【奈良古代史にみる絆】(vol.5)柿本人麻呂が恋した草壁皇子
【奈良古代史にみる絆】(vol.5)柿本人麻呂が恋した草壁皇子
『天皇との絆で訪ねる古代史―日本古代のLGBTQ!?』(日本橋出版、2024)の著者で日本歴史文化ジェンダー研究所代表の難波美緒が、古代史より「絆」をひもとき、奈良に関連するエピソードを紹介するシリーズのエピソード5。
飛鳥が舞台の絆を紹介したい。あの有名な柿本人麻呂の逸話である。
柿本人麻呂は若かりし頃、草壁皇子という皇子を主人としていたとされる。草壁皇子は、天武天皇と持統天皇の間の皇子で、後継者となるはずだったが、天武天皇死去後、即位する前に薨去してしまった。その草壁皇子の挽歌(死を悲しむ歌)が今回のメインだ。
まずは、『万葉集』二巻めの176首から。『万葉集』は全部で二十巻あるが、番号は通番で振られているので、最初から176番目に採録された歌という意味になる。
歌には詞書といって、その歌を詠んだ状況説明が付されるが、そこには草壁皇子の舎人がその死を傷み悲しんで作った歌23首とある。
〇二/〇一七六
「天地与 共将レ終登 念乍 奉レ仕之 情違奴」
天地(あめつち)と ともに終へむと 思ひつつ 仕へまつりし 心違ひぬ
意訳としては、「天地がある限り仕え続けようと思った心が果たせなくなってしまった…」といったところだろうか。主君への恋、ここに極まれり!という感じだろう。続く二つの歌も同様な状況で読まれているが、やはり心をうつ。
〇二/〇一七七
「朝日弖流 佐太乃岡辺尓 群居乍 吾等哭涙 息時毛無」
朝日照る 佐田の岡辺に 群れ居つつ 我が泣く涙 やむ時もなし
〇二/〇一七八
「御立為之 嶋乎見時 庭多泉 流涙 止曽金鶴」
み立たしの 島を見る時 にはたづみ 流るる涙 止めぞかねつる
草壁皇子の急死によって、涙が止まらないと詠んでいる二つの歌になる。
他にもじ~んとくる歌はあるが、柿本人麻呂は、これらの和歌のチカラで歌人として名を挙げ、この後色々な皇子の挽歌も詠んでいる。しかし、この歌の数と内容の激しさは異例な数になる。若き日の草壁皇子との強い絆が感じられる。
草壁皇子の宮は嶋宮とされ、奈良県明日香村島の庄という地名のあたりと考えられている。今は観光地化している石舞台古墳の北の駐車場近くの田畑となっている。ここで上記の歌が詠まれるだけの主従の絆が結ばれたのか…なんて妄想しながら、周囲の土産物屋を巡るのも、また一興だ。
《参考文献》
『天皇との絆で訪ねる古代史―日本古代のLGBTQ⁉』(日本橋出版、2024)
『万葉集』巻2、第176首・第177首・第178首