【インタビュー】藤原竜也×土屋太鳳~彩の国シェイクスピア・シリーズ2ndの第二弾『マクベス』で舞台初共演
彩の国さいたま芸術劇場の名物である彩の国シェイクスピア・シリーズ2ndの第二弾は『マクベス』(2025年5月8日〜25日 彩の国さいたま芸術劇場 大ホール)。シェイクスピアの4大悲劇のなかのひとつであり、『ハムレット』と並ぶ人気作だ。スコットランド王ダンカンに仕えるマクベスは嵐の荒野で、3人の魔女たちから王になると予言を受ける。マクベス夫人は夫を予言どおり王にしようと陰謀を企てて……。過度な野心を募らせたマクベス夫妻の向かう先は天国か地獄かーー。
人生の高低差の激しさに巻き込まれるマクベスを演じるのは、前シリーズのトリ『終わりよければすべてよし』(21年)で主演を務めた藤原竜也。宣伝チラシには「藤原マクベス」とある。藤原といえば『ハムレット』が代表作だが、今度はいよいよ『マクベス』、と演劇ファンからも熱視線が注がれる。吉田鋼太郎の演出のもと、藤原は新たな課題・マクベスにどう挑むのか。
マクベスと一心同体のような存在のマクベス夫人には土屋太鳳が抜擢された。シェイクスピア・シリーズに初参加ながら、映像作品や舞台での身体能力と表現力には定評がある。彼女なら演劇の申し子・藤原と良いコンビになりそうだ。今回のインタビューでも早くも息の合った熱い会話が交わされ、ふたりの舞台初共演が待ち遠しくなった。
■「這い上がって来た人には敏感なんです」(藤原)
――おふたりは、以前から面識はあったのでしょうか。
藤原竜也(以下 藤原) 映画『るろうに剣心 京都大火編/伝説の最期編』(14年)で共演しています。テレビドラマでの共演はないよね。
土屋太鳳(以下 土屋) はい、テレビドラマではないです。
藤原 覚えているのは、『るろうに剣心』の撮影中、土屋さんはすごくフラットで自立している人だなと感じたことです。自分が主体となって行動している印象があって。そういう方は主として演劇界に多いように僕は感じていて、そんな土屋さんが今回、彩の国シェイクスピア・シリーズ2ndに参加してくれることが嬉しいです。僕にとって思い入れのあるシリーズで、前シリーズを手掛けた蜷川幸雄さんの想いを踏襲して、吉田鋼太郎さんがもう一度届けたいものを上演していこうと新シリーズを始動させました。そのなかで上演される『マクベス』はきっと画期的な作品になると思うし、新たな時代のマクベス夫人を土屋太鳳さんが演じることが今回の見どころのひとつになると楽しみなんですよ。
土屋 藤原さんはまごうことなきレジェンド俳優です。映像でも舞台でも素晴らしいお芝居をし続けていて、以前から憧れでした。はじめてお会いしたのは『鈴木先生』(ドラマ11年、映画版13年)という連続ドラマに出ていたときなんです。
藤原 長谷川博己さんが主演していたドラマだよね。
土屋 そうです。私が15歳のときで、たまたま同じスタジオで撮影をされていた藤原さんに握手していただいたんですよ。そのとき私は、握手とはシェイクハンドというだけあって手を握りあい上下に揺するものと思っていたのですが、竜也さんの握手は、一回ギュッと強く握るもので。もしかして面倒くさかったのかもしれないのですが(笑)。
藤原 違う違う、決して面倒くさかったわけじゃないよ(笑)。
土屋 その握手の仕方をかっこよく感じたんですよ。その後、『るろうに剣心』で再会したとき、『這い上がってきたな』と言ってくださって。
藤原 僕は基本、底辺にいるので(笑)、這い上がって来た人には敏感なんですよ。
