子ども2人が発達障害。学校呼び出し、母子登校…断念した再就職が叶ったきっかけは【読者体験談】
監修:室伏佑香
東京女子医科大学八千代医療センター 神経小児科/名古屋市立大学大学院 医学研究科 生殖・遺伝医学講座 新生児・小児医学 博士課程
子どもが小学生になったら「仕事復帰」。願いは叶わず
私は妊娠中の悪阻がひどかったこともあり妊娠中に退職してからは、復職せず子育てに専念してきました。子どもたちが2人とも小学校に上がったら「仕事復帰するぞ!」と目標を掲げていましたが、2人ともに発達障害と診断されました。
現在高校3年生の娘、高校1年生の息子は、二人とも小学校1年生でADHD(注意欠如多動症)、ASD(自閉スペクトラム症)の診断を受けました。行き渋りや早退、学校トラブルなどがある子どもたちへの対応を優先すると、平日私が仕事をすることはどうしても難しいと感じました。夫からは「お金は何とかするから、できるだけ子どもたちを優先させて欲しい」と言われていたため、私は子どもの対応を最優先する生活を選びました。夫も会社に家族のことを相談、残業を減らして私や子どもたちへの支援に積極的に参加してくれました。
そんな私が仕事復帰するまでと、それに対する子どもたちの反応についてお話します。
息子の癇癪で学校呼び出し。娘は母子登校、帰宅後パニックになることも
娘が小学校3年生、息子が1年生になったら仕事に復帰しよう……そう思っていましたが、その頃は働くことなど考えることができないほど、子育てで精一杯の毎日を過ごしていました。
息子は癇癪があり、物を投げたり叫んだりして、授業を中断することが多々ありました。通常学級に所属していたため、担任の先生一人では対応できず、教頭先生が息子に個別で対応をしてくださいました。それでも私のところに早退の連絡が入り、学校に駆けつけることも……。
娘は、小学校への行き渋りがあり、娘のペースで母子登校する時期がありました。登校してしまえば何とか学校生活を送ってくるのですが、心への負荷が強いようで、帰宅後にはパニックが起こり大変苦労しました。
当時の私は必死でした。学校との面談も多く行い、学校とは連携を密にしていました。
放課後等デイサービスがきっかけで私の生活に変化が!
先生やスクールカウンセラーさんとも相談する中で、生活リズムをつけるために放課後等デイサービスを利用するのがいいのではないかという話がでました。基本的に家に居たがる傾向が強い子どもたちでしたので、行ってくれるか不安でしたが、放課後等デイサービスは学校よりも自由度が高いスケジュールの中で動いていくので、子どもたちにとって、過ごしやすい空間だったようです。予想に反して、スムーズに慣れていってくれました。
そして見事に生活リズムがつき、その結果、私の時間に余裕ができたのです。
隙間時間に、何かできないかな……と考えた時に、諦めていた「仕事」のことが浮かびました。仕事復帰したい!という気持ちが芽生えると、止まりませんでした。
職場に「子どもたちに障害がある」と伝えるも、理解されていない……?
私が働きたいと思った理由は、私が「○ちゃんのお母さん」と呼ばれる存在ではなく、一般社会に私個人として繋がりが欲しいと思ったからです。
実際に今仕事をしていているのですが、職場で「△さん!おはよう」と言われると、不思議と元気が出ます。私自身が元気で気持ちにゆとりがあると、子どもたちにも優しく接することができます。「働くこと=お金を得る」ことだけでなく、私自身の気持ちの安定のためにも、社会で働くことは必要でした。
私は看護師の資格を持っています。まずは短時間のパートを探して就職しました。「子どもたちに障害がある」ことは職場にも伝えました。ですが、職場仲間にはあまり理解されていなかったように感じています。子どもの癇癪やパニックで仕事を休む……となると、みんな不思議そうな顔をしていました。子どもが大きくなるにつれて、「中学生でもまだ親の手助けが必要なの?」と聞かれたこともあります。確かに定型発達のお子さんだと中学生になると友だちと出かけたり、一人で買い物にいったりすることは普通だと思います。でもわが家は……と落ち込むこともありました。ですが、今の職場は休みが取りやすいこともあり、5年以上勤続できています。
働く私への子どもの反応
また、娘は、クラスのお友だちに「私のお母さんは看護師なんだよ。頑張ってるんだよ」と自慢したようです。母の背中をみて、成長してくれると嬉しいなぁと感じました。
上司からは「常勤にならないか」との話も出ていますが、子どもたちのことを考えると、緊急時に動きやすいほうが、ありがたいと思いパートを続けています。
子どもたちも成長し、娘は大学進学が決まりました。息子は高校卒業後は専門学校で自分の夢を叶えるため勉強を続ける予定です。障害者手帳を持っているので、将来はグループホームへの入所も検討しています。
まだフルタイムでは働くことは難しいですが、少しでも外で働くことは私にとって欠かせないものになっています。子どもたちがこのまま手を離れていったら私の働き方も変わるかもしれませんが、しばらくは家庭と仕事のバランスを取りながら、生活していきたいと思っています。
イラスト/星あかり
※エピソード参考者のお名前はご希望により非公開とさせていただきます。
(監修:室伏先生より)
復職されるまでの経緯やお気持ちを詳しく共有してくださり、ありがとうございました。今はお仕事をする余裕がないけれど、本心ではお仕事をしたいと思っているご家族にとって、この記事は大きな希望の光になったのではないでしょうか。お子さまが安心して通える放課後等デイサービスを見つけられ、お母さまも活き活きとお仕事に取り組めるようになったとのこと、とても素晴らしいことだと思います。育児のためにやむを得ず退職や休職を選ばざるを得ないご家庭も少なくないと思います。放課後等デイサービスは、ご家族の負担を軽減してくれる大切なサービスですが、通える日数が限られているお子さまや、ニーズに合った施設を見つけることが難しい場合もあると伺います。放課後等デイサービスに限らず、発達障害児支援のさらなる充実により、ご家族の負担が少しでも軽減されることを願っています。
(コラム内の障害名表記について)
コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。
神経発達症
発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。
知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。
※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。
ASD(自閉スペクトラム症)
自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
ADHD(注意欠如多動症)
注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如・多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。
ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。