ミャンマーで出家し、京都で新寺院を作った人類学者が感じた仏教の可能性
ミャンマーで出家し、京都で新寺院を作った人類学者が現代仏教の新たな可能性に迫るノンフィクション『仏教を「経営」する 実験寺院のフィールドワーク』が発売されました。
社会を避け厳しい律に従い修行する森の寺院と、社会貢献を志向し老人や病人、障害者、孤児など多様な人々と共生する福祉寺院。ミャンマーにおける二つの対照的な寺院での研究調査と、その経験をもとに日本に理想の寺院を設立するというプロジェクトの全容を記録した本書から、「はじめに」の全文を公開します。
タータナ・ウンサウン寺院 「律」遵守の挑戦
二〇〇八年九月某日、私は出家者として師僧たちと共に近隣の村に托鉢(たくはつ)に出た。ある家の前を通ると、おばあさんが、私たち出家者が通り過ぎるのをひざまずいて礼拝しながら見送っていた。雨季の終わりかけの時期、地面はぬかるんでいておばあさんのロンジー(ミャンマーの伝統衣装)は泥で汚れていた。在家者は出家者に対して白飯やおかずを布施(ふせ)するのが一般的である。しかしその日は布施できるものがなかったのかもしれない。私はその光景に少しショックを受けた。寺院に戻ってから師僧に相談すると、師僧はこう言った。「出家者としてやるべきことは、あのおばあさんの肩を抱いてあげることではない。自分の背中を通して、世俗的な幸せとは違う、超俗的な幸せというものがあるということを示してあげなければならない」
タータナ・ウンサウン寺院(一九八六年設立、以下タータナ寺院)は、ミャンマーで最も「律」に厳しい寺院の一つとして有名である。「律」とは出家者が守るべきルールを指す。一切の性行為・経済活動・生産活動が禁じられ、所有できるものも大幅に制限されている。
その実態を調べるため私自身、この寺院に出家者として滞在した。そこで師僧から何度も注意されたのは、「在家者と親しくなるな」ということだった。このように在家者とのかかわりを極端に避けるような姿勢は、自分(出家者)たちの救いのことだけを考えていて利己的であるようにみえる。実際、この問題は上座部仏教と大乗仏教の違いにも大きく関わっている。では、「律」を遵守することによって、タータナ寺院はどのように社会に貢献しようとしているのか。その活動は実際にどのように展開しているのか。
ダバワ瞑想センター 「善行」の共同体
アメリカ人のデヴィッドは、長期にわたるアルコールと薬物への依存の末、ヤンゴンの路上で行倒れたところを拾われ、ヤンゴン近郊にあるダバワ瞑想センターにたどり着いた。「もうこれはおれには必要ない。だからお前にあげるよ」。呂律(ろれつ)の回らない口調でそう言って、デヴィッドは私に謎の薬を手渡した。デヴィッドを世話していたベトナム人のティラシン(女性修行者)がそれを私から奪い取ってゴミ箱に捨てた。後日、そのティラシンから送られてきたメッセージには、出家者姿のデヴィッドが薬の禁断症状で痙攣している動画が付いていた。「私は善行として、病人や困っている人の世話をしています。でもそこには執着や欲望があります。私はデヴィッドを重荷と感じ始めている。逃げ出したいとも思っている。でもデヴィッドは私の本当の先生なのです。だから私はこの善行を続けます」
ダバワ瞑想センター(二〇〇七年設立)は、ミャンマー最大の社会福祉センターである。「善行」という概念にもとづき、「瞑想をしたい人は誰でもいつでも受け入れる、必要があれば衣食住薬も無償で提供する」という方針をとる。その結果、全国から老人、病人、障害者、アルコールやドラッグの依存症患者、孤児、ホームレス、ボランティア、外国人など、様々な背景をもつ人々が数千人規模で集まっている。
タータナ寺院の規律正しさに心酔していた私にとって、ダバワ瞑想センターの混沌は衝撃的だった。そこには人間の美しさ、醜さ、強さ、儚(はかな)さのすべてが詰まっているようだった。では、「善行」概念を通じてダバワ瞑想センターが実現したい世界とはどのようなものか。それは実際にどのように展開しているのか。
実験寺院・寳幢寺 「即身成仏」という理想
「このままいくと、二〇一八年末には資金が枯渇します」。松波龍源(りゅうげん)師からのメールには、シビアな現実が綴られていた。私が理事として経営にかかわっている寳幢寺(ほうどうじ)は、設立以来、毎月数十万円の赤字続き。寺院長である龍源師の私財を投じて補塡してきたが、いよいよ拠点としている道場の家賃すら払えなくなる事態が迫っていた。私は、道場を畳んで「拠点なき寺院」として再出発するしかないと考えていた。しかしもう一人の理事だったさゆりさんは頑なだった。「経営に関して、私たち理事が力不足であることははっきりしています。だからこそ、周りの人たちに頼りましょう。私たちの理念を理解し、経営に参画してくれる人はいないか、布施による支援をしてくれる人はいないか。私がみなさんに説明して回ります」
寳幢寺(二〇一七年設立)は、京都の今出川にある旧織物工場を拠点とする、およそ寺院らしくない寺院である。
真言密教の僧侶である龍源師と、ミャンマー仏教研究者である私は、それぞれの経験から、仏教の魅力と可能性を感じていた。しかし現代日本において、その魅力が十分に認識されているようには思えない。その理由の一端は、檀家(だんか)制度に依拠した寺院経営のあり方にあるのではないか。こうした問題意識から、「即身成仏」という概念の再解釈を基礎として、現代日本に即した仏教の伝え方、寺院経営のあり方を模索している。では、こうした無謀とも思える挑戦はどのように展開しているのか。それは現代日本においてどのような意義を持ちうるのだろうか。
人類学の手法で「仏教が何をしているか」を問う
