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【澤田瞳子さんインタビュー】平安時代、富士山噴火。新刊「赫夜」で人と集落のレジリエンス描く。「それでも人は生きていく」

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静岡新聞で1月から小説「春かずら」を連載中の作家・澤田瞳子さんが、新刊「赫夜」(光文社)を出した。延暦19年3月14日(800年4月11日)に起こった「延暦の富士山噴火」を下敷きにした「災害小説」。富士山麓でさまざまに暮らす人々やコミュニティーの回復(レジリエンス)の軌跡を描く。静岡県内を舞台にした群像劇はどうやって生まれたのか。作者に聞いた。(聞き手=論説委員・橋爪充、写真=富本真之〈人物〉、写真部・坂本豊)

物語の舞台は静岡県

ー「赫夜」は、富士山北東部が噴火したと伝わる「延暦の富士山噴火」をテーマにしています。人間が避けようもない「自然災害」をベースにしたのはなぜですか。

澤田:大きな災害は人間の動きや政治体制に影響を与えるので、以前から何か書きたいと思っていました。富士山から離れた京都在住なので、(霊峰を)知りたいという考えもありました。

ー物語の舞台が、ほとんど全て静岡県内ですね。

澤田:今回は何度も取材で静岡にうかがいました。私の母は愛知県出身ですが、祖母は浜松生まれなんです。静岡と全く縁がないわけではない。小説で書かせていただけて、うれしく思っています。

ー延暦の富士山噴火は平安時代の出来事でもあり、資料が少なかったのではないでしょうか。

澤田:噴火ついては(平安時代の歴史書)「日本紀略」に書いてあるのですが、概念的な記述で役に立ちませんでした。一方で(江戸時代の)宝永大噴火の記録は比較的詳細なんですね。噴火から何時間後にどこに石が降ったか、何時間後にどこにどれだけ灰が積もったかについて記されています。噴火の規模、噴火口の場所は(延暦の富士山噴火とは)違いますが、大きいデッサンにアタリをつけて小さく描く、みたいな作業で小説を書きました。静岡大名誉教授の小山真人先生や富士山かぐや姫ミュージアム(富士市)の藤村翔学芸員にも取材させていただきました。

噴火で何が起こるか。最新資料で再現

ー噴火の描写が凄まじいリアリティーですね。具体的な情景が浮かんできます。

澤田:噴火のハザードマップ(危険予測図)、溶岩流のシミュレーターや行政の資料も参考にさせてもらいました。その中から、「今回の噴火はここにしよう」と場所を決めました。

ー2021年6月号の「小説宝石」で連載が始まっています。富士山火山防災対策協議会がハザードマップ(危険予測図)の改定版を発表したのが同じ年の3月。同時進行的に執筆を進めていたのではないですか。

澤田:連載の準備をしていたころに新しい被害想定が発表されました。こんなに噴火口がいっぱいあるのか、と。自然災害について日ごろからいろいろ調べていますが、富士山ほど次に起きることを考えている地域はありません。現在の取り組みがあってこそ、これだけ「過去」が書けたのだと思います。

ー物語は家人(けにん)の鷹取を軸に群像劇形式で進みます。富士山の噴火という大災害を描く上で、身分の高くない人物を中心に置いたのはなぜですか。

澤田:富士山は駿河国の中でも東の方ですから、偉い役人を主人公にすると噴火の瞬間に立ち会えないと思ったんです。当時の身分差を考えると、貴族層が現場にいること、苦労することはよっぽどのヒューマニストでないとあり得ませんから。(災害に)居合わせてしまった身分の低い人の方が、いろんなことを見たり聞いたりできると思いました。

ー繰り返しになりますが、噴火の場面の描写が圧巻ですね。執筆時はどんなことを考えていらっしゃったのですか。

澤田:(噴火が)今起きたらイヤだなと思いながら(笑)。正直なところ、実際にどんなことが起きるかは分からないんですよ。でも、凡庸な描写にはしたくなかった。(降灰の)肌触りやにおいといった、目で見えるものじゃない情報も含めて感じてほしいなと。

ー現在は、富士山の噴火について発生のメカニズムがある程度分かっているし、被害想定という形で「何が起こるか」は周知されています。でも、平安時代の人々は日々暮らす場所の激変に際し、「何が起こったのか」すら分かっていなかったのではないでしょうか。そんな人々の心理を描くのは、難しかったのではありませんか。

澤田:私は噴火の勉強をしたことがあって、ある程度の知識はあります。でも自分が知っている情報について、彼らに「知らないふり」をさせなくてはならない。このバランスは難しかったですね。彼らが「知っている」と、現代的になりすぎてしまう。知ることを知って、正しく恐れましょうという現代とは違うわけです。小説では彼らは理路整然と動いていますが、もっとパニック状態になっていても不思議ではないと思います。

2泊3日、約1万冊にサイン

ー富士山が噴火すると、周辺にいる人は身分の上下に関係なく、等しく「被災者」になります。自然災害の、ある種の「公平性」や冷厳さも印象に残ります。

澤田:例えば101年前の関東大震災を例に挙げると、当時の人はとても怖かっただろうし、命からがら逃げた人もいたわけです。その人たちの感情は現代の私たちと何ら変わりません。ただ、こうしたことが100年、1000年経つうちに単なる「記録」に陥ってしまいます。受け取る私たちも、過去の「データ」として読んでしまう。「データ」はもともと人だったわけです。だから、一つ一つの歴史をもっと大事に読み解きたい。一方で、今の暮らしもいずれは「データ」になる。われわれも歴史の一部なんですね。

ー自然にあらがうことはできないという真理。噴火後に集落を襲う泥流も描かれていて、まさに「なすすべがない」様子です。それを受け入れ、忍耐強く生活再建を試みる人々の姿に心打たれました。彼らの強さはどこから来ているのでしょう。

澤田:人間はどんなことがあっても生きていかなければならないんです。災害に遭っても遭わなくてもご飯は食べなければならないし、それでも日々は続く。そこを書きたかった。

ー今回、初版全冊に直筆でサインされましたね。前代未聞のチャレンジの理由を聞かせてください。

澤田:サイン本って、作家としては「読者さんへのプレゼント」という気持ちなんですね。書店さん、取次さん、版元さんの全員の善意でできている。でも、結構ネット上で転売されているわけです。そういうことをSNSで書いたら、一方で地方の方はサイン本が手に入らないんだと。じゃあ、全部書いちゃおうかと。気軽な思いつきなんですよ。

ー作業はいかがでしたか。約1万冊に及んだとうかがいましたが。

澤田:書きやすい、めくりやすい、つかみやすい紙を選んでいただいて、すごく助かりました。担当編集さんが完璧なスケジュール表をつくってくれて。作業中に落語家の桂米朝さんの傑作選CDを持って行って流したら、いいペースで進みましたね。最終的には、インストゥルメンタルの楽曲でゆったりやるのがいいという結論でした。とても珍しいプロジェクトでしたが、関わった皆さんが面白がってくれて、良かったですね。

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