前田利家、我が金沢城を紹介致す! 多種多様な石垣から重要文化財まで、見どころ満載じゃ
皆々、息災であるか前田又左衛門利家である。儂が歴史のおもしろき話を紹介致すこの戦国がたり。此度の題目は久方振りの史跡探訪であるぞ!これまでは大高城や長篠古戦場、長久手古戦場や関ケ原などを紹介致しておる。此度は儂、前田利家に深い関わりを持つとある城を紹介致そうではないか!!
実に見どころの多い金沢城
此度訪れたのは、我が金沢城である!
現世においては多くの人が訪れる人気の観光地として毎年二百万人以上が詰めかけ、城としては入場者数日本一じゃ!!
しかも2022~23年と二連覇を果たしておる。
金沢城の隣に立つ日本三大庭園・兼六園の存在や、儂とまつを祀る和唐洋折衷の美しい山門も持つ尾山神社、さらには金沢の町全体が観光地として整備されておって、『二十一世紀美術館』をはじめとした芸術の街としても名高いのが、日本一の人気を後押ししておる理由の一つであろう。
じゃが、金沢城そのものが実に魅力の高い城郭であることが一番の理由じゃ!
現存の建築は勿論、多くのものが復元されておって城に詳しくない者達にも楽しめるように整備がなされておる。
見どころが実に多いでな、儂自ら金沢城を紹介して参ろうではないか。
石垣の石の大きさや積まれ方を見比べる【尾坂門~二の丸北面石垣】
まずやって参ったのは尾坂門。
金沢城の大手、即ち正門にあたる場所じゃ。
見ての通り櫓(やぐら)台と虎口(こぐち)は残っておるが櫓が現存しない故に見逃す者が少なくないのじゃが、我らが使っておった動線を歩むのも城の楽しみ方の一つじゃから、訪れてほしい場所の一つじゃな。
ここの石垣は儂が家臣の高山右近に命じて築かせたもので、金沢城築城初期の石垣である。
不揃いの石を用いた石垣で、正門として格を保つべく大きな鏡石(かがみいし)が据えられておるぞ!
重々しい趣の味がある石垣は一見の価値ありじゃ!
尾坂門を超え城内を進むと見えてくるのは二の丸北面石垣じゃ!
ここの石垣は石の大きさを整えた粗加工石積である。
尾坂門と見比べれば石の大きさや積み方が揃っておって均整の取れた石垣であることがわかるじゃろう!
ここの石垣は城内の中でも特に評価の高い石垣となっておるぞ!
左右異なる手法で築かれた石垣【河北門~石川門】
さらに進むと見えてくるのは三の丸の入り口、河北門である!
三の丸正門にあたる河北門は明治維新の後に撤去されたのじゃが、平成の時代に木造復元がなされ、江戸時代の姿を見ることができる!
高麗(こうらい)門の一の門と櫓門の二の門、そして続櫓(つづきやぐら)としての役割を持つニラミ櫓台で構成された枡形虎口であるぞ!
一の門を抜け虎口へ入ると石垣と塀が見えてくるのじゃが、これが河北門の大きな特徴である!
少し背の低く見える石垣とその上に土塀がおるように見えるのじゃが、実はこの壁の中には石垣が隠されておるのじゃ!
河北門を通り三の丸へと入ると菱櫓と五十間長屋が出迎えてくれる。
このまま進めばいよいよ金沢城の中心である二の丸に行けるのじゃが、ちとその前に二箇所寄り道をせねばならん!
五十間長屋と菱櫓はのちに紹介致そう!
二の丸の反対方向へ総合案内所を横目に進むと辿り着いたは石川門である!
この写絵は石川門外側からの様子じゃ!
この石川門は構成する
・高麗門
・櫓門
・太鼓塀
・続櫓
・石川櫓
の全てが現存する重要文化財である!
二つの門と虎口を囲む多聞(たもん)櫓、そして要の二階櫓を持つ典型的な枡形虎口なのじゃが、これほど完全に枡形構造が現存しておるのはこの石川門が唯一と言えるであろう。
城内随一の見所であることに加えて、兼六園への出入り口になっておることから現世においては最も使われる門となっておるのじゃが、かつては東からの敵を迎え撃つ搦手(からめて)の役割を担う門であった。
建築物の美しさは最早語らずともわかるであろうが、注目してほしいのは河北門と同じく、枡形内の石垣である!
見ての通り隣り合った石垣が全く異なった手法で築かれておるのじゃ!
左半分は粗い加工の打込接(うちこみはぎ)と呼ばれる手法、
右半分は綺麗に整えられた切込接(きりこみはぎ)と呼ばれる手法じゃ。
切込接の石垣は先に紹介した尾坂門や二の丸北面石垣とは随分趣が異なるであろう!
これは江戸時代の修繕にて築き直された石垣でな、石垣の技術が大きく進歩しておることがわかるじゃろう!
城内で様々な年代の石垣を見ることができるのが金沢城の大きな見どころの一つじゃな。
日ノ本有数の木造城郭建築【東の丸石垣~五十間長屋】
寄り道二つ目はこの古き趣の石垣じゃ!
この石垣は城内で最も古い石垣である。
ということは無論、儂が築いた石垣であるということじゃ!
三の丸の少し奥まったところにあるで見逃しがちじゃが、足を運んでみてほしいのう!
