重い妊娠悪阻…。つらい日々を救ったのは優しい音色だった
現在1歳8ヶ月の男の子を育児中のライター“mimi”です。
出産を機に仕事を辞め、今は子育てに専念する毎日。好奇心旺盛でわんぱく盛りの息子に振り回されつつも、平和な日々を送っています。36歳、厄年の出産。予想外の妊娠発覚からつらかった初期のつわりで、落ち込んでばかりの自分を責めていました。
そんななか「前向きに出産と向き合い、健やかな子どもを生みたい!」と、気持ちが180度変わった瞬間があったのです。
このタイミングで…!? 予想外の妊娠発覚
交際期間が長く、三十路を過ぎても結婚の気配すらなかった私たち。「そろそろしとこうか」くらいの軽い気持ちで結婚をしました。年の瀬も迫った12月下旬のことです。
入籍だけ済ませ、年越しはふたりで過ごして、年始には両実家に挨拶にいこうと決めていました。しかし、どうも私の体調が優れませんでした。年明け早々に休日診療を受診したところ、ちょうど担当が婦人科専門のお医者さん。
私の症状を伝えると「胃腸炎かもしれないけど、妊娠も疑ってみては?」と言われました。これには寝耳に水でした。帰宅後、検査薬を試したところ、なんと陽性。お医者さんは私の体の変化を見抜いていたようです。
つわりの原因は、まさかの「うなぎ」
夫は音楽家、私は飲食店に勤めながら、ものづくりの作家活動の準備をしていたところでした。しばらくは2人きりの生活を送る前提で選んだ新居は、東京下町の小さな家。
裏にはうなぎ屋があり、タレと炭火の香ばしいにおいが漂っています。以前は気にならなかった「うなぎ」のにおいですが、妊娠がわかってからは、家の中に充満していると感じるように…。
そして、とうとう吐き気や立ちくらみを起こすまでになってしまったのです。日に日にその症状は悪化し、水も食べ物も喉を通らない有様。起き上がるのも苦痛で、朝は寝たまま夫を送り出し、帰ってくるまで同じ姿勢ということもありました。
家にいるのがつらい…。新婚2週間で別居生活に
当時の私はうなぎのにおいで呼吸すら苦痛。お風呂にも入れず、食事もできない状態でした。そして、なによりも一番悲しいのは、素直に歓喜の感情が湧いてこなかったこと。子どもを授かった喜びよりも、不安の方が勝っていました。
そんな私は自然と涙が出てくることもありました。病院で「妊娠悪阻(にんしんおそ)」の診断書をいただき、仕事も休みました。折しも夫の仕事が忙しく、ほとんど家にいられない時期。どんどん気持ちが落ち込み「出産を前向きに乗り越えられない。このままではダメだ!」と思うようになりました。
しかたなく、私だけ実家に戻ることを決意。両親は、やっと嫁にいった娘が2週間で出戻ってきたことに驚きつつも、私の身を案じて温かく迎えてくれました。
心に沁み入る、ヴァイオリンの優しい音色
実家に戻る前日の夜、私は悲しい気持ちで布団にもぐっていました。すると、細く優しい音色が聞こえてきたのです。隣で夫が静かにヴァイオリンを弾いてくれました。私が一番好きな曲「カノン」です。
不安も吐き気もスーッと解けてゆくような感覚を覚え、改めてその音色の美しさに涙が溢れました。私と子どもに対する愛情を込めた夫の演奏に、私は後ろ向きになっていた自分を恥じると同時に、その音色に勇気づけられたのです。
つわりが治まるまでの約2ヶ月間を実家で過ごし、つらくなってくると「カノン」を聞いていました。その間だけ、ほんの一瞬ですが吐き気も治まる気がするのです。「カノン」は、気持ちを前向きにするための私の大切なお守り。そっと静かに耳を傾けていました。
つわりの症状が治まりかけたころに、うなぎ屋近くの家から引っ越しました。子どものいる生活を考え、もう少しのんびりとしたところへと移ったのです。
その後、おなかの我が子も順調に成長し、妊娠39週と3日目の早朝、夫立ち会いのもと体重2924g、身長49.9cmにて無事に生まれてくれました。
産声を聞いたとき、「うれしい」と感じることができた自分に安堵しました。我が子を手渡された時のあの感触は忘れられません。この手に抱ける喜びを、ひしひしと実感しました。
[mimi*プロフィール]
1歳8ヶ月になる長男と、音楽家の夫の3人暮らし。出産を機に仕事を辞め、今は子育てに専念中です。季節感のある日々の生活を大切に、子どもと一緒にものづくりの分野で面白いことができないかと、模索しています。
※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。