グルーヴィ!杉林恭雄率いるバンド【くじら Qujila】4曲入りアナログ「花」の聴きどころ
リ・リ・リリッスン・エイティーズ〜80年代を聴き返す〜Vol.60
花 / くじら
“くじら” の歌のつくり方
今年(2025年)でデビュー40周年となるバンド、“くじら (Qujila)” 。昨年(2024年)11月、彼らは11年ぶりのニューアルバム『ささげもの』を、LPのみでリリースしました。それを記念して、タイミングは少々ずれましたが今年2月に、私が月イチで開催している “聴き語り” イベント『いい音爆音アワー』で、トークセッションを行いました。「くじらをアナログで聴く」と題し、オリジナルメンバーの杉林恭雄くん(ボーカル、ギター)と楠均くん(ドラムス)をゲストに迎えて、くじらのアナログ盤音源をいろいろ聴きながら、話に花を咲かせました。
会場は『3313アナログ天国』という、アナログレコードをいい感じで聴けるお店。30数人で満席の小さな空間が気持ちを和まさせたのか、トークは弾んで、40年前からつきあってる私でさえ知らない話も飛び出しました。レコーディングの期間など、おしゃべりの時間は山ほどあったけど、改まって真面目な話をすることはあまりなかったですからね。
くじらの楽曲はほぼすべて、杉林くんが作詞・作曲ともに手掛けています。他のメンバーが書けないわけではなく、楠くんは後に “カイバレス” という自身のバンドを率いてレコードも出していますし、遊佐未森の「ステイション」という曲は、もう1人の創設時メンバー、キオトくん(ベース、ギター)の作曲だったりします。でも2人とも、杉林くんがつくる歌の世界に魅せられて、それを表現するべく、くじらの一員となったのです。
私にとっても杉林くんは、敬愛してやまない音楽家のひとりです。特にその歌詞は唯一無二の境地。音楽ディレクターだった頃の私は、クリエイターたちがつくる歌詞やメロディに対して、しょっちゅう “ダメ出し” をしたり、修正要求をしたりしていたのですが、杉林くんがつくる歌詞は、そういった私ごときの価値判断を遥かに超えたところにあって、とても手が出せない “アンタッチャブル” な存在でした。
トークセッションの中で、お客さんからの質問に応えて、杉林くんは創作の “秘密” を明かしてくれました。
視力回復によいなんて言われている “立体視画像(ステレオグラム)” というものがありますね。ふつうに見ると、単純に同じ模様が繰り返し並んでいるだけの画像なのに、目の焦点を合わせないようにフワッと見つめていると、ある瞬間に立体画が浮かび上がる、というアレです。その立体視画像みたいに、ぼーっと考えていると、ある瞬間、歌が目の前に現れるそうです。
詞先、曲先などといって、歌詞が先にデキる人、曲が先の人、どちらもありの人、いろいろいるようですが、杉林くんの場合は同時だそう。詞曲ばかりか、サウンドもいっしょに聴こえてくるらしい。完成形の歌が突然やってくるのですね。不思議。とても理解できません。天才的な脳ミソってやっぱりあるんだなー、と思います。
“くじら”のレコード化における試行錯誤
“立体視” で連想するのが、1983年に初めて観たくじらのライブ。Re:minderで以前書きましたがが、マイクもPAも使わず、地声・生音で3人が自由に動き回るという、常識を覆す “立体ライブ” に、私は衝撃を受けたのでした。その曲や演奏自体もいいと思ったのですが、それよりもパフォーマンスの面白さが圧倒的でした。
そしてそのことが、レコード制作のコンセプトに影響をもたらします。立体ライブをレコードで再現するのは不可能です。左右2チャンネルのステレオサウンドでも、エンジニアの腕で疑似立体感を生み出すことは可能ですが、サラウンドシステムならともかく、横や後ろから音は聴こえません。そもそも、たとえ音をあちらこちらに動かすことができたとしても、その動きが盤に固定されてしまったら、予測不能なところが魅力のライブにはかないません。
それで、“立体ライブ空間の面白さに勝てないなら、それに替わるプラスαの魅力を” との思いから、ファーストアルバム『PANORAMA』(1985年)は、ほぼ全編、打ち込みサウンドにしました。当時はサンプリングができるシンセサイザー・フェアライトCMI(イエスの「ロンリー・ハート」とかで有名なヤツ)が目新しかったので、それを使ってドラムもベースもギターもサンプリングしてシーケンスすることで、新鮮な質感が出るだろうと考えたのです。加えて、ちょっとした “オドカシ” として、B面の1曲目のタイトル曲の「パノラマ」だけはその真逆、生のオーケストラにしました。
そうしたところが、オーケストラの「パノラマ」は今聴いてもみずみずしいのに、打ち込みものはあっという間に “古臭く” なってしまいました。