現在、世界中に広がっているすべての仏教の根拠は、今から二千五百年以上前、インドで活躍したゴータマ・ブッダ(釈迦牟尼仏)の教えにある。しかしブッダの教えは決して固定的・一義的なものではない。「幸せ」とは何か。なぜ私たちの人生には「不幸」が訪れるのか。「幸せ」になるためにはどのように生きればよいのか。こうした問いに答えるべく、ブッダの教えは各時代・地域を生きる人たちによって、常に再解釈される可能性に開かれている。それはその都度、理想的な世界を「想像」するという営みにほかならない。そしてこの想像上の世界は、私たちの行動を動機づけ、方向づけることによって、現実の世界を「創造」していく。
このようにブッダの教えを再解釈することによって、新たな世界を想像/創造しようとする営みのことを、本書では「仏教経営」と呼んでみたい。一般的に「経営」とは、組織の目的を達成するために、ヒト・モノ・カネといった資源を獲得・所有・使用する営みとして定義できる。しかしこうした営みを行うためには、「何のために、どのように資源を獲得・所有・使用すべきか(すべきでないか)」といった規範が必要である。つまりどのような規範を策定するかが、経営という営みの要(かなめ)である。
では、仏教徒たちは実際にどのように仏教を「経営」しているのか。つまり、ブッダの教えの再解釈を通じてどのような規範をつくり出しているか。そこではどのような生き方や世界が想像されているか。それは様々なヒトやモノをどのように結びつけ、その結果、どのような現実が創造されているか。さらにその過程でブッダの教えについての解釈はどのように深化・展開しているか。
このように仏教は世界を想像/創造する一方で、世界の変容は仏教の新たな解釈を生み出していく。仏教は世界をつくり、世界は仏教をつくる。本書で明らかにしたいのは、このような意味における仏教と世界の相互構成的関係である。それは仏教史のダイナミズムに迫るための一つの手がかりにもなるだろう。
そのために本書では、先述したミャンマーおよび日本の三つの寺院を事例として取り上げる。いずれも、ブッダの教えの再解釈を通じて、試行錯誤しながら新しい世界を想像/創造しようとしている実験的な寺院(実験寺院)である。私はこれらの寺院に研究者・修行者・経営者としてかかわってきた。本書はこうした経験にもとづく人類学的記録である。
仏教学が文献学的手法を通じて「聖典(仏典)」に書かれた「教義」を研究するのに対し、人類学はフィールドワークによって「仏教徒」の「実践」を研究する。人類学では「仏教とは何か」という問いは、研究者ではなく仏教徒に委ねる。その上で「仏教が何をしているか」を問う。
仏教徒の実践は、宗教/世俗、聖/俗、布教/ビジネス、形而上/形而下、精神/身体といった境界をまたいで、その「あわい」の中で展開している。それゆえに、初めからどちらかに軸足を置いて分析するような理論先行型の研究ではその実態を捉えられない。「あわい」でなにが起きているのかを明らかにするためには「現場(フィールド)」を見る必要がある。そのために人類学は参与観察にもとづくフィールドワークを不可欠な方法としている。
社会や文化の実態を知るためには、量的なデータだけでは不十分である。たとえば日本(人口約一億二千万人)には、「寺院」という名称をもつ仏教系団体が約七万七千あり、各仏教系団体が定めた資格を有する「教師」が約三十四万人いる(文化庁『宗教年鑑』二〇二三年)。一方でミャンマー(人口約五千百万人)には、寺院が約六万七千、出家者が約五三万人いる(宗教省『雨安居僧籍表』二〇一八年)。しかし日本とミャンマーでは「寺院」や「出家者」という用語がもつ意味が大きく異なる。いかなる量的データであれ、その意味を理解するためにはデータが埋め込まれている文脈についても理解する必要がある。また、何を調査すればよいのか、現地に行ってみなければわからないということが多い。現実の調査は、偶然に満ちている。人類学者を研究対象の深部へと導いてくれるのは、こうした偶然性にほかならない。
このように、人類学におけるデータ収集の手段は「私」という人間である。それゆえに、集めたデータには常に客観性の問題がつきまとう。第一に、私は私という「レンズ」を通してしか、世界を見ることができない。第二に、私の前に現れた現実は、客観的・普遍的なものではなく、私とフィールドの人々との関係性にもとづいている。たとえばあなたが今この瞬間にミャンマーに移動したとしても、私が見た現実を見ることはできない。この問題を抜本的に解決する方法はないが、幾分、和らげることはできる。それは私というレンズの特徴や、私がフィールドの人々とどのような関係を築いてきたのかということ自体も、データとして提示することによってである。そのような理由から本書では「自分語り」が多く登場する。また同様の理由から、本書の構成も私の研究遍歴に沿っている。その意味で本書は学術ノンフィクションとして読むこともできるだろう。
著者
藏本龍介(くらもと・りょうすけ)
東京大学東洋文化研究所准教授。1979年生まれ。東京大学教養学部卒業、同大大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。博士(学術)。専門は文化人類学。2006年からミャンマーで出家を含む現地調査を行う。著書に『世俗を生きる出家者たち――上座仏教徒社会ミャンマーにおける出家生活の民族誌』(法藏館)、Living with the Vinaya: AnEthnography of Monasticism in Myanmar(University of Hawa‘i i Press)、編著に『宗教組織の人類学――宗教はいかに世界を想像/創造しているか』(法藏館)など。