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人間が本来もつ「走る」という喜びを呼び覚ます【BORN TO RUN 走るために生まれた】

NHK出版デジタルマガジン

人間が本来もつ「走る」という喜びを呼び覚ます【BORN TO RUN 走るために生まれた】

 ランニング界に一大ムーブメントを巻き起こした『BORN TO RUN』の刊行から14年、待望の実践書『BORN TO RUN 2 “走る民族”から学ぶ究極のトレーニングガイド』が1月27日に発売します。発売を記念し、プロトレイルランナーの鏑木毅さんによる『BORN TO RUN』解説を特別公開します。

『BORN TO RUN 走るために生まれた ウルトラランナーVS人類最強の“走る民族”』』

『BORN TO RUN 走るために生まれた』解説――鏑木毅

 人間は「長く走るために進化した」という本書のなかのフレーズで、私はある経験を思い出した。アメリカ最高峰のトレイルランニングレース、ウェスタンステーツ・エンデュランス100マイルズ(距離160キロ、累積標高差約7600メートル)へ初めて出場した際、「人間はこれほど長い時間走り続けることができるものなのか」と驚いたのである。このレースではシエラネバダ山脈の壮大な風景を楽しめる一方、気温は摂氏40度にも達し、熱せられた渓谷を走らねばならない。このような過酷な超長距離レースでゴール地点にたどり着くには、人間の隠された能力が大きな鍵となる。

 作品中に登場する伝説のウルトラトレイルランナー、スコット・ジュレクは、闘志と高い意志を持った仲間として何度か同じレースで戦った。2008年のフランスでのレースの際に、彼は体調を崩しレースを棄権したが、山中で「あんた、す・ご・い・ね!」と後続の私を日本語で応援してくれたことは今でも忘れられない思い出だ。その後、彼はウルトラランニングの魅力を披露し、非常に印象深い言葉を教えてくれた。「ナチュラルであれ」
 これは何百キロも走るウルトラランニングに立ち向かう彼にとっては、ごく自然なことなのかもしれないが、同様のことを私も数々のレースを通じて感じはじめていた。
「疲労から逃れようとするのではなく、しっかり抱きしめることだ。疲労を手放してはならない。相手をよく知れば、怖くはなくなる」(本文より引用)

 ジュレクの発想はタラウマラ族の話にもつながる。タラウマラ族にとって、走ることは自然なことであり、満足な靴も高性能なエネルギー補給食も、科学が生み出した理論的なトレーニングもない。すべてにおいて現代のランニングの常識から外れているにもかかわらず、ウルトラトレイルレースの本場アメリカのビッグレースで、彼らは数々の勝利を挙げている。
 我々には一見、方法論からは程遠く思える彼ら独自の「ランニング理論(習慣)」には、実は現代人が忘れてしまった「自然であること」というスタイルが隠されていたのである。

 本書では、このウルトラトレイルの稀代のスーパースターであるスコット・ジュレクとタラウマラ族のエース、アルヌルフォが、タラウマラの地で競い合う。現代文明が生んだ世界覇者と、走りにこだわる古代からの継承者との闘いには、いつの間にか強く引き込まれてしまう。

Copper Canyon

 かつて私も疑問に思ったことがある。一晩寝ずに走り続け、朝を迎え、さらに夕方まで走り続ける非人間的とさえ思えるレースの中で、不思議な陶酔感を感じるのはなぜだろう、足は筋断裂で痛み、味わったことのない地獄の苦しみを感じながらようやくたどり着いたゴールで、また再びこのレースを走ろうと思えるのはいったいなぜだろう、と。
 タラウマラ族の存在は、この難解な問題に答えを教えてくれた。文明の進歩によって、多くの人たちは、種の進化の過程で獲得された「人は長く走るために生まれた」という重要な事実を忘れてしまったのではないだろうか。ウルトラランニングは人と競うためにあるのではない。自分自身の限界を知り、そしてそれを越えるためにあるのだ。そして、長く走ることで、人間が本来もつ、走るという喜びを感じることができるのである。

