中島みゆき、つんく♂ら多彩な音楽家との作品でも話題のシャンソン歌手・クミコが「世界情勢」「老い」と向き合う理由
越路吹雪、芦名宏、シャルル・アズナヴールらシャンソン界の草分け的存在がそれぞれ生誕100周年を迎えた2024年。「いまどき、シャンソンというジャンルを全面に出した作品を誰が聴くのかしら」と笑いながらも、シャンソン界にとってメモリアルな1年への想いも込めながら、7月10日(土)に『私の好きなシャンソン Vol.2 〜シャンソンティックな歌たち〜』をリリースした、クミコ。これまで松本隆、中島みゆき、つんく♂ら多彩な音楽家たちと組んで楽曲を発表。長い伝統を持つシャンソンで、意欲的な挑戦を続けている一人だ。そんなクミコが10月12日(土)に神戸朝日ホール、11月9日(土)に名古屋の日本特殊陶業市民会館にて、同作を提げた公演『クミコ コンサート2024 わが麗しき歌物語 Vol.7』を開催。そこで今回は、クミコにあらためてシャンソンとの現在の向き合い方について話を訊いた。
●「ヨイトマケの唄」を歌う気持ちになった、認知症の父の存在
――クミコさんのブログを拝読いたしました。お父様が認知症、お母様も介護が必要な状況だということで、そのなかで音楽制作、そしてコンサートも行っていらっしゃいますね。多忙なお仕事と生活のバランスはどのような感じでしょうか。
とても興味深い日々を過ごしています。人はどうやって生まれ、老いていくのか。自分にも当てはまる大命題に直面しています。人の老い方、死に方の2種類を同時進行で経験していますから。2023年に「ヨイトマケの唄」(美輪明宏/1966年)を歌う気持ちになったのも、認知症の父のことが大きかったんです。歌の主人公と同じで、彼は昭和の時代を生きたエンジニアでした。図面を引き、頭脳明晰な人でした。そんな父が認知症になり、それでもなんとか自分を保とうとしながら生きているんです。
――なるほど。
だけど、認知症は進行していく。そんな父が今思い出すことは、故郷である茨城の水戸のことばかり。もうずっと長いこと東京で暮らしているのに、「家」というと彼のなかでは水戸なんです。そして「なぜ家にきょうだいがやって来ないんだ」と話すんです。きょうだいなんて、みんな上へいっちゃっているのに。ほかにも「お母さんはどうした?」と私の祖母のことを聞いてくるから、「ずっと前に死んじゃっているよ。だってお父さんはもう96歳なんだから」と教えると、「そうなのか」と感心するのです。ただそういう話を聞いていると、年老いてもちゃんと自分のなかにはいろんな思い出が残っていて、それが戦前の家やきょうだいのことだったりするのを知ると、いろいろ驚きがあって。「人間はすごいものだな」と日々、個人的な発見が多いです。
――お父様はクミコさんの音楽を聴いたりされるのでしょうか。
いえ、私が家のことと仕事は徹底的に分けているんです。ですので仕事の話をしたり、曲を聴いてもらったりはしません。出演したテレビ番組が放送されるとき、私は家にいないようにしています。でも一回だけ、出演した『徹子の部屋』(テレビ朝日系)の放送があることを忘れていて、父とテレビを観ていたら私が出てきちゃって。慌てて洗濯物を干しにいきましたね。父もなんだかちょっと困っていた感じでした。そういうのが私流のやり方なんです。父や母も内心は誇りに思ってくれているでしょうけど、あまりお互いに踏み込まないようにしています。
――先ほど「思い出」というワードが出てきましたが、9月8日(日)放送『BS演歌の花道』(テレビ東京系)の収録のエピソードをXでこんな投稿をされていらっしゃいましたね。「この架空の昭和の街から帰りたくなくなりました」と。
