デヴィッド・ボウイ「スケアリー・モンスターズ」カルトヒーローとしての最終到達地点
Z世代に語り継ぎたいロック入門ガイド Vol.6
デヴィッド・ボウイ
今や化石化した “ニューウェイヴ” という音楽ジャンル。でも実は、現代のロックにつながる重要な源流のひとつです。リアルタイム世代にとっては懐かしく、若い世代にとっては3周回ってカッコよく見えてくる。
そう、平成生まれのニューウェイヴ伝道師として活動中の筆者が、“Z世代に語り継ぎたいロック” を、1970〜1980年代のニューウェイヴを中心に、独自&後追いならではの視点からお届けします。めくるめく刺激とツッコミどころ満載なこのジャンルを風化させぬよう語り継ぐ、温故知新型洋楽ガイドをお楽しみください。
デヴィッド・ボウイ唯一のニューウェイヴ作品「スケアリー・モンスターズ」
前回は、ニューウェイヴというジャンルの誕生に際し最大の影響を与えたアーティスト、デヴィッド・ボウイの命日によせて、彼の長いキャリアの中でも最も前衛的作風で知られた2枚のアルバム『ロウ』と『ヒーローズ』を、ボウイの新たな入門作品に挙げさせてもらった。今回はその発展形であり、かつボウイによる前衛的なカルト作品の最終作でもある、1枚のアルバムについて語ってみたい。
そう、ニューウェイヴという新しい形のロックを見届けたボウイ自身が、後進たちへの回答の如く作った唯一のニューウェイヴ作品『スケアリー・モンスターズ』(1980年)である。
このアルバムは、唯一にして正真正銘のニューウェイヴ作品であるものの、前作『ロジャー(間借人)』(1979年)での音像にその兆しは現れていた。これは共作のブライアン・イーノはもちろん、後に新生キング・クリムゾンのボーカル兼ギタリストとなるエイドリアン・ブリューの存在が大きかった。しかし、『スケアリー・モンスターズ』にエイドリアン・ブリューは参加しておらず、代わって入ったギタリストが、『ヒーローズ』でボウイと初タッグを組んだクリムゾンの指揮官、ロバート・フリップ御大である。
ボウイとロバート・フリップにとってとって新境地となったアルバム
何を隠そう、こうしてボウイをキッカケに新生キング・クリムゾンの布陣が整った背景も見逃してはならない。こうした人脈に後押しされた結果、やはり1980年代のクリムゾンは、最初からニューウェイヴ・バンドとして再始動する運命にあったと言っても過言ではないのだ。
それはさておき、『スケアリー・モンスターズ』の冒頭から噴出する狂気には圧倒されるものがある。1曲目「イッツ・ノー・ゲーム(パート1)」における日本人女性の語るポエムも “最恐” にカッコいいが、何といってもギターとボーカルの化学反応に度肝を抜かれる。これがアルバム全体(特にA面)のアツく不気味な世界観を形作っている最たる要素なのだ。
表題曲の「スケアリー・モンスターズ」では、パンク魂すら感じるロバート・フリップのギターに呼応したボウイの呪術的なボーカルに、後のバウハウスなどにも通じるゴシック要素を感じる。これはボウイのキャリアの中でも最高にフリーキーな1曲だろう。
打って変わって「ファッション」では、ボウイの方から自身お得意のディスコリズムにフリップを引きずり込んだような妖しさだ。ファンクと歪んだギターのいびつな絡みはなんだか淫靡でねちっこいし、フリップがどんな気持ちでディスコリズムを弾いていたのかを想像するのも楽しい。この異種交配感こそ、ニューウェイヴによくみられる “一筋縄ではいかないディスコサウンド” のお手本のような音作りだ。
まるでお互いが憑依して合体したようなボウイのボーカルとフリップのギターから察するに、本作は2人にとっての新境地となったことは想像に難くない。『ヒーローズ』でも全面的にギターを弾いていたフリップだが、それ以前からコラボレートしていた盟友、ブライアン・イーノの不在の影響が大きいのだろうか? 不思議と『ヒーローズ』の頃よりずっとフリップのギターは存在感を増し、暴れまくっている。2人のコラボが本作で終わってしまったことがたまらなく惜しい。
ニューロマンティック発端のキッカケとして語り継がれている「アッシュズ・トゥ・アッシュズ」
さらに『スケアリー・モンスターズ』がニューウェイヴの歴史において記念碑となっているもうひとつの大きな所以が、そのヴィジュアル表現である。本作のジャケットでも白塗り顔で羽のついたピエロに扮したボウイの肖像が描かれているが、収録曲「アッシュズ・トゥ・アッシュズ」のミュージックビデオにはこのままの姿で登場している。そしてこの作品こそ、ニューウェイヴの一派である “ニューロマンティック” というムーヴメント発端のキッカケとして語り継がれているのだ。
ニューロマンティックの最たる特徴は派手に着飾った “ヴィジュアル重視” という点。1980年代にチャートを賑わせた多くのバンドが奇抜な見た目であったことも、大抵はこのニューロマンティックの流れを汲んでいて、日本における1990年代以降の “ヴィジュアル系” の源にもなったムーヴメントだ。
このニューロマンティックは当時ロンドンにあったクラブ “ブリッツ” のDJと常連客によって始まった。そこでは夜な夜な『デヴィッド・ボウイ・ナイト』なるイベントが開催されており、その噂を聞きつけたボウイがある日ブリッツを訪問、そこで当時DJとして活動していたスティーヴ・ストレンジ(後のニューロマンティック・バンド、ヴィサージのフロントマン)と、その仲間たちを出演させたのがこの「アッシュズ・トゥ・アッシュズ」のミュージックビデオなのである。
ボウイ自らが1970年代に提唱したグラムロックを新解釈し、中世的で幻想的な衣装を纏って登場する浮世離れしたこの映像作品は、そのままニューロマンティックという世界観の教科書ともいえ、これによってボウイという本家公認のもと、ニューロマンティック・ブームの火蓋が切られたのである。
カルト時代のボウイにとって最終到達地点だった「スケアリー・モンスターズ」
しかし、ボウイという男のカッコいいところは、グラムロックにしろニューロマンティックにしろ、自分がひとつのムーブメントを完成させた途端にそのペルソナをあっさりと脱ぎ捨ててしまうところにある。実際にボウイが作ったニューウェイヴ〜ニューロマンティック作品もこの『スケアリー・モンスターズ』1枚のみ。次作はかの有名な『レッツ・ダンス』(1983年)でカルトを卒業、メインストリームに躍り出て世界を席巻していくのであった。
カメレオンのように音楽性を自在に変えつづけたボウイの歴史の中でも、『スケアリー・モンスターズ』から『レッツ・ダンス』への変化がいちばん振り切っていたことは間違いない。“ある意味で最後のデヴィッド・ボウイ作品” と謳われることも多い『スケアリー・モンスターズ』はカルト時代のボウイにとっては最終到達地点であり、ニューロマンティックという新たな時代においての出発点である。
ニューロマンティックニューウェイヴの入口には絶好のアルバムなので、ぜひ映像と合わせて聴いてみて欲しい。