「何かを伝えようとしてるというより、自分が感じたものをストレートに映し続けたかったんじゃないかな」[Alexandros]川上洋平、揺れ動く少女の心を瑞々しく描き切った『夏の終わりに願うこと』を語る【映画連載:ポップコーン、バター多めで PART2】
大の映画好きとして知られる[Alexandros]のボーカル&ギター川上洋平の映画連載「ポップコーン、バター多めで PART2」。今回取り上げるのは、第73回ベルリン国際映画祭でエキュメニカル審査員賞を受賞し、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥやアルフォンソ・キュアロン、ギレルモ・デル・トロといった名監督たちが賞賛。1日を通して揺れ動く7歳の少女・ソルの心を瑞々しく描き切り、温かくもリアリティ溢れる『夏の終わりに願うこと』を語ります。
──『夏の終わりに願うこと』はどうでしたか?
好きでしたね。夏の始まりにぴったりな映画を観た気分です。終始穏やかな映画ではありますが、染み込むように入り込んでしまいました。
──ドラマチックなことは特に起きず、7歳の少女・ソルが病気で療養中の父の誕生日パーティーに参加するために祖父の家を訪ね、そこでの1日を淡々と見つめていくような展開で。
「泣け~」とか「笑え~」とかが全くなくて、一切煽ってこないところが好きですね。女性が髪を染めながら姪っ子であるソルと会話していたり、トイレでメイクをして親戚を待たせたり。一見「なんでそんな意味のないシーンを入れるの?」って思うかもしれないけど、日常生活だって特に意味のない会話や行動をしてるわけで。大半はそういう何気ないシーンで構成されている気がします。とにかくすべてがわざとらしくなくて自然なんですよね。それがこの映画の特徴的なところだし、リラ・アビレス監督の感性なんだろうなと。
──そうですよね。
僕この映画、2回観たんですよね。「もう1回観たいな」と思ったシーンがいくつかあって。例えばソルの叔母さんが洗髪している時にソルがポツリと話しかけるんですが、叔母さんは洗髪しているからなのかソルの声がよく聞こえなかったみたいで「え? なんて言った?」と聞き直すんです。あのシーンはたまらなく好きでした。めちゃくちゃ自然なんですよね。あれを見るためにもう一度観たと言っても過言ではないです(笑)。
──そうなんですね(笑)。
他にも印象深いシーンがいくつもありましたね。映画の舞台はメキシコで、僕からすると馴染みは全然ないんですけど。
──去年CMの撮影で行ってましたよね。
確かに(笑)。でもホテルと撮影スタジオの往復だったので日常生活の空気感までは味わえてないんですよね。また行きたくなりましたね。
■『aftersun/アフターサン』が浮かんできました
──『夏の終わりに願うこと』を観て、子供の時に参加する親戚の集まりってこういう感じだったなと思いました。おじさんやおばさんの生活のことをそこまで詳しく知ってるわけじゃないけど、大人同士の会話から漏れ聞こえてくる情報でなんとなく掴んでいくというか。
そうそう。話しかけたとしても、大人って真剣に耳を傾けてくれるわけではないし。川上家は特にそうで。「これはナメられるてるなー」って思ってあんまり発言しなくなっていきました(笑)。
──そうなんですね(笑)。
最初は「監督自身の幼少期の体験かな?」と思っていたんですが、幼い頃に父親を亡くした自分の娘のために撮った映画なんですよね。そうなるとどうしても『aftersun/アフターサン』が浮かんできました。『aftersun』は監督自身の幼少期の視点から追憶を描いた作品だったけど、『夏の終わりに願うこと』は自分の娘の視点で描かれてる、という違いを味わいましたね。娘の目を通した母である自分だったり、周りの環境を描いていくことって娘との関係性がとても強くないと描けないと思うんですよね。きっと素敵な関係なんだと思います。ちなみに監督は僕と同じ歳なので勝手に嬉しくなりました(笑)。
──『夏の終わりに願うこと』の舞台は父親の誕生日パーティーですが、父の具合はどう見ても悪いので、お別れ会としての意味合いもあるんだろうなと。観客が父親の死を予感しながら観進めるという点は『aftersun』と共通していますよね。