土屋 こういう言葉が出るということは、藤原さんご自身が這い上がって来たという自覚があるのだろうと思うんです。今回は、藤原さんの主戦場である舞台でご一緒できることが本当に夢を見るような気分ですが、しっかり地に足をつけてお芝居したいと思います。
――這い上がるというのはどういう意味なのでしょうか。
藤原 演劇とはある種、人生の蓄積であって、多くのものを得るのと同時に失ったりしていくものです。それを繰り返しながら進んでいくという意味なんです。僕もそうやってきたし、吉田鋼太郎さんもそうだし、土屋さんもそうだろうなって。ここから新たなキャリアに進むためにマクベス夫人を演じた実績は、そこに刻まれるでしょう。僕にとっても、マクベスはそういうものになると思うので、彩の国さいたま芸術劇場で、一緒にキャリアをひとつ積めることが嬉しいです。
土屋 藤原さんのおっしゃるとおりで、得るものもあれば失うものもある。人生はその繰り返しですよね。失ってつらくなって諦めたり辞めたりするのは簡単だけれど、続けていくことが大事だと思います。続けていれば、やりたいお芝居に出会うきっかけができるかもしれないし、出会いたい人に出会えるかもしれない。その体験を少しずつ増やしていくことなのでしょうね。
■「藤原さんのマクベスも今までの作品に負けないくらいすてきだと思います」(土屋)
――おふたりともいつかは『マクベス』に出たいと思っていましたか。
藤原 今回は吉田さんに背中を押していただきました。土俵を作ってもらった吉田さんに感謝しかないです。
土屋 映像で拝見したりして、演劇への憧れは膨らむばかりでしたので、シェイクスピア作品に出るお話をいただいて、ついにその時が来たかと光栄です。
――これまで見た『マクベス』でどういうところが見る人を引きつけると感じますか。また、俳優として演じることが楽しみなところがあれば教えてください。
藤原 やっぱり蜷川さんの演出が印象的ですよね。ひと目見ただけで心を引き付けてしまう演出力がありました。僕がまだ右も左もわからないまま演劇の世界に入った14、5歳のとき、いまはなきベニサンスタジオという稽古場で、蜷川さんの“仏壇マクベス”とも呼ばれる『NINAGAW・マクベス』の稽古を見学しました。そのとき僕はそれがシェイクスピアなのかどうかすらもわからず、ただただ、ベニサンという独特な空間に、本物のロウソクが灯っていて、仏壇のセットの中で老婆たちや魔女たちが蠢いているという異様な状況下、マクベスが登場してお芝居する姿を観て、恐ろしい世界がここにあると慄いたんです。あまりにも衝撃的で、まさかこれをいつか自分がやるとは思ってもみなかったですよ。
ただ、僕も2025年5月には43歳になりますし、マクベスに年齢が追いついてきたのかもしれないし、むしろ、いまぴったりのいい役かもしれないなと思うようになってきました。“仏壇マクベス”とはまた演出の違った、唐沢寿明さんと大竹しのぶさんの『マクベス』(02年)も素敵だったことを記憶しています。
土屋 私が観た、田中裕子さんがマクベス夫人を演じられたのが“仏壇マクベス”と呼ばれるものですよね(17年)。和のテイストでとても印象的でした。あと、天海祐希さんが演じた『レイディマクベス』(23年)というマクベス夫人が主人公の作品を見ました。でも、多分、藤原さんのマクベスも今までの作品に負けないくらいすてきだと思います。
藤原 まだ何も始まってないのに(笑)。
土屋 私は長所といえるものはないのですが、勘だけは鋭いほうだと思っていて、たぶん今回のマクベスがーー。
藤原 決定版になるということですね(笑)。
土屋 はい!
