配合と作り方を惜しげもなく伝えたんです。そのおかげで、いま日本のケーキ店には当たり前のように「黄色いモンブラン」が並んで私たちを楽しませてくれているんですね。
・1個・税込880円。なかなかのお値段ですが、それでも食べる価値あり!
・マロンクリームで山の岩肌、上にのせるメレンゲで雪を表現。
マロンクリーム、生クリーム、バタークリーム、カスタードクリームの4種類のクリームを使用。迫田さんによると、メレンゲを砕いて、栗のクリームやほかのクリーム、カステラなど全部の要素を同時に食べるのがおすすめ。
最後に・・・
迫田さんは、「これまで91年、モンブランという伝統がつづいてこれたのも、お客さんがひいきにしてくれたから。この文化を長い未来へ向けてつないでいきたい」と話してくれました。
(TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』より抜粋)