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「仕事で成長しなきゃ」は危険サイン? ビジネスパーソンが陥りがちな「成長」のワナ

MEETS


傷をなめ合った同僚がいち早く昇進した。
デキる後輩が自分の営業成績を早々と追い抜いた。
久々に会った友達は高給で知られる会社に転職していた。

周りの人の活躍を横目に、自分の「停滞ぶり」を憂う。
上司から「あなたには期待をしているよ」と発破をかけられた。
ベッドのなか、SNSで流れてくるビジネスインフルエンサーの“意識高い”投稿を見ながら、自分ももっと「成長」しなければと、決意する。

……身に覚えがある、と感じた方も多いのでは。こんな風に私たちは「成長」への圧力を内から、外から常に受け続けています。

確かに、仕事でも、仕事以外でも、概して「成長したい」と努力することは尊く、そして努力の経験はかけがえのないものになります。

一方で、「成長」への圧力に振り回され、消耗し、自分を見失ってしまうことがあるならば、本末転倒です。望むキャリアを築くために、私たちは一体「成長」とどのように付き合っていけばいいのでしょうか。

今回お声がけしたのは、家族や健康を顧みず「成長」のための自己研鑽に没頭する男性の様子を描いた漫画『夫は成長教に入信している』(講談社)の原作者、紀野しずくさん。

作品の内容を下地に、現代の若手ビジネスパーソンにとって「成長」とは何なのか、そして「成長」した先に何があるのかを掘り下げます。


【プロフィール】

紀野しずく
マンガ原作者。2021年「コミックDAYS」にて『夫は成長教に入信している』を連載し、単行本化。

聞き手・レジー
1981年生まれ。会社員兼音楽ブロガー・ライター。音楽を起点に幅広いジャンルの記事を執筆する。著書に『夏フェス革命 -音楽が変わる、社会が変わる-』(blueprint)、『日本代表とMr.Children』(宇野維正との共著、ソル・メディア)、『ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち』(集英社新書)など。Webメディア「集英社オンライン」で「成長の社会史」を連載中。

※取材はリモートで実施しました

「成長したい」という欲求に隠された、マイナスの側面

──紀野さんが2021年に発表された『夫は成長教に入信している』は、現代のビジネスパーソンには避けて通れない「仕事で成長する」というテーマについて、それに過剰にのめり込んでしまう人の特性をさまざまな具体例とともに描き出しています。3年ほど前の作品ではありますが、ここで語られている内容は2024年の今においてもビジネスを取り巻く空気に対する鋭い批評として機能していると思います。そもそも紀野さんは、どういった経緯でこの「成長」という概念に着目したのでしょうか?

紀野しずくさん(以下、紀野):まず、周りがというよりも自分自身に“今日より明日、明日よりも明後日、常に自分をよくしていこう”という気持ちをなかなか捨てられない時期がありました。この考え方自体が悪いものだとは思いませんが、一方で“ここまで頑張らないといけないのか?”と心のどこかで感じていたんですよね。で、どうやらこれは自分だけではなくて、世の中全体に“頑張らないわけにはいかない、でも頑張るのは大変”という空気がありそうだなと思ったんです。そのムードを端的に表すため「成長」をテーマに置きました。

《画像:主人公のコウキは生活の全てを「成長」に捧げようとする。©︎紀野しずく・北見雨氷/講談社》

──本のタイトルに「成長教」とあるように、「成長」を宗教的なものになぞらえていますね。

紀野:成長したい気持ちが高まり過ぎてしまうと、それが極端な行動につながって、結果的に自分だけでなく家族など周囲の人をも巻き込み、傷つけてしまうことがあります。それに、そうなってしまっていることに自分自身も気づいてなかったりする。知らない間によく分からないものにすがって、いろいろなことのバランスを壊してしまうわけです。成長を目指すことによって時に引き起こされるそんな出来事が、宗教的なところがあるなと思って「成長教」という表現を使いました。

──「宗教」というと、何かをしたいという欲求よりも、何かをせねばならないという信仰のような雰囲気も出てきますね。「成長欲求」ではなく「成長信仰」というか……。

紀野:まさにそうですね。この作品を描くにあたって、いわゆるハードワーカーと呼べるような働き方をしている人たちに多数ヒアリングしました。その方々はよく言われる「経営者目線」を自分のものにし、常に高みを目指そうという世界観に組み込まれている印象を受けたんです。“やりたい”以上に、“やらねばならない”という感覚で成長と向き合っている感じですね。そうなってしまうと、他の考え方を許容するのが難しくなるし、それに取り組んでいない自分は良くないという強迫観念に苛まれてしまうことすらあるのではないか、と。「成長したい」という欲求には、プラスの側面とともに、マイナスの側面もある。『夫は成長教に入信している』ではそういった部分を描き出せるといいなと考えていました。