――宣伝用のチラシには「藤原マクベス」と書いてあるくらいですから。
藤原 「吉田マクベス」でいいのに、ありがた迷惑ですよね(笑)。こんなふうにしていただくと、プレッシャーですよ。ただ、どんな芝居でも常にプレッシャーはつきもので、現時点では、『マクベス』に関してはまだ何もわかりませんが、お芝居とは、セリフを肉体化して、実際に動いてみて、その時に生まれた感情を拾って作り上げていくものですから、的確な解釈を行う吉田演出のもと、稽古に挑むしかないと思っています。
『ハムレット』に関しては、自分の中で確たるものがあるんですよ。2003年と15年、2度の上演を通して、自分とは、親とは、生きている意味とは何ぞやとか、宇宙とは空間とはなんだ、っていうところまで突き詰めて自分を形成していきましたから。プライベートも犠牲にするほどの気持ちで挑んだものだったから、僕のなかで、ある種の人生の教科書とも言うべき1冊になったわけです。
今回『マクベス』でも、『ハムレット』からさらに深まった解釈を自分でしていけたらいいなという、ちょっと大きな理想もあります。戯曲を読むと、演技的な遊びどころがたくさんあるんですよ。遊びどころというのは、見せ場や、役者の力量が試されるような場と言い換えることもできます。稽古をしながらたくさんの発見をしていくことが楽しみです。
――マクベス夫人も興味深い役だと思います。よく注目されるのは、名前が出てこなくて「夫人」としか呼ばれない。ジェンダー平等が謳われるいまの時代に注目されそうなことです。
土屋 現代においても、◯◯ちゃんのお母さんとか、◯◯さんの奥さんとか呼ばれて、名前が呼ばれないことがよくありますよね。『マクベス』の時代はいま以上に女性の権利のない時代だと思います。「悪妻」というようにも言われますが、それよりも、彼女の育ってきた環境と、そこで彼女が見てきたものを、自分の中でくみ取りながら演じていきたいです。
――なぜ夫人としか書かれてなかったのでしょう。
藤原 それ面白いですね。翻訳家の小田島雄志さんに聞いてみます。それと、観た人に考えてほしい。
――夫人は名前を呼ばれることがないですが、夫にああしろ、こうしろと焚き付けます。そんな夫人のことを藤原さんはどう思いますか。
藤原 かっこいいですよね。潔いし決断力がある。しかも詩的な言葉でまくしたてるんですよね。やっぱりシェイクスピアって演劇的に美しいし、おしゃれですよ。夫人のセリフを土屋さんが語ったら、ついその気になって悪事に手を染めるマクベスの気持ちがわかるかもしれない(笑)。
■演出・吉田鋼太郎への期待
――吉田さんの演出に期待することと、彼が今回、魔女を演じることについてはいかが思われますか。
藤原 僕は吉田さんが三人の魔女を一人でやるとはこれほど画期的なことはないと思っていたので、それを絶賛したら、「何が?」「え、魔女を一人でやるんでしょう?」「一人で? バカヤロウ三人だよ」と言われちゃって。僕、少し発想がズレてるみたいで(笑)。それを軌道修正しながら稽古場に臨まなきゃなきゃいけない。吉田さんは「お前にはもう演出しない」と呆れていました。もう自分でやってくれって(笑)。
土屋 いまのお話を聞くと、蜷川さんと吉田さんがやってきたシェイクスピア・シリーズの次のシリーズがあるとしたら、たぶん藤原さんなのかなあと思いました。
藤原 本当にね。まず、蜷川幸雄さんが生前、自分の好きな役者を集めて組合のようなカンパニーを作って、四大悲劇をはじめとして好きな作品を好きなだけやって。好きな作品は『ハムレット』のように何度も何度も繰り返しやって、晩年は手をつけたくなかったものを残し(笑)、そして吉田さんに代わったら、彼もまた、いきなり『ハムレット』に『マクベス』と好きなものをやりだして。この人もきっと蜷川さんと同じ道を歩むのだろうなと思いますよ。つまり、本当に人生は回っていくのでしょうね。
――もし藤原さんに回ったら最初に何を演出したいですか。
藤原 『ハムレット』です。すごく身体能力の高い若い役者を起用したいです。演出家って自分の好きな作品をやりたいものなんですね。
土屋 そのときを楽しみにしています(笑)。
――土屋さんは吉田さんの演出を受けたことはないですよね。
