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築120年の元旅館が生まれ変わった「記憶に残るビール醸造所」(福岡・福津市)【まち歩き】

福岡・九州ジモタイムズWish

■思い出を紡ぐ、福津のシン名所「ミチクサ醸造所」

津屋崎海岸から徒歩数分、海風が心地よく吹き抜ける場所に、福津の新たな「シン名所」が誕生しています。令和7年3月13日付で国の有形文化財に登録された、築120年を超える「旧玉乃井旅館」の中で、ビール造りという新しい物語を紡いでいるのがミチクサ醸造所です。

■町の歴史が刻まれた特別な建物「旧玉乃井旅館」

「旧玉乃井旅館」は、福津市の津屋崎千軒地区に所在する明治42年(1909年)建築(推定)の木造旅館建築です。この建物には、津屋崎が「博多の奥座敷」と呼ばれた黄金時代の記憶が刻まれています。 

津屋崎地区は江戸時代から明治時代にかけて、塩田で生産された塩の積出港として栄え「津屋崎千軒」と称されました。しかし明治末期、九州鉄道の開通による舟運の衰退と塩田の廃止により、港町としての賑わいを失いかけます。
転機が訪れたのは明治39年(1906年)でした。海水浴場の開業により、津屋崎は観光地として再生を果たします。翌明治41年には福間駅と津屋崎を結ぶ馬車鉄道も開通し、筑豊の炭鉱地帯から多くの海水浴客が訪れるようになりました。玉乃井はまさにこの時代、炭坑夫たちの避暑地として、博多からの海水浴客の宿として、数え切れない人々の思い出を育んできた旅館でした。
旅館閉業後は、現代美術に造詣の深い所有者が、津屋崎現代美術展や上映会の会場として文化的な活用を続けてきました。そして現在、国の登録有形文化財に登録されたこの建物は、レンタルスペースやギャラリー、そして新たにビール醸造所として、再び人々の記憶に残る場所となっています。

■「人の思い出を大切にしたい」という想い

ミチクサ醸造所を営む江藤彰洋さん・瑶子さん夫妻が「旧玉乃井旅館」を選んだ理由は明確でした。
「前提として、ものづくりをする以上、どこでつくるかはものすごく重要だと考えていて。私たちが最も大切にしていることは『心が満たされる感覚』なんです。つまり記憶や思い出などの言葉や数字では表現できない側面に想いを馳せています。この玉乃井という旅館は、まさしく人の思い出がたくさん詰まっている場所です。思い出の上に今があり、そして未来に繋がっている。新しい場所ではなく、今までに紡がれてきた思い出たちを大切にしながら、未来を見据えることができる場所がここでした。旧玉乃井旅館は人の思い出を紡ぐ力があって、当たり前過ぎて忘れてしまいがちな大切な何かを思い返させてくれる、そんな不思議な力を持った場所なんです。」

脱サラしてビール造りの道を選んだ夫妻にとって、「旧玉乃井旅館」は単なる仕事場所ではありません。「「暮らしの延長に仕事を作ること。それが営みになって次の暮らしにつながる。そうやってこれからの暮らしを育んでいきたい。だからこそ、自分たちが"何を作るのか"は大切で、場所選び一つとっても既にものづくりは始まっている。」と江藤さんは語ります。「ビールという液体を作ることだけがものづくりではないと思っていて。だからこそ自分たちの心が動く場所でビールを作りたいし、作る必要があると思っているんです。そんな背景の中で出会った建物がこの旧玉乃井旅館。本当にかけがえのない場所なんです。」

■歴史的建造物でのビール造り

「この玉乃井で作ることができていること、全てがいいんです。言葉にすることが難しいですが、本当に気持ちがよくて、良いエネルギーが集まっています。当初は取り壊す話も出ていましたが、この場所に想いを寄せ続ける人たちがいて、その気持ちを汲む人たちがいて、そんな中で私たちが入居させて頂き、さらに新しい事業者さんも入ってきた。この場所は今、明確に息を吹き返し始めていると思います。生活とは"生きる活動"を意味するわけですが、こんなにも生きる活動をしている場所は他にはなかなか無いのではないでしょうか。」
現在、「旧玉乃井旅館」にはミチクサ醸造所のほか、デザイン事務所や本屋も入居し、新たな文化の拠点として息づいています。

■「クラフトビール」ではない、ミチクサビール「FOC」

ミチクサ醸造所が造るビールは「FOC(フォク)」という名前で、あえて「クラフトビール」という言葉を使いません。
「私たちが思う『クラフトビール』とは、その商品ブランドそのものから作り手の顔や性格が透けて見えてくるような、そんなビールのことだと捉えています。もしそうだとすると、作り手はクラフトビールという名の"カテゴリー"のことを語るのではなく、自分たちのビールのことを胸を張って語るべきではないだろうか?そんな気持ちがありました。生まれてきてくれたこの子たちには人格があり名前があるわけで、生みの親である私たち自身が子供たちの名前を呼んであげないで一体誰が呼ぶんだろう。だから自分たちからはクラフトビールとは呼ばずにミチクサビール『FOC(フォク)』と呼んでいます。」