──紀野さんもおっしゃった通り、成長を目指すこと自体は悪いことではないはずなのに、ある瞬間からマイナス面が目立ってきてしまうわけですよね。その境界はどう捉えればよいでしょうか。

紀野:私の考えでは、黄色信号と赤信号があると思います。まず、体調に影響が出始めたら黄色信号です。エナジードリンクを何本も飲まないと体力がもたない、みたいな状況になってきたら、成長との向き合い方を見直したほうがいいと思います。

──そこでもまだ「黄色」なんですね。

紀野:もちろんこの状態でもまずいのですが、自分だけの問題でおさまっているのであれば個人の話とも言えなくはないです。赤信号が灯るのは、やはり周囲の人に迷惑をかけ始めた時かなと。自分の成長のために周りの人をないがしろにすることが出てきたら、それは体調以上に危ないサインです。自分ではそんなつもりのないケースもあるので、もしそういう指摘を受けたら、素直に聞き入れたほうが良いのではと思います。

結局、成長とは「○○を増やしたい」?

──「高みを目指す」というと何だかカッコいい響きですが、紀野さんがヒアリングされた方々はこれが具体的にどういう状態なのか言語化できていたんでしょうか。

紀野:表現は人によって異なりますが、一言で言ってしまうと仕事を通じた自己実現への憧れだと思います。世の中に爪痕を残したいとか、自分の生きてきた証を示したいとか。自分がここにいるかいないか分からない存在にはなりたくない、というのは共通していると思います。

──そういったお話が、作中で主人公のコウキが語る「自分の生きている世界と生きていない世界がまったく同じだったら自分の生きている意味ってなんなんだろうって思っちゃうんだよ!」につながるわけですね。あのくだりを読んだ時、個人的には「少し大げさに書きすぎでは?」とも感じたんです。もちろんマンガ的な表現としてという部分はあると思いますが、そこまで実態から乖離したものではない、リアルなセリフでもあるんですね。

《画像:「なぜそこまで仕事をするのか?」と妻のツカサに聞かれたコウキはこう答える。©︎紀野しずく・北見雨氷/講談社》

紀野:はい。程度の差はあると思いますが、私が「成長教」と定義している人たちはそういう傾向を持っているし、それは必ずしも珍しいことではないんじゃないかなと。

──もう少し突っ込んでお聞きしたいのが、ここで言う「成長」「高み」、あとは「爪痕」といった言葉が何を指しているのか、という点です。「成長したい」として、じゃあ「成長が達成された状態」って何なんだろうなと。

紀野:そうですね……もちろん人によって違うとは思いますが、私が話を聞いた人たちの中だと、“年収1000万円の壁”があるみたいで。

──なるほど。お金の面での指標がある。

紀野:例えば、コンサルティング会社のマネージャーであったり、他の業界でも、ある程度裁量のあるポジションには、これくらいの年収をもらっている人もいます。そこから先にはもっと高いポジションがあるわけですが、まずはこのラインを越えたいという気持ちが強いようです。ただ、ご指摘の通り、この辺は「成長」と言っている方にとっても曖昧なんじゃないかなと思います。成長するのは大事という考え方が先にあって、でも何を目指すかは明確ではないので、そこに見えやすい基準が持ち込まれるという話なのかもしれません。

──例えば、マラソンであれば今より短いタイムで走れれば「成長している」と言えると思うのですが、ビジネスの場で成長をどうやって測るかというのは実は難しいですよね。紀野さんがお話を聞いた範囲だと、会社の中におけるランクを上げたい、給料を増やしたいというのが成長の物差しとして出てくると。

紀野:私が話を聞いたのが比較的若い方々だったというのも大きいかもしれませんが、会社員である以上、こういう思考になるのは自然といえば自然なのかもしれません。定年まで働き上げるという意識を皆が強く持っているわけではない状況だと、まずは目の前で想像できるゴールを設定することになりますよね。今マラソンの例を挙げていただきましたが、みんな短距離走をやっている感じでした。「自分に投資する」みたいな話もよく聞きましたが、その投資もすごく短期的なリターンを求めているように思います。

──理解できました。ただ、だったら「成長」「爪痕」という言葉を使わずに「年収1000万円欲しい!」「昇格したい!」って言えばいいのに、とも思います。さすがにストレート過ぎて言えないのでしょうか……。ただ、そのくらいあけすけなほうが、何のために頑張っているかが分かりやすく、きれいな言葉を使うよりもいざという時にブレーキをかけやすいのかな、なんて思うのですが。

紀野:おそらくですが、それだと自分を駆り立てられないんじゃないかと思います。ハードに頑張らないといけないからこそ、大きな目標に向かっている状況に自分を置いておきたいというか……あと、例えば、新入社員向けの採用サイトとかでしゃべる時に「わたしは1000万円は稼ぎたいです!」と言うわけにはいかないので(笑)、個人の夢やビジョンと合わせて言葉をある種お化粧していくことになりますよね。その過程で、「自分が目指しているのは成長だ!」という気持ちが高まっていくようなこともあるのではないでしょうか。

