幸四郎がダイナミックに魅せる秀吉の栄華と「裏」の人間ドラマ『裏表太閤記』 中車、松也、巳之助、尾上右近、染五郎も奮闘の『七月大歌舞伎』夜の部観劇レポート
2024年7月1日(月)に歌舞伎座で、『七月大歌舞伎』が開幕した。夜の部(16時30分開演)では、松本幸四郎主演の『裏表太閤記(うらおもてたいこうき)』が上演されている。
1981年に、二世市川猿翁(三代目猿之助)により昼夜通しの狂言として初演。43年ぶりの上演となる今回は、『千成瓢薫風聚光(せんなりびょうたんはためくいさおし)』という新しいタイトルで、藤間勘十郎が新たな演出と振付をした。
『太閤記』=豊臣秀吉の物語。その秀吉のサクセスストーリーを「表」とし、松永弾正(市川中車)、明智光秀(尾上松也)、織田信忠(坂東巳之助)、信忠の寵愛を受けるお通(尾上右近)や、鈴木喜多頭重成(松本幸四郎)と息子の孫市(市川染五郎)親子たちのドラマが「裏」となる。
幸四郎を筆頭に人気と実力を備えたキャストたちの芝居、踊り、エンタメ精神に満たされた舞台は、2回の休憩を含む三幕で構成。物語は「裏」から始まる。
太閤記の「裏」の人間ドラマ
幕が開くと、そこは戦国武将の中でも悪名高い松永弾正の館。金の襖には虎が描かれているが、弾正(市川中車)は牙を抜かれたような大人しさ。自身の悪行を償おうとして、恭しく織田信長の使者を迎えるが……。
中車の弾正はスケールが大きく痛快だった。実は我が子だという明智光秀が天下を取るように、但馬守(市川青虎)に重要なアイテムを託し、花火を打ち上げるがごとくド派手にオープニングを飾った。
京都・本能寺では、僧(実は但馬守。市川青虎)のとりなしによって明智光秀(尾上松也)が織田信長(坂東彦三郎)に謁見。しかし光秀は、信長から屈辱的な扱いを受けて……。
彦三郎の信長は高慢さにも華があった。松也の光秀は実直な端正な佇まいの中にパワーを蓄える。それを解き放ち一気に芝居のムードを変えた時は、痺れるような迫力だった。
古典歌舞伎の『時今也桔梗旗揚(ときはいまききょうのはたあげ)』を取り入れた場面だ。江戸時代は、実在の為政者を芝居にする時、実名を避けて創作されてきた。たとえば織田信長が小田春永、豊臣秀吉が真柴久吉、明智光秀が武智光秀というように。しかし今回は実名で登場する。親子関係の設定などにフィクションは混ざるものの、登場人物がぐっと分かりやすくなった。
次に物語のスポットライトが当たるのは、信長の息子・織田信忠だ。光秀の妹・お通との間に子をもうけている。光秀家臣の十河軍平(市川猿弥)は、信長の血を引くその赤ちゃんを狙う……。
パッと明るくなった舞台に織田信忠(坂東巳之助)。信忠を中心に、宴席を腰元たち(市川段之、中村芝のぶ、尾上徳松、市川笑野、市川右若、市川猿紫)が踊りで彩る。芳醇なかわいらしさに酔いしれて、客席も宴の一部になったようだった。お通(尾上右近)が信忠との子を抱いて現れると、さらに雅やかであたたかなひと時に。そこへ蘭丸(中村京純)が光秀謀反の知らせを届け、空気は一変する……。
巳之助の信忠は、ほんわかしたムードから動乱の時代の緊張感に満ちた表情に切り替わる。烏帽子を脱ぎ、たすき掛けになり、刀を受けてからは真に迫る凄味。赤子を抱く右近のお通は、強さも愛情深さも美しく見せ、花道では長刀で赤ちゃんだけでなく観客をも楽しませた。「裏」を生きた一人ひとりにドラマがあり、心を掴まれた。