それじゃあ、とセカンドアルバム『TAMAGO』(1986年)では、プロデューサーに委ねてみました。サックス奏者の清水靖晃さんとエンジニアの小野誠彦 (セイゲン)さんに依頼して、面白いコラボレーションになったのですが、結果的には、あまり着慣れない服で歩いているような、若干の違和感もありました。
それらの反省をもとに、メンバーの演奏をそのままに、“無添加” で盤に刻もうと考えたのが、その次の『花』『カラス』『NEON』(いずれも1987年)という、4曲入りミニアルバム3部作です。特に『花』では、曲も極力飾りを廃し、コードもひとつ、ワンパターンのリフを繰り返し、グルーヴだけでどれだけ聴かせられるか、というところに重点を置きました。
これはよかった。やっとしっくりくる、くじららしいレコードができたと感じました。
当時はまだアナログレコードがメイン。シングルは17cmのシングル盤のみ。アルバムはLP盤、カセット、CDの3種類を発売していましたが、この3部作はLPだけでリリースしました。ただそれは、その後に全12曲をまとめてリミックスして、CDのみで出す計画(アルバム『MIX』1988年)だったからで、アナログへのこだわりがあったわけではありません。単純にアナログが当たり前だったのです。だけど、ソニーグループの方針で1988年の4月から、発売は原則CDのみとなり、結果的にこの3部作は、くじらにとって(昨年までは)最後のアナログ作品になりました。
アナログだからこその「花」のグルーヴ
アナログレコードというのは、音の波動を塩化ビニールの板に刻み込み、それをカートリッジの針がトレースして音に戻します。レコードの “溝” の中は波動に対応して凸凹していますが、この溝が全体的に深いほうが音のダイナミックスが大きくて、よいのです。深いといっても、レコード盤は薄い円盤ですから、そんなに深くは刻めないのですが、コンマ何ミリの深さの違いが音には大きく影響します。
で、これは盤に収録する音楽の時間によって変わるのです。ふつうアルバムのLPは片面に20分くらい収録しますが、それだと溝がかなり密になって、となりの溝との間隔が狭くなるので、そんなに深く刻めません。それが片面10分くらいなら、間隔に余裕があるから、深く刻めます。最近の再発LPで、山下達郎さんなどが、片面2曲くらいにして2枚組で出したりしているのは、溝を深くして、音のクオリティを上げたいからなんです。
その点、『花』『カラス』『NEON』の3部作は、それぞれ4曲しか入っておらず、片面2曲、10分前後。これまた、当時そんなことを考えもしなかったのですが、溝が深く刻めて、高音質向きだったわけです。ところで、実は “溝” のことを英語で “groove” というのです。偶然にも、グルーヴを刻み込むのにふさわしい状況が整っていたのですね。
トークセッションでは、『花』から「CRY BABY」という曲を聴きましたが、これが前述のように、初めからおしまいまで1コード。杉林くんのエレキギターのリフとキオトくんのベースのリフが、絡み合いながら、延々と繰り返されます。今だったらきっと、少し弾いて、4小節くらいいいところがあったら、それをサンプリングしてコピー&ペーストしているに違いない曲の構成なのですが、彼らはずっと最後まで、愚直に弾いています。そこがいいんですよ。爆音で聴く、深い溝に刻まれた強力なグルーヴは、私をトランス状態に引きずり込んでいきました。聴き終わって杉林くんがボソリ、“このレコードがいちばん好きかもしれないな”。同感でした。
アナログレコードは不滅のメディア
そして、2024年11月3日にニューアルバム『ささげもの』をLPのみでリリース。オリジナルアルバムとしては11年ぶり。アナログ作品ということでいうと、なんと27年ぶりです。ライブはコンスタントに続けてきた彼らですが、レコード制作の機会はやはりなかなかありません。まして、再びアナログレコードをリリースできる日が来るとは思いもしませんでした。アナログ復活の動きはたしかにあるのですね。
“アナログで出す” ということに、杉林くんは特別な思いを持っていたそうです。“石に文字を刻んだことで ロゼッタストーンは古代文明の記録を現代に残すことができた。盤に音の溝を刻むアナログレコードも不滅だよね” と彼は言いました。たしかに、オーディオテープは磁性体が劣化したら聴けなくなるし、CDも銀膜がはがれたりします。配信音源などうっかり消したら終わりですが、レコードは溝が摩滅するほど再生したり、傷つけたりしないかぎり、ずっと聴くことができます。構造が単純だから、初めて手に取る異星人だって、きっと音を出せるでしょう。私のイベントでも、50年も60年も前のレコードが、CDよりいい音で鳴ってくれます。
昨今、世の中が悪くなる一方のように感じて、ともすれば暗い気持ちになることも多いですが、アナログ復活は数少ないホッと心温まるできごとですね。