そう。『夏の終わりに願うこと』は亡くなった後にガランとした家の様子だけでそのことを伝えていて。描き切らないところがなんか粋でした。
──そこも含めてあまりあざとさが感じられない映画ですよね。
そうなんですよ! 今日日ドキュメンタリーだって演出がかっているのに、この映画はその煽りがない。日記を見てる感覚に近かったです。
──まさに。ホームビデオっぽい質感ですし。
何かを伝えようとしてるというより、自分が感じたものをストレートに映し続けたかったんじゃないかな。「こういうことがあって嬉しかった」とか「こういうことがあって楽しかった」みたいなシーンが続いていくんですよね。それこそ夏休みの日記っていうか。さっき僕は「染み込んでいく」って言いましたけど、一つひとつの事象を映すことで観る人の感情に委ねるようなアプローチだと思いました。
■これこそが誕生会なんだなと思いました。
──私は夏のメキシコには行ったことないですが、空気感も伝わってくるような。
そう、遠い国の物語だけど、遠距離感はなかった。そういえば、30代の頃は誕生日パーティーに興味なかったんですが、40を超えると死へのカウントダウンが始まった気がして、誕生日パーティーを開いてほしくなってきたんです(笑)。30代ぐらいまでの誕生日って「生まれてきて良かったね」とか「お母さん生んでくれてありがとう」みたいな日なんだけど、40代になると「Happy Birthday」っていうより「still standing」、「今日も生きているぜ!」みたいなね。
──(笑)まだ生きていられてて良かったねっていう。
(笑)そうなるんだなと思いました。足腰痛かったり、病気を患ってる人も多くなってくる年齢だと思うんだけど、「まだ生きていることへのお祝い」っていうかね。『夏の終わりに願うこと』の終盤の誕生日会はちょっとくるものがありましたね。主人公のお父さんはいつ死んでもおかしくない状況だけど、抱えられながら誕生日会場に向かうシーンがとても頼もしかった。「俺はまだ生きているぜ」という宣言でもあるし、友人たちからのエールでもある。これこそが誕生会なんだなと思いました。
──確かに。
うちの父親は今86歳なんですけど、先日父親の誕生日にステーキを食べに連れて行ったんです。その時「70代ぐらいまでは誕生日は嬉しくなかったけど、今は『生きてこれて良かった』って思えるから誕生日が嬉しくなってきた」って言っててとても印象深かったんですよね。1ポンドのステーキをペロリと平らげながら言っていましたけど(笑)。
──元気ですね(笑)。還暦以降、喜寿とか米寿とかが何年かおきにやってきますしね。
人間誰しも死ぬけど、やっぱりどういう気持ちで生を全うするかはとても大事で。人というのはどこかで印を付けていきたいんでしょうね。『夏の終わりに願うこと』は悲しい映画に見えるけど、僕としてはそれだけじゃない要素の方が残りました。ソルの父は病気でやせ細って辛い状況ではある一方で、家族や友達に囲まれて誕生日を祝ってもらうっていう幸せなところもある。『aftersun』と同じ死に向かう父ではあるんだけど、向かい方が違ったね。
──『aftersun』の父親はメンタルを患っていて自殺を匂わせる描写がちょこちょこ出てきますしね。
たとえとして合ってるかわかんないですが、カート・コバーンは遺書に「いっそ燃え尽きたほうがいい」と綴ったけど、ノエル・ギャラガーはそのアンサーソング的な意味合いで「Live Forever=永遠に生きるぜ」と歌った。同じ94年に起こったこの2つのエピソードをリアルタイムで体験している洋平少年は後者の生き様に痺れたんですよね。ソルのお父さんはおそらく死にたくなかっただろうから、共感という意味ではこっちです。
──確かに。
夏の始まりに『夏の終わりに願うこと』を観たことで、今年のお墓参りがいつもと違うものになる気がしてます。
取材・文=小松香里
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