【「2024年しずおか連詩の会」初参加詩人インタビュー③ 柴田聡子さん】「自分が書いているものは『詩』に当てはまらなそうだなという体感はあります」
10月31日からの3日間で現代詩全40編を創作し、11月3日に静岡市駿河区のグランシップで発表する「しずおか連詩の会」(県文化財団、県主催、静岡新聞社・静岡放送共催)に参加する詩人5人の中から、初参加の3人に話を聞くインタビューシリーズ。第3回はシンガー・ソングライターで詩人の柴田聡子さん。 (聞き手=論説委員・橋爪充)
しばた・さとこ 2012年「しばたさとこ島」でデビュー。2016年に詩集「さばーく」を上梓し、現代詩の新人賞を受賞。2024年は2月のアルバム「Your Favorite Things」に続き、10月23日に「My Favorite Things」をリリース。
今は「歌詞」しか書いていない
-音楽と現代詩をクロスオーバーするような活動は、いつ頃から意識していたのでしょうか。
柴田:自分としては、最初から「歌詞」しか書いていないつもりなんです。歌として歌わない、メロディーに乗せないものを「詩」と位置づけていたりもしたんですが、なんだかよく分からない。音楽活動を中心にしていくことで、「寺」の付いた「詩」は書くことが少なくなっていって、今は歌詞しか書いていないと思っています。
-詩の依頼もありますよね。
柴田:そういう時もなにをもって「詩」としていいのか、やはりわからない。詩人の方が書いている「詩」、世間でいう「詩」を見ると、自分が書いているものは「詩」に当てはまらなそうだなという体感はあります。
-現代詩の作品に最初に触れたのはいつ頃ですか。
柴田:小学校の国語の授業ですかね。教科書にのっている、現代詩というより近代詩のようなものだったと思います。
-音楽に接したのは、その後でしょうか。
柴田:中学生、高校生ぐらいから積極的にいろいろ聴き始めました。自分で曲を作るようになったのは大学生になってからですね。
-「詩」というか、歌詞も大学生のときに作り始めたんですね。
柴田:当時は歌詞としてしか捉えていませんでした。好きな詩人はいましたが、詩集を読んだりする時間より、楽器に接したり音楽を聴いたりする時間の方が長かったですね。
-そういう経過をたどっているのに、いわゆる「現代詩」的な歌詞ができていく。この成り行きをどう認識していますか。
柴田:ファーストアルバム(2012年の「しばたさとこ島」)の曲を作っている頃は、周りにあまり人がいなかったんです。1人2人の作業で、私の書くものについて何も言われない。「面白い音だね」ぐらいの感じで受け入れてくれる人との共同作業だったんです。だから、いい意味で「世の中ではこういうものが歌詞と言われている」とか、「こういうものが詩と呼ばれている」とか、そうしたことにあんまり触れてこなかった。自分の中である程度分析のようなことはしていましたが、あまり外からの影響を積極的に取り入れなかった。それが良かったのかもしれません。
山本精一さんからの影響
-歌詞として影響を受けた人はいるんですか。
柴田:山本精一さんですね。本当にさまざまな音楽をやっていらっしゃる。尊敬しています。山本さんの歌詞については、本当に人生が変わるレベルですね。
-どんな点に引かれるんですか。
柴田:「なぞなぞ」というソロアルバム(2003年)があって、(山本さんのバンド)「想い出波止場」や「ボアダムス」とも違う、1人だけで考えたような作品なんです。当たり前のことをただ当たり前に言っていて、ものすごく胸に突き刺さりました。
-特に好きな曲はあるんでしょうか。
柴田:アルバムの1曲目「もの投げるなや」ですね。「腹が立つからといってもの投げるなや ものは投げたらこわれる」という歌詞。これしかない、これだよなって。泣いてしまうとか、心を強く揺さぶられるとか、高揚するとか。そういう感情の先導のようなものを一切排除して。言葉をものすごく精査して、人の心にまっすぐ届ける。それが今、歌詞として、詩として目指す所ですね。
-2016年に詩集「さばーく」を発刊しました。どういう経緯だったんですか。
柴田:(定期的にライブをしていたライブ・スペース)「試聴室」の方が「歌詞をまとめて詩集を出しましょう」と言ってくれたんです。詩集と銘打って出すことが果たしてできるんだろうか、と疑問があったので当初は積極的な返事ができませんでした。その後、(雑誌)「ユリイカ」の元編集長の須川善行さんが編集に入ってくれることになって、それなら作れるかもしれないと思いました。須川さんが、それまでに発表していた歌詞やテキストを見て、目次を決めてくださったという記憶があります。
-この作品がエルスール財団新人賞現代詩部門に選ばれました。「しずおか連詩の会」のさばき手を務める野村喜和夫さんが選考委員です。
柴田:強く推してくださったのは、前年の受賞者だったカニエ・ナハさんだったんですね。カニエさんは、私が初めて出会った「現代を生きている詩人」でした。私が歌詞としか思っていなくて、詩として出したら怒られるんじゃないかと思っていた所を飛び越えて、「これは詩です」と。「音楽の歌詞でもあり詩でもある」というおおらかな形で私の書くものを見てくださった方ですね。
-現代詩の世界と付き合いを深めるきっかけになったんですか。
柴田:受賞ということになったんですけど、当時は私、コミュニケーション能力が低くて。せっかくカニエさんと野村さんが現代詩の世界と歌詞の世界の垣根を取り払ってくれたのに、詩人の方々との交流が持てなくて。完全に自分の問題です。詩人の皆さんに対して引け目を感じて、あまり交流しに行けなかった。今回、野村さんにお声かけいただき、一緒に(詩を)作る機会が巡ってきた。ありがたいと思っています。
初めて「詩」を書くような気持ちで
-歌詞は、どうやってできあがるんでしょうか。曲と一緒出てくるんですか。
柴田:だいたい同時です。でもセオリーはなくて、曲が先でも詞が先でも、その二つが同時にできてもいいと思っています。
-歌詞のタイプとして、輪郭を強く作っていくものと、単語の集積で内側からイメージを作っていくものがあるように感じます。言葉で何かを伝えようとする時に、心がけていることはありますか。
柴田:「これを書きたいな」というのはぼんやりあるんですけど、それを言葉にして1行にしてもあんまり意味がない。自分が思い描いていたようなことが書けることもあれば、違うことになっている場合もある。ゴールを目指して書くより、何を描きたいのかを考えながら書いていくような作業ですね。
-これまでに「連詩」に接したことはありますか。
柴田:恥ずかしながら、連詩という形式を知りませんでした。お誘いいただいてから大岡信さんの著作や「しずおか連詩」をまとめた本を読んだりして想像を膨らめました。みんなで(詩の世界を)開いていこうという精神を感じます。大岡さんをはじめ連詩を始めた方々は、「詩を開く」ことを楽しみながら、希望を持って取り組んでいたんでしょうね。そして、いまだに実験が繰り返されている。
-「しずおか連詩の会」の参加に当たって、どんなことを考えますか。
柴田:普段は1人で作ることが多いので、乗り越えていかなくてはいけないことも多いはず。自分が閉じそうになったり、あきらめそうになったり。今までの自分の考えを変えていくとか、素直にその場を受け止めるとか、そういったことが必要になるでしょう。初めて「詩」を書くような気持ちで行こうかなと思っています。