■骨太に、ダイナミックに
序幕の緊張感を引き継ぐように、陣太鼓の音で第二幕が始まる。秀吉による水攻めで追い込まれた高松城は、御年94歳の家臣(市川寿猿)まで戦線に駆り出されるぎりぎりの状態だ。軍師の鈴木喜多頭重成(松本幸四郎)は、和睦のために息子の孫市(市川染五郎)を遣いに出すがそれも失敗に終わり、孫市は蟄居を申しつけられて……。
幸四郎の重成は、妻・関の谷(市川笑也)と母・浅路(市川笑三郎)の訴えを図太く理知的に退けて戦況を語る。義太夫にのり、芝居を重厚で骨太な雰囲気に染める。しかし、あるきっかけで重成にどっと熱い血が通い人間味が溢れ出す。染五郎の孫市は美しさに厚みがあり、若武者らしい忠義心を迸らせた。笑也の関の谷と笑三郎の浅路は戦いに巻き込まれる人々の悲しみを体現。同時に歌舞伎らしい華と艶で脇を固めた。
幸四郎の重成によりもたらされた悲しみを薙ぎ払うのは、眩しいほどに端麗な豊臣秀吉(松本幸四郎)。ここから『太閤記』の「表」が始まる。お通が合流し、場面がスピーディーに動き出す。松本白鸚の大綿津見神は、見るもの皆を幸せにするような神々しさ。舞台に高麗屋三代が揃い、大向こうと喝采が降り注いだ。ロマンとダイナミズムに溢れた展開、そして澤瀉屋へのリスペクトを感じる演出に熱いものがこみ上げてきた。本水による怒涛の立廻りで第二幕は結ばれた。
■宙乗りに三番叟、活気に満ちた七月大歌舞伎
大詰は、常磐津とともにファンタジックな『西遊記』の世界へ。猪八戒(市川青虎)と沙悟浄(市川九團次)の楽しい予感しかしない掛け合いに、孫悟空(松本幸四郎)がやってきて案の定楽しい展開に。天帝(市川猿弥)、天帝大后(市川門之助)を翻弄し、暴れ馬とともに本舞台から花道まで駆け巡る悟空の品のよいやんちゃぶりは芸に裏打ちされたもの。宙乗りでは喜びをみせ、湧き上がる拍手と降り注ぐ大向こうの中を飛んでいった。ここでは猪八戒をつとめた青虎だが、本作全体において物語のベクトルを整えて繋ぐ重要な役を担い、ニュータイプの宙乗りも!? という奮闘を見せた。
幸四郎はやっぱりコミカルな役が合うなと思ったそばから艶麗な太閤秀吉で再登場。やはり美麗な役も合う。天下人となった秀吉の大坂城で、北政所(中村雀右衛門)、淀殿(市川高麗蔵)、徳川家康(市川中車)が舞いをみせ厳かな空気に。さらに幸四郎の秀吉、松也の前田利家、巳之助の加藤清正、右近の毛利輝元、染五郎の宇喜多秀家が三番叟を舞う。5人は5色の揃いの衣裳でそれぞれの流線形を描く。格調高い艶とエネルギーに目を奪われ、端正な重厚感に引き込まれ、実った稲穂が揺れるようなしなやかさ、歌舞伎らしい色気と鮮やかさ、美しい残像を残すような切れ味。お互いの色を濁すことなく、小さくまとまるのでもなく、神聖に響く鈴の音のテンポで異なる魅力が重ね織られ、勢いよく広がり歌舞伎座を支配する。床を踏み鳴らす音は、空気を伝い観客の心身を揺さぶった。黒御簾でかねが打ち鳴らされた時は、恍惚とした祝祭感に頭の中が溶けるよう。お芝居の紹介で「ひと時、日常を忘れるような」というフレーズをしばしば聞く。まさにそんなひと時だった。活気に満ちた『七月大歌舞伎』は、7月24日までの上演。
取材・文=塚田史香