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塗り直し作業、完了 永遠の平和祈る女神像 釜石・薬師公園 児童も参加、思いつなぐ【戦後80年】

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 釜石市大町の薬師公園で進められていた「平和女神像 塗替えプロジェクト」は、このほど完了した。「戦後80年の節目に」と地元企業が企画。経年劣化で塗装がはげ落ちたり、ひびが入った部分を補修し塗り直すことで美しい景観をよみがえらせた。この活動に、近くの釜石小(五安城正敏校長、児童68人)の5、6年生ら21人が協力。「像が建てられたのはなぜか」など地域の歴史や平和について考える機会にした。

 太平洋戦争末期の1945(昭和20)年、釜石市は米英軍による2度の艦砲射撃(7月14日と8月9日)で甚大な被害を受けた。戦後、市は永遠の平和を祈念し、54(同29)年に平和女神像を建立。台座を合わせた高さは9.4メートルにもなる。市などによると、修復・塗装作業は2009年に行われていた。

 今回のプロジェクトは、佐々栄建工(甲子町)代表取締役の佐々木拓也さん(41)が「今年は戦後80年の節目。戦争の記憶と女神像が持つ平和へのメッセージを次の世代に引き継ぎ、守っていかなければ」と発案。子どもたちとできる取り組みを考え、中妻町の松草塗装工業(伊東公一代表取締役)の協力を得て、今年3月から作業を進めていた。

子どもたちが参加して行われた像の塗り直し作業


 児童が塗装に取り組んだのは4月28日。像本体の塗装は終えており、土台部分などの仕上げの上塗り作業を手伝った。像の前にある地球儀を模した平和のオブジェもお色直し。はけやローラーを使い、水性塗料を丁寧に塗っていった。作業の様子を見守った松草塗装の佐藤宏さん(53)が、ムラのない塗り方をアドバイス。きれいに仕上がると、子どもたちは満足そうな表情を浮かべた。

地球儀を模したオブジェに塗料で色を塗る釜石小の児童ら


子どもたちは職人に教わりながら楽しく作業を進めた


平和女神像の土台もお色直し。丁寧に塗っていった


 公園内では平和学習も行った。艦砲射撃に関する説明が書かれたパネルを前に、市教委文化財課世界遺産室の森一欽室長が解説。「なぜ、釜石は狙われたのか?」と問いかけると、児童から「鉄を作っていたから」と声が上がった。製鉄所があったことで標的にされたが、周辺の関係のない施設にも被害が及んだことを説明。今でも不発弾が見つかっているとも加え、「昔の話だと思うだろうが、80年経っても名残がある」と話した。

平和を願う女神像に見守られながら戦争の歴史を学んだ


 名残は公園内にも。児童らは、平和女神像のそばにある「忠魂碑」にも目を向けた。砲弾をかたどったもので、日清・日露戦争の戦死者を弔うために建てられたとされる。公園がある薬師山の山頂は戦時中、高射砲陣地となったため、やはり標的に。2回目の砲撃で周囲は破壊され、碑も倒れ落ちた。碑は終戦後も再建されることはなく、横たわったまま。そうした背景を持つ地に恒久平和への深い祈りを込め、先人たちは平和女神像を建てた。

「忠魂碑」を間近に見て戦争や平和について考えた


 森室長は「この80年間、世界から戦争がなくなった日は一日もない。平和は簡単に壊れてしまう。戦争はまずい、してはいけないことを、像を塗ることで感じ、平和について考えてほしい」と望んだ。

 昨年度まで釜石小に在学し、八戸市から駆け付けた宮里結愛(ゆあ)さん(青潮小5年)は「戦争の話を聞いて、(当時の人たちは)寂しかったり、つらかったりしたと思う。私も家族に会えなくなったら絶対嫌だ。像がまた汚れたら、今度は私が小さい子に平和の思いをつなげていきたい」と受け止めた。

 山﨑柊琳(とうり)さん(釜石小6年)は「汚れたところがきれいになってうれしい。楽しかった」と言いつつも、「海外では戦争をしているところがあって平和ではない。世界中が楽しくなるよう、平和への気持ちを守りたい」と学びを深めた。

発案者の佐々木拓也さん(左上の写真)、平和学習講師の森一欽さん(右上の写真)の思いをつなぐ釜石小5、6年生。学びをより深めていく


 発案者の佐々木さんは「女神像がつくられた経緯や戦争について知ってもらう機会になったようだ。平和と鎮魂の思いを次の世代につなげられたなら。やってよかった」と手応えを感じた。プロジェクトは地元企業として「地域を守り、若い世代に引き継ぐ」との思いを込め、地域貢献活動として展開。今後も子どもたちと取り組める活動を探っていく考えで、「成長した子たちが次の発案者に」と期待を込めた。

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