土屋 演出を受けたことはないです。共演経験も朝ドラ(連続テレビ小説)『花子とアン』(14年)の現場ですれ違ったくらいですが、吉田さんのお芝居はたくさん拝見しています。吉田さんが演出なさった『ジョン王』(22〜23年)を拝見したのですが、現代的な要素も取り入れられていて興味深かったです。舞台の後ろの扉が開いて、駐車場のトラックが現れたり、上から人形が落ちてきたり。そういった演出の解釈が私には、当時、ちょっと難しくて。そしたら、あとで、吉田さんが「わけわかんなかったでしょ」とおっしゃって。あえてそうやっていらっしゃるのだなと感じました。私がもう少し年を重ねたら、『ジョン王』をもっと理解できるのかなといまは思っています。
藤原 たぶん、今回も、現代性も取り入れながら、カットするところはカットして、ブラッシュアップしていくのだろうと思います。古典に現代性を取り入れることははたして正解なのか僕にわからないけれど、多くのお客さん伝わるシェイクスピアになるようにするのは良いことだと思います。
■演劇は毎日続ける「労働」
――昔から演劇を好きな人も大事にしてほしいけれども、演劇を活性化するためにも新しいお客さんにも見てほしいですよね。それには何が必要でしょうか。
藤原 そこで土屋さんですよ。嬉しいじゃないですか、映画やテレビドラマの世界から演劇に来てくれるなんて。昔は演劇人って映画やテレビドラマでは芝居が濃すぎるなどと思われていた時代もあって。我々舞台人は、演劇人の底力を見せてやるというような闘争心を燃やし、あまたの名優たちがテレビや映画で結果を残してきました。その演劇の世界に、土屋さんが飛び込んで来てくれた。底なし沼のような演劇の世界で、いろいろな可能性が広がっていきそうです。
――土屋さんは、数こそ多くはありませんが、商業演劇『ローマの休日』(20年)から夏木マリさんの前衛的な作品『印象派 NÉO vol.4 The Miracle of Pinocchio「ピノキオの偉烈」』(23年)まで様々な舞台に出ています。演劇の魅力をどういうふうに考えていますか。
土屋 映像と舞台の違いのひとつに、眼の前のお客さんの有無があります。私は眼の前にお客様がいる演劇の空気がとても好きですが、お客様がいてもいなくても、自分自身が緊張することや、反省することは同じだとも思っていて。以前、舞台の演出家さんに、映像をやっている人は舞台では全然伝わってこない。細かい演技をやっても見えないと言われたことがありますが、私は見えると信じて、大きいお芝居を心がけながら、プラス、細かい感情をしっかり表現していきたいと思います。
――藤原さんはこの2年、『ハリーポッターと呪いの子』(21年〜)や『中村仲蔵 ~歌舞伎王国 下剋上異聞~』(24年)などこれまでとはまたちょっと違うジャンルの舞台にも出演されました。それはどんな蓄積になっていますでしょうか。
藤原 ハリーポッターを演じたり歌舞伎俳優を演じたり、シェイクスピアをやったり……でも何もなかったなあ……。
――それは「Tomorrow Speech」の心境ですか。
藤原 ははは(笑)。(「Tomorrow Speech」というのは)『マクベス』にある「明日、また明日、また明日と……」という有名なセリフのことで、人生を、出番が終わった役者に例えるんですよね。一流の俳優が語るそのセリフはすごくて。それを実際聞いた経験が僕にはあります。僕はかつて「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」という『ハムレット』の名セリフを言いながら、これか!と自分の人生と重なる瞬間を経験したことがありますが、『マクベス』でもまた、そういう瞬間が訪れることを期待しています。たぶん、それも繰り返し、蓄積のなかから生まれるものであって。蜷川さんは演劇を「革命」と呼び、柄本明さんは演劇を「労働」と呼んでいました。蜷川さんも「労働」とも言っていたと思いますが、僕にとっても演劇とは毎日続ける「労働」です。それこそ、中村屋さんをはじめ、歌舞伎俳優の方々は一年中ほぼ毎日劇場にいて、劇場で暮らしているようなものですよね。それを見ると、背筋が伸びる思いがするんです。
取材・文=木俣冬