地下アイドルだった私が、運用額2,000億の投資ファンドに勤務した理由。米国の超名門UCバークレー入学
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25歳にして、家賃70万と言われるマンハッタンで投資家として活動するonodela(小野寺ポプコから改名)さんは、ステージ上でいじめを告発し、中指を立ててグループを脱退した“元アイドル”です。早稲田大学卒業後に、超名門と名高いカリフォルニア大学バークレー校(以下、UCバークレー)の大学院へ進学。現在はいわゆる“金融エリート”になり、ニューヨークと日本の2拠点生活で「1カ月の半分は旅行」という自由なライフスタイルを楽しんでいます。アイドルを辞めたあとはDJ活動をしたものの、うまくいかなかったと語るonodelaさん。どうやってアイドルから投資家へと転身し、自由なはたらき方を叶えたのか伺いました。
いじめ告発の「中指立てアイドル」からDJへ転向
―2019年夏にステージ上で中指を立てていじめを告発し、そのままグループを脱退されました。当時を振り返って、今はどう感じていますか?
メンバーとの衝突があり、本番直前に社長から「君、今日出なくていいんだよ」と言われて、我慢できずに衝動で行動してしまいました。でも「あの告発に救われた」と言ってくれる人もいて、意外にポジティブな影響があったと感じています。実際、あの動画はいまだにTikTokで見られているようで、10代の子たちからSNSでメッセージをもらうこともあるんです。「いじめはおかしい」と声を上げるきっかけにもなったなら良かったかなと思います。
―その後、早稲田大学在学中に就活やインターンも経験されたとか。
金融会社でインターンをしたんですが、会社でも「中指立て動画の子」としてちょっと噂になっていたみたいです(笑)。当時の社長は「辞める時にまた中指立てないでね」なんて冗談で受け止めてくれて、肯定的な反応でしたね。周りからも「面白い子」という扱いで、逆にやりやすかったです。
―22歳でアイドル脱退後、翌月からDJ活動を始めたのはなぜでしょう?特別なDJスキルがあったわけではないそうですが……。
もともとヒップホップが好きで、いつかラッパーの方のバックDJをやれたら面白いなと思っていたんです。「脱退で話題になった元アイドル」という話題性も手伝ってか、クラブ側から声をかけてくださったんですよね。やると決めた以上は「どうやったら自分の強みが発揮できるか」を意識しました。アイドル時代もセルフプロデュースや盛り上げ方を学んでいたので、それをDJにも活かした感じです。
―大阪の野外フェスやクラブなど大きな現場で“動員ゼロ”も経験したと伺いました。どう乗り越えましたか?
そんなに気にならなかったです。国民的アイドルになったAKBだって、初期はライブ会場に来るお客さんが数人しかいなかったから「最初はそんなものだよね」って。でも、その後もあまり集客できず「やっぱり金融の道に進んだほうがいいんじゃないか」と進路を見つめ直しました。
早稲田大卒業後、金融の名門・UCバークレーへ
―現在は投資家として生計を立てていらっしゃいますが、「金融工学を学びたい」と思ったのはいつごろだったんですか?
大学3年生のときです。DJとしての活動に限界を感じて、金融工学を学ぼうと方向転換したんです。金融工学は株価や為替といった金融資産の価格を統計学やプログラミングで分析する学問で、世界で最先端を走っているのがUCバークレーでした。女性が活躍するには狭き門とも言われる金融業界で上に行くには、トップの学校で学ぶしかないと思ったんです。
―小さいころから投資をするなど、金融全般に馴染みがあったとも伺っています。大学3年で金融の道を本格的に志したのも、その下地があったからですか?
