「そのうち…は、もう来ない」両親との別れが教えてくれた「当たり前」の尊さ【体験談】
母が脳梗塞(のうこうそく)の後遺症で右半身まひになってしばらくしてから、母の介護をしていた父の認知症が進行し、介護施設への入居を余儀なくされました。
コロナ禍の到来
施設に入ってすぐのころは、家族や友人が入れ替わり立ち代わり訪ねてくれて、父も楽しく過ごしていたように思います。しかし、そんな穏やかな日々は長くは続きませんでした。あの「コロナ禍」の到来です。
面会は一切禁止となり、電話やメールでのやりとりが精一杯。検査や通院以外で父に会うことは叶わなくなりました。病院から「家族のみで1日1組。5分以下」と告げられた面会の制限は、あまりにも残酷でした。
突然の訃報
「お父様が息を引き取られました」。病院からの突然の連絡。老衰で入院してから、わずか数週間後のことでした。最期のときもそばにいてあげられず、お葬式もごく身近な家族だけでおこないました。
そして翌年、今度は母が内臓疾患で入院。コロナ禍の状況は変わらず、十分に母に寄り添うことができませんでした。
父に続き母も…
「お母様が亡くなりました」。またしても、病院からの無情の電話。2人とも、最期の瞬間を共に過ごすこともできず、お葬式も限られた人数で執りおこなうことになってしまいました。
コロナ禍前の施設訪問は、ほとんど夫に任せていた私。「そのうち、会いに行けばいい」と、そう軽く考えていました。しかし、2人に会う機会は、新型コロナウイルスによって容赦なく奪われてしまったのです。「元気なうちに、もっと顔を見せておけばよかった」。後悔の念が、心の奥底から湧き上がってきます。
まとめ
この経験を通して、「会えるときに会っておかないと後悔する」と思いました。当たり前のことですが、その言葉の重みを改めて深く実感しました。
※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。
著者:松田博美/50代女性・主婦
※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています(回答時期:2024年9月)