OCには3種類の味わいがあります。ホワイト、ブロンド、アンバー。それぞれのラベルは窓枠をモチーフにデザインされています。
「人それぞれの大切なひと時を木陰からコソッと彩るような、そっと寄り添っていくような、そんな脇役のビールを作りたかったんです。私たちは映画が好きなのですが、映画内に出てくる窓っていろんなシーンで光闇を届けたり、風を運んだり、窓から見える世界や景色を切り取ってくれたりしますよね。何気ない日常のワンシーンに、何らかの意味を持たせてくれるというか。そんな窓枠のような存在になれたらいいなって。だから3種ともエッジの効いた個性とかではなくて、優しく包み込むような柔らかさや丸みを大前提としています。その上でホワイトは窓の外から聞こえてくる『音』をイメージして、軽やかでほのかな酸味を感じる味わい。ブロンドは窓から見える『彩り』をイメージして、花が咲き乱れた時の甘い香りや梅雨時期の湿った土っぽさを連想する味わい。アンバーは窓の外にゆったりと流れ続ける『時間』を意識して、コーヒーのような焙煎感を取り入れつつ脇役として重たすぎない絶妙な範囲の味わいに仕上げています。」

■手間暇を大切にする「体験」の原点

ミチクサ醸造所では全国でも稀有な取り組みを先駆者として実施しています。それは"手間暇"に着目した本格的な「ビール作り」そのものを体験や実践として提供している点です。参加者は麦芽の計量から清掃まで、ビール造りの全工程をご自身の頭と身体をフル活用しながら行います。

これら取り組みの原点は、江藤さん夫妻が娘さんをおんぶしながら3日間かけて作った雛人形にあります。
「娘の雛人形を自分たちで作りたいと妻が言い始めて、妻と一緒に苦労して雛人形を作ったことがあります。当初の私はあまり乗り気ではなかったのですが、作ったあとの何とも言えない充実感や感動が、今でも思い出として鮮明に残っていて。毎年ひな祭りの季節になると、子どもよりも親である私たちの方が飾りたくなるんです。手間をかけたことが思い出に残る。心に残り続けるビールって、大変な思いをしてでも作りたいと思って生まれたビールじゃないでしょうか」

■「体験から体感へ」

提供しているビール作りの体験や実践では、細かく丁寧に教えるのではなく、最低限の原理原則だけをお伝えし、あとは基本的に参加者自らに考えてもらいながら進めます。「とにかく本物の手間を感じてもらう」のがミチクサ流です。一般的な「座学+体験」のような知識に頼ったやり方や予定調和で手順通りに進む体験からは離れ、「体験から体感へ」というアプローチを大切にしています。
最低限の情報だけを伝えて参加者にバトンタッチし、考えや直感を働かせながらビールを作ってもらう。敢えてアナログな設備を使うことで、参加者が介入できる範囲を広げています。
参加者の多くは熱狂的なビールマニアとかではなく、純粋にビールを作る体験を楽しみたい方、ウェディングや子どもの20歳のお祝いなど、人生の節目に利用する人たち。そして、心がこもったものを提供したいと考えている飲食店の方々などです。記録ではなく記憶に残る何かを持って帰ってもらいたいという想いが込められています。

■「周り」の時間こそ、本当に心に残る体験

江藤さんが何より大切にしているのは、ビール作りの「周り」の時間です。
「仕事のことや恋愛の悩みなど、一見ビールとは全く関係のない脱線した会話。出来上がったビールを誰にプレゼントしようかな?誰と乾杯しようかな?と、誰か大切な人たちの顔を思い浮かべたりする機会。私たちは何よりもそこを大切にしていきたい」
お喋りに夢中になって作業が夕方まで延びてしまうことも、それもまた良い思い出の一部。本格的なものづくりに向き合いながら、没入と解放を繰り返す中で生まれる会話や体感こそが、本当に心に残る体験になるのです。

■これまでも、いまも、そしてこれからも

人それぞれの大切なひと時にそっと寄り添う脇役のビールブランド「FOC(フォク)」、手間暇をかけた先にしか見つからない大切な何かに立ち返るビール作りの体験など、ミチクサ醸造所は「生きる活動隊」として明日の糧となるような大切な何かを提供しています。築120年の「旧玉乃井旅館」という歴史的建造物の中で、新しい文化を創造し、これまでと今とこれからを紡いでいく。そんな新しい形の「編集者」のような役割を、ビールを介して担っているのかもしれません。

津屋崎海岸の潮風を感じながら、自分だけのビールを手作りする。「ミチクサ醸造所」は、単なるビール醸造所を超えた、日本中を探してもなかなか見当たらない新しい形の拠点ではないでしょうか。現代を生きる人々が新しい思い出を紡いでいく「記憶に残る場所」として、これからも多くの人々に愛され続けることでしょう。

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■『ミチクサ醸造所』
住所:福岡県福津市津屋崎4-1-13 (旧玉乃井旅館内)
営業時間:醸造所にて不定期で販売。詳しくは下記Instagramをチェック

HP:https://michi-kusa.co.jp/

Instagram:@michikusa.beer
https://www.instagram.com/michikusa.beer/

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