福岡・志免町で祖母から娘、孫へと受け継がれる大分郷土料理店「家伝料理はな」
志免町で21年、大分郷土料理の「家伝料理はな」
志免町から宇美町へ南北に縦断する国道68号線沿いに「家伝料理はな」という大分郷土料理を中心とした食堂がある。だんご汁やとり天などの定食がボリューム満点で安くて美味しいと人気の店だ。
10年ほど前、僕が志免町辺りでしょっちゅう遊んでいた頃に近隣の知り合いからお勧めされたのが最初だった。店主の宮丸佳子さんがお母さんの本田ミトリさん(当時71歳)と2人で店を切り盛りしていて、昼は食堂、夜は居酒屋というスタイルで地元に馴染んだ店だった。
現在は、ミトリさんの孫にあたる徹也さん(28歳)が佳子さんから店を引き継ぎ、ミトリさんと一緒に店に立っている。娘と母で始まって、現在は祖母と孫による経営に変わりながらも志免町で21年続いている「家伝料理はな」。そのルーツについて、ミトリさんと徹也さんに話を聞いてみた。
左から佳子さん、ミトリさん、徹也さん
大分県でドライブインを経営していたミトリさん
そもそもミトリさんは、大分県速見郡日出町で23歳の頃から家族でドライブインを経営していたそうだ。昭和40年頃の話だ。当時はファミリーレストランもコンビニエンスストアもなく、なんなら高速道路もまだまだ整備されていない時代。主要な国道や県道には数キロおきにドライブインと呼ばれる駐車場を完備した大型の食堂やレストランがあった。
話はそれるが、当時、外食と言うのは日常ではなかった。だから家族で外食というとちょっとしたイベントだった。そういう時に決まって行くのが、デパートの最上階にあるレストランかドライブインというのが一般的だった。
さて、実家の事業の関係で北九州市から家族で引っ越してきて日出町でドライブインを始めたミトリさん。まさか料理人になるとは思ってなかったというが、その明るい性格と話好きな性格が相まって店は繁盛した。日本が高度成長のど真ん中で景気が良かったという要因もあるかもしれない。ただ荒っぽい時代でもあったので酔っ払いや粗暴な客を相手にミトリさんは女将として毅然とした振る舞いを貫き通しドライブインの看板を守ってきたという。
「どんなメニューを出してたんですか?」と聞いてみると「当時からだんご汁は人気でしたね。大分のだんご汁と言えばきしめんのような平たく帯状のものが主流だったんですが、私は薄くちぎるスタイルで出してましたね。今でもそのやり方です」とミトリさん。
久留米出身の僕も小さい頃から祖母がこれと同様にちぎるスタイルでだんご汁を作ってくれていたので、最初に食べた時から何か懐かしさが溢れたのを思い出す。
一人前用の鉄鍋に、だんごと鶏肉と野菜がたっぷり入っただんご汁だが、味噌味がまた美味しいのだ。「だんご汁の味噌は、大分県杵築市の味噌メーカーから仕入れています。60年間ずっと同じ味噌を使ってるんですよ」とミトリさん。「やっぱり、そうなんですね。良い意味で田舎っぽさのある昔ながらの味で僕も大好きなんです」と僕。
「家伝料理はな」の だんご汁定食(950円)
さて、もう一つの郷土料理、とり天の話も聞いてみた。「とり天もその頃から人気だったんですか?」と聞くと、ミトリさんは「とり天は昔はそんなに人気でもなかったし、大分名物っていうことも知らなかったですけどね。20〜30年前くらい前からですかね、大分といえばとり天というのを聞くようになりましたね。だんご汁と並んで今ではうちでも看板商品です」という。
調べてみると、とり天の発祥は別府市で1926年開業の「レストラン東洋軒」で「鶏肉ノテンプラ」と紹介されたのが最初と書かれている。また1953年開業の「三ツ葉グリル」や「いこい」「キッチン丸山」が「とり天」の発祥店という説もあるようだ。どちらにしろ歴史のある料理であり今ではすっかり大分県の名物料理となっているのは間違いない。
「家伝料理はな」の とり天定食(950円)
志免町で「家伝料理はな」を開業
大分県にて家族経営でドライブインをしながら子供達を育て上げた後、ドライブインは38年間の営業をもって閉業していた。時代とともに交通事情や飲食業界も変化していきドライブインという営業スタイルもなかなか厳しい時代になっていたかもしれない。
ちょうどその後に、福岡県宇美町に住んでいた娘の佳子さんが「お母さん、福岡に引っ越してこない?そして一緒に食堂をやらない?」と声をかけたそうだ。今から21年前、ミトリさんが61歳の時だった。ミトリさんは佳子さんに頼まれたのを機に、福岡県志免町に移住することを決意したそうだ。「家伝料理はな」の誕生だ。
佳子さんが女将として店を経営して、料理はミトリさんが担当。ドライブイン時代からのレシピをそのままに、だんご汁、とり天の他にも鶏肉料理をメインに数多くの定食や料理を提供してきた。ミトリさんが作るとり天はジューシーに揚がった鶏むね肉がボリューム満点で美味しい。ドライブイン時代からずっと人気があるのがうなずける。「家伝料理はな」ではお腹に余裕にある人は、だんご汁ととり天を組み合わせた、はな定食(1,350円)がおすすめだ。
はな定食(1,350円)
メニューは他にも、ちきん南蛮定食(960円)、生姜焼き定食(930円)、おむらいす(800円)、やきめし(800円)など昭和の懐かしい雰囲気を残したお手頃価格でボリューミーな定食がずらり。ランチタイムは、食後のコーヒー付だ。
