寝そうで寝ない薫と大君のすったもんだを楽しむ~『源氏物語』宇治十帖の楽しみ方 前半編~
大河ドラマ『光る君へ』において、『源氏物語』の「宇治十帖」執筆パートが始まった。とうとう、と『源氏物語』ファンは息をのんだ人も多いかもしれない。
しかし一方で、宇治十帖というのは、案外『源氏物語』のなかでももっとも「楽しみ方が上級者向け」なパートかもしれない。というのも、それまで光源氏が一身に担っていた主人公の役割を、光源氏の次世代の公達である、薫と匂宮という男性たちがふたりで担うことになる。あるいは、ヒロインもまたこれまで豪華絢爛な姫君たちが出てきたのに対し、宇治十帖のヒロインたちは案外地味……に見えてしまうことも多い。これは個人の意見なのだが。
一般に、宇治十帖は近代小説だとかポストモダン文学だとかいわれるくらい、複雑だがしかし深みのある物語であるといわれることが多い。しかし私は思うのだ。そんな高尚なことを言われても、物語の楽しみ方はわからないよ!
というわけで本連載では、二回にわけて「宇治十帖の楽しみ方」をレクチャーしたい。
いままで『源氏物語』は宇治十帖あたりで挫折していたそこのあなた。いっしょに宇治十帖を楽しんでみませんか?
宇治十帖の前半はこう楽しむ!
というわけで今回は宇治十帖の、前半の楽しみ方を解説してみよう。
私なりにコツがある。それは、「寝そうで寝ない薫と大君」のすったもんだを楽しむことである。
……あけすけな楽しみ方すぎて、怒られそうだ。しかしこれは真実ではないだろうか。
まず、宇治十帖の登場人物を紹介しよう。薫とは、亡くなった光源氏の子供である。表向きは光源氏と女三宮(おんなさんのみや)との間に生まれた息子。が、実は柏木(光源氏のライバル・頭中将の長男)と女三宮の密通で生まれた子なのである。そんな薫は出家願望が強く、まじめで、厭世的な性格である。女性に対しては思い込みが強いのだが、そんなに手は早くない。
そう、ぶっちゃけ『源氏物語』本編において、光源氏は手が早い。
「えっ、いつのまにそういう関係になっていたの?」「ていうかいつのまに寝たの?」と読者としては恋愛発展のスピードに振り落とされそうになりながら読んだ。藤壺と光源氏や、紫の上と光源氏なんて、本当に気づいたらそういう関係になっていたよ。が、薫は違う。光源氏と正反対。まじめで、女性に対してそこまで強引になることはない。
というわけで宇治十帖を読み始めた時、『源氏物語』本編に慣れた読者としては「あーはいはいこの流れはもう今晩寝る流れなのですね」と思いつつ読んでいたところで、「結局何もなく朝を迎えました!」という清らかなナレーションが入るのです。寝ないんかい。帰るのかよ。
友達でいたい女子と恋人になりたい男子
薫が恋した相手とは、大君(おおいぎみ)という宇治の山荘で暮らす姉妹の姉。ちなみに「大君」とは「長女」の意なので、一般名詞のようなものである。薫は彼女に恋をして、幾度も手紙を送るようになる。
だが彼女はなかなか首を縦に振らない。なぜなら、彼女の父親がこんな遺言を残していたからだ。
「軽薄な相手に近づいて宇治山を出てはいけない、結婚なんて無理にしなくてもいいから、とにかくひどい男にだけは気をつけろ」と。
結果として、大君は、父の教えを忠実に守る姉として、薫のことを拒み続ける。父の一周忌が終わってもまだまだ進展しない。薫は求婚の和歌を贈り続けているが、頑として大君はノーの返事ばかり。
……考えてみると、彼女の本音は、父の遺言を建前に、別のところにあったのかもしれない。というのも、すでに大君は25歳くらい。当時の結婚適齢期といえば17歳くらいなので、大君としては「この年齢まで独身だったのだから、父も変な相手とは恋愛するなと言ってたし、もう恋愛なんて面倒なことしたくない」モードだったのではないかと妄想できる。
もちろんこれは妄想だが、大君の薫に対する「めんどくせええ」な対応をみると、そんなふうに思えてならないのだ。
結局薫は、大君の邸で無理矢理泊まろうとするが……。
〈訳〉
薫は「今夜はここに泊まって、ゆっくり話したい」と思い、ぐずぐず夕方まで過ごしていた。しかし時間が経つにつれ、どんどん薫の空気が重たくなっていく。どうやらちょっと恨めしい表情にすらなっている。
なんだかもう大君は面倒くさくなってきて、困っていた。もはやなごやかに談笑する雰囲気でもない。
だけど、恋愛さえ挟まなければ、薫はいい人なのだ。だからこそ大君は薫を邪険にあしらうこともできず、とりあえず「はあ、そうですねえ」と応対し続けるのだった。
〈原文〉
今宵は泊りたまひて、物語などのどやかに聞こえまほしくて、やすらひ暮らしたまひつ。あざやかならず、もの怨みがちなる御けしき、やうやうわりなくなりゆけば、わづらはしくて、うちとけて聞こえたまはむことも、いよいよ苦しけれど、おほかたにてはありがたくあはれなる人の御心なれば、こよなくももてなしがたくて、対面したまふ。
(『新編 日本古典文学全集24・源氏物語』「総角」より原文引用、訳は筆者意訳)
これは以前自著で書いたことがあるのだが、薫と大君のじとじとした関係を見ていると「友達でいたい女子と恋人になりたい男子」という難題が平安時代にも存在していたのかと思ってしまう。正直、これが光源氏なら強引に大君を自分のものにしていたのかもしれない。薫はそんな男ではない。誠実なのだ。そして結局、この夜は何もなく終わったのであった。添い寝のみ!
現代の少女漫画のように
宇治十帖はなんだかこんな感じで、物語がじとじとと進んでいき、現代の少女漫画のような繊細な関係の積み重ねが描かれていく。光源氏の強引さを失った今、物語を進めるのは——女性の突飛な行動だったりもした。後半はそこを見ていきたい。
宇治川の橋には、紫式部の像が建てられている。宇治川を眺めながら、宇治十帖のヒロインたちを彼女は思いついたのだろうか。宇治を訪ねる際にはぜひ片手に宇治十帖を携えてみてほしい。
文=三宅香帆 写真=さんたつ編集部
三宅香帆
書評家・作家
書評家、作家。1994年生まれ。高知県出身。京都大学大学院卒。著書に『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』『(萌えすぎて)絶対忘れない! 妄想古文』『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』『娘が母を殺すには?』『30日de源氏物語』他多数。「スマホを持ってる紫式部」Xアカウントのライティングを担当。