 そもそも人間の限界に挑むウルトラトレイルレースには意外な事実が多々ある。例えば、レース結果に男女の差が極めて出にくいこと、またほかのスポーツではとっくに現役を引退するような年齢であってもトップレベルで走り続けることが可能であるということなどだ。
 男性を軽々と打ち負かすアン・トレイソンや、60歳に近いイタリア人のマルコ・オルモが世界最高レベルのウルトラトレイルレースを制覇したことは、このスポーツの知られざる奥深さと、年齢にかかわらず挑戦しようという勇気を与えてくれる。

 私にとってトレイルランニングは、整地の舗装道路とはまったくちがうランニングである。多くの人々にとって、でこぼこのトレイルを初めて走ると規則的なフォームで走ることができないことに対して苛立つ。しかしこの不規則なフォームを維持していると、しだいに心地よいリズム感が生まれてくる。木の根がはびこるトレイルの下りを自分が選んだコースラインで、踊るように駆け下りることができたときには、この新しいスポーツの虜になっているはずだ。

 日本ではこのように山を走ることはさまざまな点でまだ理解されていない部分が多いが、この新しいスポーツは大きな可能性を秘めている。ランナーが数多く訪れれば、地域で使われなくなった古道や廃道になってしまったかつての生活道を再生することにつながるなど、過疎山村の地域振興も期待できる。そして何より、今まで山を訪れることのなかった人々にも、山はスポーツとして楽しめるひとつのフィールドなのだということを経験してもらえる。私はこの新しい「山の文化」は地域の人々にもその土地を訪れる人々にも双方に良い影響をもたらし、根づいていくと信じている。

 最後に、私がこの作品でもっとも注目したのは、ウルトラトレイルレースは「旅」であるということだ。ランナーは、大きな山をいくつも越えながら、自分自身との内なる戦いを繰り広げる一方、寝ずにサポートしてくれるスタッフ、そして精一杯の誘導をしてくれるペーサー(伴走者)、麓の村々や山中での温かい応援。苦しい行程の中で、多くの人々との関わりや出会いがあるのだ。

 のどかなカントリーサイド、木漏れ日が差し込むしっとりとした森、息をのむほどの高山の美しい景色、そして時には漆黒の闇のなかを走り、歩き続ける時、ランナーはほかのランナーでなく、自分自身との葛藤を繰り返しているのである。
 我々が極限の疲労状態で感じるさまざまな出来事は、強烈に脳に記憶される。わずか十数時間で終わるこの旅で、ランナーは数週間、いや数か月に匹敵するほど大きく密度の濃い旅を経験するのである。
 本書が多くの方々に、走ることや山への新たな価値観を見出していただける端緒となればと思う。

ニューヨーク・タイムズで32週連続ランクイン、20万人の走りを変えた『BORN TO RUN』とは?

「どうして私の足は走ると痛むのか?」
 その答えを探す中で、クリストファー・マクドゥーガルは、メキシコ奥地の峡谷で、“走る民族”ララムリに出会う。その過程でわかったこと――わたしたちがランニングについて知っていることはどれもすべてまちがいだ――。

 現代社会と隔絶して暮らす“走る民俗”、
 素足で峡谷を走り抜けるベアフット・ランナー、
 過酷な地形を24時間走り続けるウルトラランナーたち。
 常識外れに思える彼らのランニング理論こそが、現代人が忘れてしまった「走るよろこび」を呼び起こすものだった――。

鏑木 毅(かぶらき・つよし)
 一九六八年生まれ。日本のトレイルランニングの第一人者として、国内のトレイルレース優勝を総なめし、二〇〇五年には国内三大レース(日本山岳耐久レース、富士登山競走、北丹沢一二時間山岳耐久レース)を制して「トリプルクラウン」を達成。近年は海外を主戦場とし、二〇〇九年には北京エンデュランス・チャレンジ100kで優勝、ウェスタンステーツ・エンデュランスラン・100マイルズで二位、ウルトラトレイル・ド・モンブラン(一〇〇マイル)では日本人過去最高位の三位と抜群の成績を残している。著書に『トレイルランニング入門』(共著、岩波書店)、『トレイルランナー鏑木毅』(ランナーズ)、『トレイルランニング』(枻出版社)など。

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