というわけで五十間長屋前に戻って参った。
後に話すが金沢城は本丸が使われておらず、御殿を含めた重要な施設は二の丸に固まっておった故に、二の丸から三の丸を見渡し二の丸を守るために築かれたのがこの五十間長屋と菱櫓といえよう。
菱櫓や五十間長屋は明治時代の火災で失われてしもうたのじゃが、2001年に木造復元。
五十間長屋は100mに及ぶ日ノ本でも有数の木造城郭建築であり、しかも釘を使わない伝統木造軸組工法で築かれておるのじゃ。
金沢城の特徴が五十間長屋にも用いられておる鉛瓦と海鼠(なまこ)壁である。
鉛瓦は読んで文字の如く鉛を用いた金属瓦。
海鼠壁は漆喰の壁に平瓦を貼り付け隙間の漆喰を盛り上げる方法で、火事に強く瓦が壁面を守り強度も高いため金沢城では多くの建物で用いられるつくりである。
鉛瓦は寒さの厳しい北陸の地故に寒暖差に強い金属瓦を用いたというわけじゃな!
そしてもう一つの特徴が出窓である。
これは石落としと申して下の敵へ攻撃を仕掛けるための作りなのじゃが、注目してほしいのはその屋根の形。
この曲線を描く屋根は唐破風と呼ばれしものなのじゃが、これは破風の中で最も格式高いもので前田家百万石の力を示す他ではなかなか見られぬ特色である。
さて自慢はそこそことして、この五十間長屋と水堀に沿って進むといよいよ二の丸である。
職人の建築技術を間近に感じる試み【橋爪門~二の丸】
二の丸へ入る最後の門がこの橋爪門である。
これまで河北門と石川門、二つの枡形虎口を紹介致したが、城内最大の枡形がこの橋爪枡形であるぞ!
この門の見どころは枡形内の続櫓の石垣である。
見ての通りこの石垣は赤みかかった石と青みのある石で築かれておって、武骨な石垣らしからぬ色を楽しむことができる石垣となっておる。
現世では“もざいくあーと”が如しと人気の場所となっておるそうじゃ。
石川門の綺麗に整えられた石垣も然り、この辺りからは城が戦のためのものから魅せるものへと変遷していく様子がわかるじゃろう。
これは平和が続いた江戸時代ならではの築城様式と言えるじゃろう。
橋爪門を越えて辿り着いた二の丸なのじゃが、
今、二ノ丸御殿復元のためその多くが工事中となっておる。
江戸時代、藩主の住まう政庁であった二の丸御殿は明治期の大火で焼失し、その後は広場となっておったが、遂に2025年の3月に復元工事が開始されたのじゃ!!
そして、ただの工事にあらず。
この工事はのぞき窓やモニターなどを用いて皆の目に届く形で行われる。
故に観光で来た者は職人の建築技術を近くで感じることが叶うわけじゃ!
工事の期間を観光の見どころとすることで伝統的な技術を皆で身近に感じ、興味を持つ良い機会を設ける。
一石二鳥の天晴れな試みであるわな!
訪れる時期によって様子が異なるじゃろうから幾度行っても楽しめるじゃろうな。
重要文化財に指定されている現存の長屋へ【鶴丸倉庫~本丸・三十間長屋】
二の丸から南東に進み東の丸に入ると見えてくるのは鶴丸倉庫である。
鶴丸倉庫は最大級の現存城郭土蔵として重要文化財に指定されておるぞ。
踵を返して西側へと進むといよいよ本丸が見えて参る。
築城当初の金沢城は本丸に天守が聳(そび)える城の中心地であったのじゃが。儂の死後間も無く落雷による火災で焼失。
後に三重櫓を築き天守代用としたようじゃがこれもまた火災で焼失し、それ以後は完全に二の丸に主役を譲ることとなる。
現世においては雑木林となっており、散策の為に道が整備されておるに過ぎず足を運ぶ者も数少ないのじゃが、忘れてはならんものがこの本丸にはあるのじゃ!
それがこの三十間長屋である!!
先に紹介した五十間長屋と似たような作りとなっておるのじゃが、これは現存の長屋で無論重要文化財に指定されておるぞ!
本丸を守る多聞櫓として築かれ、他の建物と同じく海鼠壁や鉛瓦が用いられておる。
櫓を見た後は土台の石垣にも注目致せ!
切り揃えられ、隙間なく積み上げられた石垣はよくよく見ると石の縁が綺麗に加工されておることがわかるじゃろう! この積み方は「金場取り残し積み」と呼ばれておるぞ!
終いに——「令和の北陸大返し」へ出立じゃ
金沢城探訪は如何であったか!!
広い金沢城の見どころを逃さぬように、金沢城へ訪れる時には此度の話を思い返してほしいのう!
じゃが、此度の史跡探訪はこれで終いではない。
これよりは、
この金沢城から我が現世の本拠地名古屋城へと、
歩く!!
この『さんたつ by 散歩の達人』にて連載を持って二年半。
この前田利家が自ら、“散歩の達人”の真髄を皆に見せつけようではないか!!
およそ66里(250km)を五日間で進みて、道中の史跡探訪を致す。
題して真・散歩の達人「令和の北陸大返し」じゃ!
因みに秀吉による中国大返しが起こったのも丁度この時期である。
秀吉は230kmを10日で駆け抜けたそうじゃから、倍の速度での進軍となる。
次回より何度かに分けて旅の記録を綴って参るでな、北陸からの長き散歩の様子を楽しみにしておるが良いぞ!
それでは次回の戦国がたりで会おうではないか!
さらばじゃ!!
文・写真=前田利家(名古屋おもてなし武将隊)
前田利家
名古屋おもてなし武将隊
名古屋おもてなし武将隊が一雄。
名古屋の良き所と戦国文化を世界に広めるため日々活動中。
2023年の大河ドラマ『どうする家康』をきっかけに、戦国時代の小話や、戦国ゆかりの史跡を紹介している。