私にとって昭和は魅力ある時代でした。まさに「ヨイトマケの唄」がそうですけど、「汗を流せば報われるだろう」という定理があった。でも今は決してそうではなく、肉体を伴わない幸せの掴み方も多くなりました。どちらが良いというわけではありませんが、ただ昭和の時代の「汗水たらしてこそ」という考え方は、分かりやすいものがありますよね。人はどう生きたら良いのか、なにが幸せなのか、人との距離感。どれも分かりやすかったように感じます。だから『演歌の花道』のセットを見て、いろんなことを思い出しちゃって。台所のお釜のセットを見ると、昭和のお母さんたちはここで料理していたなとか、今と比べるときっと大変だっただろうなとか。だけど心の交流はシンプルだったし、今はSNSを見ていても「どうしてそういうことを言うんだろう」と疑問を持つことも多いので、そういう意味で私としては昭和は幸せな時代でした。
●「愛の讃歌」は歌詞がシンプルである分、歌い手の本質が問われる
――昭和のモノや価値観が懐かしまれたり、なくなっていったりするなかで、クミコさんは7月20日(土)の『私の好きなシャンソン Vol.2 〜 シャンソンティックな歌たち 〜』リリースに際し、シャンソンに関して「絶滅危惧種」とコメントされていらっしゃいましたね。
素直に「今の時代にシャンソンを全面に出して誰が聴くんだろう」とは思います。そんななか、コロムビア・レコードの若い方々が「シャンソンティック」という言葉を作ってくださり、すごくしっくりくるものがありました。もともと自分は「王道には進めない」「一刻も早くシャンソン歌手というものから逃れたい」と考えていましたし。だけど年齢を重ねるごとに「シャンソンは案外、良いものだ」と感じるようになってきたんです。ずっと舐めていられる大きなペロペロキャンディみたいに、ちょっとずつ味が変わっていくというか。「じゃあ、体が元気に動いて、気力もあるうちにシャンソンをがんばってみよう」と思えたからこそシャンソンへの危機感も抱くようになりました。「絶滅危惧種」という表現は自虐的ですが、でも現状はその通りですし。
――年齢を重ねてキャリアも積み上がっていくなかで、シャンソンの深みに気づいていったということですね。
たとえば、アルバムに収録されている「愛の讃歌」。この曲はシャンソン歌手にとって必須のものですが、とても難しい歌でもあるんです。<あなたの燃える手で>というシンプルな歌詞である分、歌い手の本質が問われる。そう簡単にこの歌を血と肉にはできない。つまり内面が満たされていないと、空虚に聴こえてしまいます。私の場合、若い頃に歌ってみて、自分の内容のなさに愕然としましたから。「この歌のことが分からない」ということが、よく分かるんです。
――しかし少しずつ掴めるようになってきた、と。
私の場合は、世界中の社会情勢への危機感が影響しています。ロシアによるウクライナ侵攻、小さい子どもたちが悲しい出来事に遭う状況などいろいろな情勢を見て、私のなかでは「もしかすると世界そのものがなくなってしまうんじゃないか」というくらいの危機感があります。どうしようもないなかで、「もう、個々の愛に頼るしか危機は乗り越えられないんじゃないか」と思うようになりました。もちろん、その答えで満たされる自分の内面に対して疑問はあります。それであっても、こういう時代だからこそ「愛の讃歌」は存在感が増すというか、歌だけにとどまらない気がしています。「歌がなんのためにあるのか、それはやはり愛のためにあるんだ」というシンプルな答えを持つようになりました。そして「この歌をこれから強く歌っていきたい」と決意するものがありました。
――そういったクミコさんの想いが、コンサート『クミコ コンサート2024 わが麗しき歌物語 Vol.7』で聴くことができそうですね。
映画でもなんでもそうですが、「物語」は人を幸せにするもの。もしくは現実からの逃げ場になるものだと考えています。ですのでお客様には、リアルから逃げ込んでもらいたい、癒してもらいたいという気持ちがあります。今回のアルバムの副題にある「シャンソンティック」には、「言葉に寄った音楽」との意味合いを込めているのですが、言葉でいろんな人に寄り添うような歌をお届けしたいです。私は若い頃、シャンソン歌手たちの言葉に触発され、暗闇のなかで一人で涙を流して浄化されました。コンサートでそういう歌を聴いて「まだ生きられる」と思って、帰っていました。私もそんなコンサートを目指したいですね。
取材・文=田辺ユウキ 撮影=福家信哉