おむらいす(800円)
昼も夜も同じ価格の定食メニュー
COVID-19による転機
ミトリさんと佳子さんとで20年近く「家伝料理はな」を経営してきた頃、COVID-19が世の中を震えあがらせた。夜の居酒屋営業は全くできないし、ランチもまともに営業できない状況が続いた。佳子さんは先の見えない世の中の動向にこの先どうしたら良いか分からない状態だった。このまま「家伝料理はな」を続けていく自信さえ無くなりかけてきていた。佳子さんは徹也さんたち子供を育て上げ、そろそろ店を閉めても良いかなと考えていたタイミングでのCOVID-19だった。
そんな時だった。佳子さんの息子である徹也さんがCOVID-19の影響により勤務先の居酒屋を退職することになった。しばらくは求職活動をしていた徹也さんだったが、飲食業界は皆同じく大変な時代だ。飲食業界での再就職は難しかった。
徹也さんは料理が好きで自ら飲食業で働くことを選び、今後もこの業界で働き続けることを心に決めていた。お店の継続を望んでいた家族や兄妹たちとの会議の結果、徹也さんは再就職を辞めて、「家伝料理はな」を手伝うという話になったそうだ。それと同時に佳子さんは徹也さんへ事業を引き継ぎこれを機会に店から離れるということになったのだという。徹也さんが25歳の時だった。
佳子さんから徹也さんへの事業承継された「家伝料理はな」
しかし時はコロナ禍である。店の通常営業ができないので最初は弁当の販売に力を入れた。SNSを使って小まめに店の営業情報もアップしていった。午前中から弁当販売の営業をするなど、とにかくできることはなんでもやった。
営業自粛などの規制が緩くなってからは、積極的にランチ営業にも力を入れ出した。そうやってなんとかあの苦難の時代を乗り切ることができた。
「現在はお昼時の売上は以前の3倍くらいになって忙しくさせてもらってます」と徹也さん。ランチ時にはお店の外にも待ち人が並ぶことも増えてきた。
「志免町の地元だけでなく、福岡市内からはもちろん、最近は県外からもウチを目当てに来てくれるお客さんも増えて来たんですよ」とミトリさん。
今でも弁当販売には力を入れており、法人関係の大口のお客さんへの弁当配達も増えてきたそうだ。スタッフも増やして現在は4〜5人の体制でお店を回している。
いよいよ夜営業も本格的に再開
コロナ禍明けも限定的にしか営業していなかった夜営業だったが、今年の10月からは全面的に夜営業も再開した。基本的には居酒屋営業もやっていくが、昼同様のメニューを昼夜とも同じ価格で提供することにした。
「夜も定食だけのお客さんも受け入れてます。ワンドリンクなしでも大丈夫です。居酒屋というスタイルにこだわっていくのはこれからの時代を考えるとしばらくは厳しいと思うので、食堂スタイルで頑張ります。もちろん、居酒屋営業もやりますので、忘年会シーズンなどは団体のお客様なども大歓迎です」と徹也さん。とりあえずは、弁当、食堂、居酒屋の3本柱で頑張っていくそうだ。
しかし本音と言えば、「昔みたいに夜もワイワイと賑わう時代が戻ってくると嬉しんですけどね。そうなったら、日本酒をたくさん揃えて、日本酒と料理が楽しめる店をしたいという夢があるんです。もともと僕は居酒屋で修行していたのでやっぱり賑やかな夜の店が大好きなんです」と徹也さん。
地元に根付く「家伝料理はな」を目指して
さてさてそんな徹也さんのことを一緒に働いている祖母であるミトリさんはどう思っているのだろうか。
「あんまり本人を目の前にして褒めるのことはしないんですが、徹也は調理だけでなく接客や飲食店経営のことも学んできているし、数字にも強くて頼もしいですね」とのこと。
そんなミトリさんだが、毎日ちゃんと化粧もされて元気にお客の前で調理に励まれている。「化粧なんて休みの日は全くしませんけどね」と言いながら、化粧することによって仕事モードのスイッチが入るのだろう。背筋がピンとしてとても82歳とは思えない姿勢の良さと元気はつらつのミトリさんだ。
「そんなに言われても、もう82歳やけんね、いつまでできるかどうか」とミトリさん。いやいやそんなことは言わずに今までのお客さんのためにも末長く頑張ってもらいたいものだ。
そしてそんなミトリさんと一緒に店主として今日も大きな声でニコニコしながら接客と調理に励む徹也さん。「いつもありがとうございます!!またお願いします!!」という徹也さんの声が今日も店内に響いている。飲食店として当たり前の掛け声だが、こんなに元気に心を込めて気持ち良く笑顔で声に出してる店はそんなにないな、といつも思う。
娘と母というコンビで始まり、そして現在は祖母と孫というコンビで元気に営業している「家伝料理はな」。これからも志免町で地元に愛される食堂・居酒屋として末長く続いてもらいたいものだ。志免町方面に寄られる際は是非徹也さんとミトリさんコンビの定食を楽しんでみてはいかがでしょうか。
家伝料理 はな
福岡県糟屋郡志免町志免中央2-1-30
092-935-2050
上野万太郎
ここ15年以上、外食写真日記的なブログ「万太郎.net」で福岡を中心とした飲食店の人々やお客さんと関わったエピソードを発信。著書は「福岡カフェ散歩」(書肆侃侃房/2012年)、「福岡のまいにちカレー」(書肆侃侃房/2014年)。インスタID:mantaro_club