脚本は恋愛ドラマの神様 北川悦吏子「愛していると言ってくれ」1995年の空気感がここに!
連載【新・黄金の6年間 1993-1998】vol.32
▶ 愛していると言ってくれ
▶ 脚本:北川悦吏子
▶ 主演:豊川悦司 / 常盤貴子
▶ 放送開始:1995年7月7日
トレンド入りした「愛していると言ってくれ」2020年特別版
2020年5月、1本の連ドラの再放送が話題になった。
1995年制作の『愛していると言ってくれ』(TBS系)である。脚本は “恋愛ドラマの神様” こと北川悦吏子サン。主演は豊川悦司サンと常盤貴子サン。時に、コロナ禍でテレビ局の制作体制が止まり、各局ともその穴埋めに追われる中、同ドラマが新たに主演2人のリモート対談を足して、“2020年特別版” として再放送されたのだ。90年代の連ドラが2020年のSNSにトレンド入りするという、なんとも不思議な出来事だった。
その時、ふと感じたことがある。同ドラマは1995年に作られた。“1995年” と言えば――1月に阪神・淡路大震災が起きて、3月にオウム真理教による地下鉄サリン事件が発生した、いわくつきの年。ともすれば、メディアの手にかかると、かの年はまるで中世ヨーロッパのごとく、暗く、不安定な1年だったと総括されがちだ。ところが、同ドラマの中に、微塵もそんな悲愴な空気感はなかったのである。
1995年はどんな年だった?
俗に、“歴史は後から作られる” と言われる。
90年代をリアタイで知らない若者ならいざ知らず、当時を過ごした僕らからすれば、1995年はそんなに暗い時代じゃなかったと記憶する。確かに、震災や地下鉄サリン事件など不穏な出来事はあったものの、一方でスポーツやエンタメに目を向ければ、全く別の空気感があった。プロ野球は、前年(1994年)に210安打を達成したイチローが三冠王に迫る更なる飛躍を遂げ、海外ではメジャーに渡った野茂が1年目からオールスターに出場するなど、若きスターたちの活躍に胸アツな1年だった。
また、音楽界も1995年、シングルのミリオンセラーが28曲と史上最多を更新する(この記録は今も破られていない)。ミスチルやスピッツ、MY LITTLE LOVER、B'z 、trf(現:TRF)、H Jungle with t、ドリカム、福山雅治、ZARD、岡本真夜、シャ乱Q、大黒摩季らがチャートを賑わし、国民的ヒット曲が街にあふれた1年だった。小室哲哉や小林武史らプロデューサーが活躍して、両者のイニシャルから “TK時代” とも呼ばれた。
更に、テレビからも数多くの人気ドラマが生まれた。冒頭の『愛していると言ってくれ』は最終回に視聴率28.1%を記録。他に、三谷幸喜最高傑作とも言われる『王様のレストラン』(フジ系)に、野島伸司脚本の青春群像劇『未成年』(TBS系)、前作以上に過激だった『家なき子2』(日テレ系)、そして『金田一少年の事件簿』(日テレ系)、『人生は上々だ』(TBS系)、『星の金貨』(日テレ系)、『味いちもんめ』(テレ朝系)等々――。人気ドラマが放映された翌朝、職場や教室ではその話題で持ちきりだった。
ドラマは時代の鏡
視点を変えて、カルチャー的な話をすると、90年代の半ばともなると、いわゆる就職氷河期から、地方の女子は地元の短大より働き口のある東京の専門学校を選ぶようになり、また自分探し的なフリーターも急増した。要は、それまでの “地元の短大 → 腰掛けOL → 寿退社” から、“東京でユルく1人暮らしをしながら自分探し” へ――。そう、90年代半ば、若い女性の生き方がそんな風に自由化・多角化したのを覚えている。彼女たちが好む下北沢や吉祥寺が人気の街になるのもその頃から。80年代から続く小劇場ブームも健在で、やたらインドへ行きたがる女子も多かった。
いかがだろう。「1995年」は今日語られるほど、暗く、不安定な時代じゃなかった。もし、若い人で当時の空気感を追体験したいなら、俗に “ドラマは時代の鏡” と言われるように、先に記した1995年に作られた連ドラを見るのもいいかもしれない。中でも、冒頭に挙げたドラマ『愛していると言ってくれ』は、最も当時の空気感がリアルに投影された作品と思っている。個人的には、同ドラマで常盤貴子サンが演じたヒロインのパーソナリティに、先にも挙げた極めて90年代半ば的な匂いを感じる。