たしかに投資や金融自体は高校時代から好きでしたが、金融工学で必要になる高度な数学やプログラミングはやってきませんでした。だからこそ、本格的に取り組むにはインターンの経験が必要だと思って、大学3年生で大学時代の人脈をフル活用しながら金融会社(ヘッジファンド)でインターンすることにしたんです。そこは運用額2,000億円規模の金融会社で、金融工学を使った投資をしている会社でした。UCバークレーの金融工学プログラムを受けるには実務経験も評価対象になるので、インターンさせてほしいとお願いして。インターン先で実務を学んだおかげで、なんとかUCバークレーの大学院に合格しました。
―UCバークレーでの学生生活はどうでしたか?
正直、課題は多いし試験も2週間に1回あるし、すべて乗り切れるか不安でした。でも最後まで投げ出さずにやり遂げたことで「あ、私ってこんなに粘れるんだ」と自分を見直すきっかけになりましたね。
―2024年5月の卒業式で“卒業生総代”として英語でのスピーチを任された理由は?
アメリカではリーダーシップがかなり重視されるので、鍛えるために立候補したんです。英語で数分間話すのは緊張しましたけど、過去の挫折を踏まえて「一度の失敗で人生は終わらない」と胸を張って伝えられて、自信がつきました。
ニューヨークとの2拠点生活で、家賃70万円を支払える理由
―現在はマンハッタンの「家賃が月70万円」とも言われる物件に住み、1カ月の半分は旅行されているとのこと。どんなはたらき方で生活を成り立たせているんでしょう?
主な収入源は資産運用の収益です。1日3~4時間ほどは投資先の情報収集やポートフォリオの調整、いわゆる運用業務を毎日行うんですが、10時間以上没頭することもありますね。金融工学を学んだ経験はもちろん、ヘッジファンドでのインターンや留学中の研究で養った数字を読む力が活きています。安定した収入源を得たおかげで「どこで暮らすか」を自分で選べるようになりました。
―投資といってもリスクが伴うと思います。始める上で気をつけるべきポイントは?
最大のNG行為は「みんながやっているから自分も」というノリで大きなお金を動かすこと。相場が上下したときに、背景を理解していないと簡単に売却してしまうんです。“自分なりにここはイケる”と確信できるだけの知識と裏付けが必要ですね。まずは小額で試したほうがいいですね。いきなり大金を突っ込んで失敗すると「もう投資はこりごり」ってなってしまうので、少しずつリスクに慣れていくのがいいと思います。
―投資家として生計を立てられると、生活の自由度もかなり変わるのでしょうか?
変わりますね。私の場合は「投資家=一生の仕事」というよりも、投資の収益で活動範囲を広げたいんです。お金のためにフルタイムではたらくのではなく、将来100%情熱を注げる何かに出会ったときにすぐ動けるよう、投資で経済的自由を確保しています。金融は今のところ“好き度50%”くらい(笑)。アイドルが“好き度80%”だったので、いつか“好き度100%”を見つけたい。その準備をしながらニューヨークと日本の2拠点生活を楽しんでいます。
―25歳にして日米2拠点生活を実現して、“自由”の捉え方は昔と変わりましたか?
変わりました。以前は「自由=好き勝手に振る舞うこと」みたいなイメージだったんです。でも今は「自分が心からやりたいことに時間やお金を使える状態」が自由なんだなって思います。ニューヨークと日本を行き来できるのも、投資である程度の収入が確保できているから。毎日長時間はたらかなくても暮らしていけることで、新しい勉強や趣味に挑戦する余裕が生まれました。たとえば心理学を学び直したい気持ちもありますし、ゲーム開発に携わってみたいという夢もあります。
―これからも自由なはたらき方を楽しむために、大事にしたいことは?
「行動力があれば道は開ける」と信じること。「一度の失敗で人生は終わり」なんてことはありません。だから子どものころみたいに、とりあえずやってみる好奇心も忘れないでいたいです。大人になると何かと目的や効率ばかり考えがちですけど、ときには失敗を含めて経験するからこそ、自分の世界が広がるんですよね。迷うことや後悔することがあっても、それを新しいステージを切りひらく材料にしていきます。
(「スタジオパーソル」編集部/文:秋カヲリ 撮影:タカハシ郁海)