【京都ツウ】京都市内の中心地にあった幻の池!?地名『御池』の由来となった御所名園跡☆
汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は中京区烏丸御池エリアで見かけた史跡碑から、地名『御池』の由来をたどる。
京都市内の中心地『御池』エリアの由来を謎解く
中京区、烏丸御池エリア。ちょうど御池通りを街歩き中のこと。
ふと見ると、今までまったく気づかなかったのか最近できたのか、コンビニ前に史跡碑を発見。
上部には「龍池町」とあり、その下の側面に『此付近二条新御所「龍躍池」址』とあります。
さらに、それを補足するような案内が。その内容は以下になります。
此附近 二条新御所「龍躍池(りゅうやくち)」址
当地を含む龍池町という地名は、南北朝時代の1381年に太政大臣を務めた二条良基が築いた邸宅に、「龍躍池」と呼ばれる池を有する名園が存在したことに由来します。この邸宅を利用して、天正四年(一五七六)以後、織田信長が居館を構え、天正七年には信長から誠仁親王へ御所として寄進されました。本能寺の変後、信長の後継者であった織田信忠を弔うために、大雲院が築かれます。
本社屋の昭和四十年建設時に、地中より阿弥陀如来石仏が出土しており、二条殿もしくは大雲院に関連する石仏の可能性がある貴重なものです。
京都市文化保護課 馬瀬智光
これを要約すると、南北朝時代の二条良基邸宅(二条新御所)に名園「龍躍池」があり、それに由来してここを「龍池町」と名づけられたとか。さらにもっと言うなら、この『御池』エリアの名前の由来は、この『龍躍池』に由来するとか。
さらに後の織田信長の時代には、本能寺の変後、信長の後継者であった織田信忠を弔うため、ここ二条新御所のあった場所に大雲院が築かれたとか。そして、大雲院といえば通称『銅閣寺』と呼ばれる、現在東山祇園にある祇園閣のあるお寺。
元々はこの龍池町にあった大雲院を、豊臣秀吉の時代には現在の四条河原町の高島屋百貨店裏にある『火除天満宮』のある場所に移転し、昭和48年(1973年)に現在地に移転という流転の歴史に驚き。
大雲院から龍池町に話を戻そう。
こちらは龍池町にあるランドマーク施設『京都マンガミュージアム』。旧龍池小学校校舎をリノベーションして2006年からオープンしたマンガの博物館。
そういえば友人に柳池小学校出身者がいて、つい最近まで混同してましたが、柳池はここから東に平行移動した全く別のエリアになり、読み方も『龍池(たついけ)』と『柳池(りゅうち)』で違います。ちなにに柳池小学校は日本最初の小学校で、現在の御所南小学校のある場所。
マンガミュージアム館内には『龍池校の記』という石碑があり、当時ここに学校があったことを記しています。
現在では地下鉄交差駅がある京都市内の中心地で、そんな場所にかつて池があり、さらにそれが『御池』という地名にまで繋がっているとは、今となっては想像がつきませんね。