ⓒTBS
お茶の間の関心はトヨエツ一択
―― てなことで、少々前置きが長くなったが、今回のテーマは、今から29年前の今日、1995年7月7日にスタートしたドラマ『愛していると言ってくれ』である。
思えば、同ドラマは始まる前から話題だった。今の視点からすると、恋愛の神様の脚本に、当代2大スターの競演―― と、いわゆる “ビッグ3” 的な構図を想像するかもしれない。しかし、当時のリアタイの印象で言えば、圧倒的にお茶の間(特に女子たち)の関心はトヨエツの一択だった。
一応、放映前の時点の彼ら3人の立ち位置を解説すると、脚本の北川悦吏子サンは、安田成美と中森明菜の共演で話題を呼んだ1992年の『素顔のままで』(フジ系)で脚光を浴び、更に “取手クン” を演じたキムタク(木村拓哉)が一躍注目された93年の『あすなろ白書』(フジ系)でブレイク。ドラマフリークからの支持は高かったものの、一般層への浸透は、まだそこまでじゃなかった。
常盤貴子サンは、93年のドラマ『悪魔のKISS』(フジ系)の体当たり演技で世の男性陣から一躍注目され、更に同局の土曜深夜のバラエティ『殿様のフェロモン』の軽妙なMCでカルト的人気を博した。女優としても上り調子だったが、どちらかと言えば、若手注目株のタレント的な人気が先行していた。
そして―― トヨエツ(豊川悦司)は、92年に武田真治と主演した深夜ドラマ『NIGHT HEAD』で見つかり、更に同年、松岡錠司監督の映画『きらきらひかる』で日本アカデミー賞の新人賞を受賞してブレイク。連ドラ『この世の果て』や映画『Love Letter』でも爪あとを残し、『愛していると言ってくれ』がプライム帯の連ドラ初主演作として、俄然注目を集めていた。
知る人ぞ知る話だが、同ドラマは当初のプランだと、耳が不自由な役は女性の側だった。その後、トヨエツがキャスティングされ、話し合いを重ねるうち、彼の側から “男女の設定を逆にしたらどうか” と提案があったそう。結果として、その選択はドラマのオリジナリティを高めるうえで、プラスに作用したと思う。
男性の美しい手による手話
これは僕の想像だけど、同ドラマは、1987年の米アカデミー賞でマーリー・マトリンが主演女優賞を射止めた映画『愛は静けさの中に』がオマージュ元になっている。同映画でヒロインを演じたマーリーは実生活でもろうあ者であり、そんな彼女がウィリアム・ハート演ずる年上の教師との純愛を演じたリアリティが評価されたのだ(実は2人はリアルでも同棲していた。ややこしや)。同映画は日本でもスマッシュヒットした。
まぁ、聴力を失って心を閉ざした少女を、年上の男性が優しくエスコートして、やがて “愛” を通じて心の扉を開ける――というプロットは、いわば少女漫画の王道であり、こっちのパターンでも北川サンは上手く書けただろう。でも、トヨエツからしてみたら、演じがいがあるのは圧倒的に自身が聴力を失うパターンである。
結果的に、その変更は、演技者・トヨエツの評価を更に高めたばかりか、“男性の美しい手による手話” という副産物を生み出し、世の女性たちの心を鷲摑みにした。それだけじゃない。役の変更で健常者を演じることになった常盤貴子サンも “その辺にいる普通の女の子”(褒めてます)という自身の眠れる才能(武器)を引き出すことになり、双方にメリットがあったのである。
ⓒTBS
美しきオマージュの連鎖
元々、北川サンは映画好きで(何せ、脚本家になる前に務めていた会社が日活の撮影所である)、自身の企画もハリウッド映画などがオマージュ元になっているケースが多い。僕は優れたクリエイターとは、優れた過去の作品をどれだけ知っているかと同義語だと思っているので、それは全く問題ないし、むしろマストの要素とすら思っている。
例えば、彼女が書いた『素顔のままで』は映画『フォーエバー・フレンズ』にインスパイアされた作品だけど、ちゃんとオマージュ元への敬意(サイン)を忘れない。同ドラマでミュージカルスターを目指すカンナを演じる中森明菜サンの髪型は、同映画で売れないクラブ歌手を演じたべット・ミドラーと同じであった。
