【八千代市】村の鍛冶屋が竪穴住居で鉄を生産。黒沢池のほとりにたたずむ『沖塚遺跡』
たき火が燃えさかっている時の温度が大体400度~ 800度。3世紀末ごろ作られていた土器は800度程度 で焼いたものとのこと。さて、鍛冶炉にはどんな知恵が詰まっていたのでしょうか。
※歴史には諸説あります
(取材協力)八千代市立郷土博物館
村上にある日本最古級の鍛冶炉跡
村上駅から東南へ7分の所にある黒沢池近隣公園。
江戸時代、黒沢池は灌漑(かんがい)用の池でしたが「子供を飲み込む黒蛇(くろじゃ)がすむ池」である黒蛇池が黒沢池になまったという説も伝わっています。
東葉高速鉄道建設に伴う発掘調査が始まったのは1990年。
黒沢池の近くから3世紀末(古墳時代前期)の鍛冶炉跡が発見され、大きなニュースとなりました。
この鍛冶炉跡が沖塚(おきづか)遺跡です。
古代の製錬(せいれん)から鉄器を作る工程
古代の製鉄の工程はざっくりと以下の手順になります。
(1)「製錬」大量の炭で砂鉄などを加熱し、酸化鉄から酸素を取り去ると同時に不純物も取り去って荒鉄(あらてつ)を作る。
(2)「精錬(せいれん)」荒鉄を何度も加熱し、純度の高い鉄にする。
(3)「鍛錬(たんれん)」鉄を加熱し、形を整えて製品を作る。
(1)から(3)の工程のうち、(3)の鍛錬で必要になる鉄の加工技術は、弥生時代にはすでに、原料となる鉄と共に朝鮮半島経由で西日本に伝わっていたと考えられます。
沖塚遺跡では(2)の精錬の炉跡が見つかりました。
発見当時は、日本国内で(2)の精錬が始まったのはもう少し後の時代だと考えられていたために、日本最古級の鍛冶炉跡と注目されました。
古代の印旛沼水運の恩恵を受けて
精錬をするためには荒鉄を700度以上に加熱する必要があります。
沖塚遺跡では約6m四方の竪穴住居の中から鍛冶炉跡が見つかっており、ふいごなどで風を送って火を強くし、高温を保つために火と鉄をドーム型の土壁で覆っていたそう。
このような古代の最新技術が先進地域である西日本から海路を使って伝わったと考えられています。
霞ケ浦とつながり外海に開いていた古代の印旛沼南端の岸辺にあった八千代地域には、それほど時間を置かずにもたらされた可能性があるそうです。
市内では鉄製のくぎのようなものや刀子(とうす)(小刀)も見つかっており、小さな鉄製品を作っていた痕跡はありますが、(1)の製錬はどこで行ったのかなど不明な事も多いとのこと。
今後の研究調査が進めば、新たな発見もあるかもしれません。(取材・執筆/福)