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和泉式部は魔性の女だった? ドラマチックすぎる恋愛模様と『和泉式部日記』の魅力

さんたつ

逢瀬

紫式部とともに、藤原彰子のもとに仕えていた、和泉式部。彼女はこの連載でも一度紹介したように、敦道親王との恋愛模様を『和泉式部日記』に残したことで知られている。敦道親王が亡くなってから、その思い出を記すように、日記に綴ったのである。今回は『和泉式部日記』のさらなる魅力をお伝えしたい。

自分のことを「女」と書いた和泉式部

『和泉式部日記』の面白いところは、自分のことを「女」と書いているところ。ある意味、少し物語のように自分を俯瞰して眺めながら、恋愛の様子を綴っているのだ。どのような意図でこのような書き方をしたのかは和泉式部にしかわからないが、恋愛をさらにドラマチックに見せている効果があるのではないかと私は感じている。

たとえば、敦道親王に連れられ、夜に和泉式部が親王の邸で泊まった夜のこと。親王の邸から帰る道すがら、和泉式部は「もうこんなことやめにしよう!」と思う。

〈訳〉

女は、親王の邸からの帰路、こんなことを思った。

「こんなふうに女性が夜に外出しているなんて、やばすぎる、世間の人にどんなふうに思われるか!」

そう心配した。

しかし脳裏には、とても美しい、朝焼けに照らされた宮様の姿がよぎる。

そこで歌を詠んだ。

「たとえあなたを夜に帰宅させることはあったとしても、朝帰りをさせたくないのです。だからこんなふうに会うのはもうやめましょう。苦しいの」

この歌を親王に送ると、返事が返ってきた。

「朝露の時間に起きる方がずっとましです、あなたに会えずに帰る夜に比べたら……。

おっしゃることは納得できません。今夜はあなたの邸の方角へ占いで行ってはいけない、と出ているので、あなたにうちの邸に来てもらうよう、車を出します」

女は「女性が夜に男性の邸に行くなんて、恥ずかしすぎる! しかもこんなふうに毎晩だなんて」と思った。が、親王はやっぱり昨日と同じように車で迎えにあがらせてきた。

「はやく乗って!」

と車をうちに寄せておっしゃるので、

「人からはどんなふうに思われているやら……」と内心ひやひやしつつ、結局邸から出て車に乗った。そして昨日と同じ邸で一夜を過ごした。

親王さまの正妻の方は、親王さまは冷泉院のお父様のところへ行ったのだと、思っているらしい。

〈原文〉

女、道すがら、あやしの歩きや、人いかに思はむ、と思ふ。あけぼのの御姿の、なべてならず見えつるも、思ひ出でられて、

「宵ごとに帰しはすともいかでなほあかつき起きを君にせさせじ苦しかりけり」

とあれば、

「朝露のおくる思ひにくらぶればただに帰らむ宵はまされり。

さらにかかることは聞かじ。よさりは方塞がりたり。御迎へに参らむ」とあり。あな見苦し、つねには、と思へども、例の車にておはしたり。さし寄せて、「早や、早や」とあれば、さも見苦しきわざかな、と思ふ思ふゐざり出でて乗りぬれば、昨夜の所にて物語りし給ふ。

上は、院の御方にわたらせ給ふ、とおぼす。

(角川ソフィア文庫『和泉式部日記 現代語訳つき』より原文は引用、現代語訳は筆者作成)

……ドラマチックすぎる。

前提として、平安時代は男性が女性の邸に通うのが常識だった。「通い婚」という言葉を古典の授業で聞いたことがある方もいるかもしれないが、基本的に恋愛関係にある男女において、女性は待つ側、男性は通う側、というのが常識的なのである。

が、このふたりの場合は、事情が少し違った。なんせ相手は親王である。普通であれば、自由に恋愛できない身。しかし親王は和泉式部にほれ込んでいる。そこで、親王は和泉式部の邸に牛車を出し、要はお迎えにあがり、無理やり親王の邸に連れていく、というのが逢瀬になっていたのだ。

ある意味パフォーマンス的?

はっきり言って当時にあって、外泊する女性というのは前代未聞だったであろう。狭い平安時代の都、噂にもなりやすい。だがそんなことも構わずふたりは牛車からの逢瀬を続けていた。

このような前提を知って読むと、よりドラマチックさが理解できるのではないだろうか。

しかしこういうことを和泉式部みずから『和泉式部日記』に書いていたというのは、ある意味パフォーマンス的であるともいえるのではないか、と私は思っている。

つまり、和泉式部としてはこのような弁明をおこないたかったのではないか、ということだ。

「いや、世間の人からしたら、私(和泉式部)が若き親王さまをたぶらかしたかのように思われていますが! 違います、私はちゃんと『こんな逢瀬はどんな噂になるかもわからないから、ひとまずやめましょう』と断ったんです! だけど親王さまが『いや、それはだめだ、納得できない、牛車で今晩も迎えにあがります』と言ったんです!」と。

世間にスキャンダルの内情を説明するパフォーマンスとして『和泉式部日記』を読んでいくと、「女」と和泉式部が自らを少し客観的に記しているのも、なんとなく理由が分かるような気がする。自分の心情説明とともに、客観的にこれは出来事を語っているのだと世間に伝えたかったのかもしれない、と私は妄想している。

和泉式部の和歌をさらに素敵に見せる背景

しかし『和泉式部日記』は和泉式部自身の筆が乗って、恋愛描写などは本当にノリノリ、というかドラマチックに描きすぎている場面も多々ある。そりゃ『和泉式部日記』を読んだ人は和泉式部のことを魔性の女だと思い込むだろうし、誤解した女性像を抱く人も多いのでは……と現代人の私ですら思う。しかしそんなドラマチックな背景こそ、和泉式部の和歌をさらに素敵に見せているのかもしれない。

御所まわりを夜に歩くとき、和泉式部と敦道親王の逢瀬を妄想しつつ歩いてみるのも一興かもしれない。

文=三宅香帆 写真=PhotoAC
※画像はイメージです。

三宅香帆
書評家・作家
書評家、作家。1994年生まれ。高知県出身。京都大学大学院卒。著書に『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』『(萌えすぎて)絶対忘れない! 妄想古文』『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』『娘が母を殺すには?』『30日de源氏物語』他多数。「スマホを持ってる紫式部」Xアカウントのライティングを担当。

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