また、北川サンが96年に書いた『ロングバケーション』(フジ系)も、元カレに振られ、ひょんなことから元カレの友人と同居生活を始めるプロットは、ニール・サイモン脚本のハリウッド映画『グッバイガール』にインスパイアされたもの。こちらも屋上をオシャレに使うシーンを取り入れることで、オマージュ元をさりげなく明かしている。
それらと同様、ドラマ『愛していると言ってくれ』も、設定を変更したとは言え、ちゃんとインスパイアされたオマージュ元への敬意は忘れない。同ドラマのオープニングのタイトルバックで、水の中で裸のトヨエツと常盤サンが触れ合うシーンが描かれてるけど “あれは何?” と不思議に思った方も少なくないだろう。実はアレ、映画『愛は静けさの中に』に出てくる有名なシーン―― 夜のプールで戯れる裸の2人の描写がモチーフになっている。それ即ち、美しきオマージュの連鎖である。
Wミリオンを売上げた主題歌「LOVE LOVE LOVE」
ねぇ どうして すっごくすごく好きなこと
ただ 伝えたいだけなのに ルルルルル
うまく 言えないんだろう…
そして、同ドラマの主題歌は、DREAMS COME TRUEが歌う「LOVE LOVE LOVE」(作詞:吉田美和、作曲:中村正人)である。Wミリオンを売り上げ、1995年の年間チャート第1位に輝いた。同曲はドラマの劇伴にも使われ、毎回、クライマックスのここぞというタイミングで必ずかかった。歌詞、メロディともドラマの世界観に合致しており、同曲を聴いて、逆にドラマの1シーンを思い出す方も多いだろう。
ふたり出会った日が
少しずつ思い出になっても
健常者とろうあ者という壁を越えた、愛のいばらの道
物語は、さして複雑ではない。ある日、原宿のキャットストリートにある古びたイタリアンレストランの庭になっているリンゴの樹の下で出会った2人の男女。もちろん、これは『アダムとイブ』を象徴するシーンだ。男は画家で、女は女優の卵。この時、2人は互いの素性をまだ知らない。
その後、井の頭公園(同ドラマの世界観を象徴するロケーションとして度々登場する)で恋愛ドラマのお約束である “再会” を果たす2人。ひょんなことから女は男の耳が聴こえないのを知り、ある出来事をキッカケに距離を縮める。そこから―― 健常者とろうあ者という壁を越えた、2人の愛のいばらの道が始まる。
僕は、優れたドラマは “ニコハチの法則” ―― 2話と5話と8話が軸になっていると思っている。物語のツカミとして潤沢な予算が投じられる1話は別として、連ドラという3ヶ月の旅を乗り切るには、最初の平常運転である2話(ここで主要な登場人物の相関図と、物語のベースが語られる)、2人が初めて結ばれる5話(もちろん、このあと2人の仲は引き裂かれる)、そして主人公の心の内が明かされ、ラストに向けた起点となる8話(いわば最終章の幕明け)がキチンと描かれていれば、まず間違いない。
実際、ドラマ『愛していると言ってくれ』も、2話でトヨエツ演ずる榊晃次の複雑な家族関係が描かれる。ここでキーとなるのは、晃次の義妹で、密かに兄に思いを寄せる矢田亜希子サン(ちなみに本作がドラマデビュー)演ずる栞の存在。少女漫画にありがちな “ブラコン”(ブラザーコンプレックス)の設定である。そして何かと常盤貴子サン演ずる紘子の邪魔をする。もちろん、後に彼女が改心して、紘子の応援に回るのはお約束―― 。
そして5話では、いくつかの誤解(一般に、恋愛ドラマは誤解とすれ違いで成り立つが、同ドラマはその極みである)を乗り越え、初めて2人が一夜を共にする。やれやれ。だが、もちろんソレは一時の幸せに過ぎない。ここから、2人の前に新たな刺客が現れる…。
で、最終章の幕明けとなる8話である。2人の前に晃次の “元カノ” ―― 紘子にとって最大のライバルとなる、麻生祐未サン演ずる光が現れる。そして、ここから彼らの愛のいばらの道は最大のピンチを迎える。果たして、2人は結ばれるのか、それとも―― 。
愛してる 愛してる ルルルルル
ねぇ どうして
涙が 出ちゃうんだろう
ちなみに、最終回(12話)のラストの解釈は、お茶の間に委ねられる。あなたはどう解釈しただろうか。
2つだけ確かなことがある。
同ドラマを通して、誰もが愛を語りたくなったこと。そして、脚本の北川サンを始め、常盤サン、そしてトヨエツの3人とも、同ドラマを撮り終え、その評価を盤石にしたこと。
そう、1995年は、間違いなく “愛” と ”希望” にあふれていたのである。