正しく成長と向き合うために必要な「自己満足」

──外向きに聞こえのいい「成長」という言葉を使うことで、自分の気持ちが塗り替えられていく、強い言い方をすると「気持ちを麻痺させてしまう」ようなことがあるのかもしれませんね。

紀野:そうかもしれないですね。周りから良く見られたい、というような見栄を張りがちな人は「成長教」に囚われやすいと思っています。最近は誰もがいつでもSNSを見ているわけですが、この状況ってつまり「常に誰かの成功しているシーンを見せられている」ということじゃないですか。

──確かにそうですね。

紀野:その空気に飲まれてしまうと、わけもわからず「自分も何かして周囲に認めてもらいたい!」という気持ちになってしまうと思うんです。そうやって他人の物差しを無意識に自分に当てはめて、さらにそれを「成長したい」というきれいな言葉で内面化してしまうのはとても危ないんじゃないかと思っています。

──今の世の中の状況を考えると、各自がそれぞれキャリアについて考えていかないといけないですし、軽々しく「成長を目指さなくていい」とは言えないですよね。一方で、ここまでお話しいただいたような危ない要素を抱えているのも成長というテーマの難しいところだと思います。ビジネスパーソンひとり一人が持続可能な成長のあり方を考えるうえで、この先大事にすべきことは何だと思いますか?

紀野:難しい質問ですが……私は「分人主義(さまざまなコミュニティや他者と関わるなかで数多くの「違った人格」を作り上げる、という人間のあり方。作家の平野啓一郎さんが提唱した概念)」と言いますか、成長を目指す自分だけが「本当の自分」ではないということを強く意識するべきだと思っています。仕事で年収を上げるために頑張っている自分がいて、でもそれ以外にも家族と一緒に過ごしている自分も、他人に見せられない姿でひとりダラダラしている自分も、全部合わせて自分ですよね。この発想を持つだけで、成長を目指す自分のあり方を相対化できるんじゃないかと思っています。

──なるほど。「切り替え」と言うと月並みですが、全人格を成長に没入させないことがバランスを保つ第一歩だと。

紀野:ただ、今の世の中って、これをすること自体がとても難しいんですよね。コロナ禍を経てリモートワークが当たり前になった結果、気をつけないといつまででも仕事ができるようになりました。それに、特に若い方はSNSなどで情報をキャッチしやすくなった分、ありのままの自分でいることに不安を感じるかもしれない。でも、他人が定めた基準で頑張り続けたり、人の目に常にさらされたりすることって、想像以上に神経がすり減ります。そこから全部降りることが正解だとは私も思いませんが、正しく成長するためにも、そうじゃない時間をちゃんと確保する必要があるという整理なのかなと。

──身構えてない自分を許せる時間をどれだけ作れるか。サウナやウォーキングが若い世代に流行るのも、相対化のネットワークから切り離される瞬間を求めているからこそなのかもしれないですね。ただ、例えば「どこどこのサウナに行ってととのいました!」とSNSで発信した時点で、切り離されるためにやったことがすぐに相対化のネットワークに接続されてしまいます。何でもSNSにアップしない、みたいな強い意思も必要なのかもしれません。

紀野:それは本当にそうですね。SNSのいいねの数は多いほうがいい、という感覚自体が知らない間にどこかで植え付けられたものですし、そこに身を投じないシーンを生活の中にどれだけ持ち込めるかですね。「自分の物差し」を大事にするというのは、ある意味では自己満足に忠実になるということなんじゃないかと思います。自分にとってはこれが重要、その観点からはよくできたと感じられる。成長というものは、こういう感覚を積み重ねていった場所にあるものなのかなと思います。

──今の話は若いビジネスパーソンに限ったことではないですよね。自分の物差しを大事にしようというテーマは人生においてずっとついて回りますし、むしろそういう価値観を持っている人のほうが他人の物差し、例えばビジネスシーンで年収や会社でのランクとセットで語られる成長とも適切な距離感で接することができる分、より大きな成果を上げられるのかもしれないですね。

紀野:まさにこのテーマは世代を問わず重要ですよね。何歳になっても転職だ、リスキリングだ、と言われる時代です。成長を絶えず求められる環境にいるからこそ、自分にとって成長とは何か、その先に何があるのか、いつでも成長を目指さないといけないのか、ということはずっと考え続けていかないといけないと思います。『夫は成長教に入信している』はコウキとツカサの間に子どもが生まれてエンディングを迎えますが、例えば子育てをしながらのキャリア形成とか、子どもの教育とか、彼らも引き続きいろいろな場面で成長というもののあり方について向き合わないといけなくなるはずです。もしかしたら、ライフステージや自分のコンディションに応じて一番大事なことをちゃんと考えられるようになることこそが、本当の意味での成長なのかもしれないですね。

編集:はてな編集部
制作:マイナビ転職

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