絢爛豪華な舞台の記憶 ― 静嘉堂@丸の内「歌舞伎を描く 秘蔵の浮世絵初公開!」(レポート)
美人画と並んで、浮世絵の二大ジャンルのひとつといえる役者絵。岩﨑彌之助夫人・早苗が愛玩した「錦絵帖」を基に、初期浮世絵から錦絵時代、そして幕末明治の円熟期まで、役者絵の歴史をたどる展覧会「歌舞伎を描く 秘蔵の浮世絵初公開!」が、静嘉堂@丸の内で開催中です。
静嘉堂@丸の内「歌舞伎を描く」 ホワイエには顔出しパネルのフォトスポットも登場
歌舞伎絵の始まりは、慶長年間の阿国歌舞伎の時代から。江戸の芝居興行の時代になると、手彩色の「丹絵」「漆絵」、三版刷りの「紅摺絵」と進み、多色摺木版画「錦絵」の誕生によってスター役者が鮮やかに描かれるようになりました。
《歌舞伎図屏風》には、出雲阿国による歌舞伎踊の創始以前に広まった「ややこ踊」の場面が描かれています。囃子方に三味線が含まれていないのは古様な形式です。
>《歌舞伎図屏風》江戸時代 17世紀[全期間展示]
幕末明治期、錦絵の技術は最高潮に達し、歌川派が全盛期を迎えます。三代歌川豊国(国貞)は錦絵界の重鎮となり、国周や芳幾らは写真を意識した斬新な役者絵を制作。また、架空の舞台を役者の似絵で作品もつくられました。
静嘉堂は岩﨑彌之助夫人・早苗が愛玩した「錦絵帖」を多数所蔵しています。画帖は版元が摺りたての錦絵を折帖にして納めたとも言われており、鮮やかな色彩は見どころのひとつです。
(左から)二代歌川国貞《「八犬伝犬の草紙」三世嵐吉三郎の犬飼現八信道》蔦屋吉蔵 嘉永5年(1852)9月 / 二代歌川国貞《「八犬伝犬の草紙」五世市川海老蔵(白猿)の角太郎が父赤岩一角》蔦屋吉蔵 嘉永5年(1852)10月[ともに展示期間:1/25~2/24]
「極楽寺山門の場」は、五世菊五郎の当たり役である弁天小僧菊之助を描いた作品。極楽寺の大屋根で多くの捕手と立廻る弁天小僧が、大屋根に乗ったまま「がんどう返し」という大仕掛けによりあおられていく様子を、三枚続で見事に表現しています。
豊原国周《「極楽寺山門の場」五世尾上菊五郎の白浪五人男の内弁天小僧菊之助》明治22年(1889)6月[展示期間:1/25~2/24]
豊原国周による「梅幸百種」は、その名の通り五世菊五郎(俳名:梅幸)の半身の舞台姿とコマ絵に俳句などを描いた百枚からなる揃物。明治の名優・五世菊五郎が、十三世羽左衛門、八世家橋をへて五世菊五郎に至るまでの当たり役が描かれています。
岩﨑彌之助・早苗夫妻は五世菊五郎を贔屓にしており、大磯の別荘地を五世菊五郎に提供しています。
豊原国周「梅幸百種」明治26-27年(1893-94)[全期間展示]
浮世絵といえば、大河ドラマで話題の蔦屋重三郎。展覧会では静嘉堂文庫の所蔵品から、蔦重関連の作品も展示されています。
蔦屋重三郎(1750-97)は江戸新吉原生まれ。はじめ貸本業を営み『吉原細見』などの刊行で成功。天明3年に地本問屋として通油町に進出し、謎の浮世絵師・東洲斎写楽を世に送り出し、寛政年間には喜多川歌麿の美人大首絵や狂歌摺物といった名作を発表。多くの文化人と交流し、江戸文化の発展に寄与しました。
(左奥から)東南西北雲《五世岩井半四郎》文化(1804-18)前期 / 栄松斎長喜《難波屋店先》寛政4-5 年(1792-93)頃[ともに展示期間:1/25~2/24]
展覧会の白眉といえるのが、極彩色で細密に描かれた「芝居町 新吉原 風俗絵鑑」。江戸の二大歓楽街である芝居町と新吉原の情景を6図ずつ描いた、合計12図の大画面アルバムです。無落款ですが、国貞による肉筆浮世絵の傑作です。
芝居町では、市村座の前の賑わいや楽屋の様子、「車引」や「浅間ケ嶽」の舞台、終演後の宴会など、歌舞伎小屋での一日を網羅。新吉原では、遊郭での夢のようなひとときを余すところなく描写しています。
三代歌川豊国(国貞)「芝居町 新吉原 風俗絵鑑」江戸時代後期 19世紀[全期間展示]
華やかな舞台の情景だけでなく、役者たちの息遣いや江戸の賑わい、観客の熱気までも鮮やかに映し出す作品の数々。役者絵を通じて歌舞伎と浮世絵が共鳴し合いながら生まれた文化の深みをお楽しみください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2025年1月24日 ]