“人が演じるロボット”こそ、スーパー戦隊の醍醐味――『ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー』特撮監督・佛田洋さんインタビュー【後編】
スーパー戦隊50周年記念作『ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー』が、毎週日曜午前9時30分より、テレビ朝日系にて放送中です!
巨神テガソードと、全て集めると願いが叶う指輪・センタイリングを巡って、ゴジュウジャーが悪の組織・ブライダンのノーワン怪人たちと様々な「ナンバーワン対決」が繰り広げられます。歴代スーパー戦隊の力を持ったユニバース戦士たちが登場するという驚きの展開にも注目です。
アニメイトタイムズでは、そんな『ゴジュウジャー』の特撮監督を務める佛田洋さんにインタビュー!
佛田さんは、スーパー戦隊シリーズのメカ・ロボ戦を手がける特撮監督として、『地球戦隊ファイブマン』(1990年)でデビュー。キャリア35年以上にわたり、第一線でご活躍されています。佛田さんが手がけるミニチュアを駆使したダイナミックな巨大戦、近年ではCGと融合した多彩な演出に心を踊らせた読者は多いはず。
「ロボット一筋40年! 撮ったロボット500体!? 戦隊連続特撮監督ナンバーワン!」と自ら名乗り、日本の特撮文化を支え続ける佛田監督。インタビュー後編では、ご自身のキャリアを振り返りつつ、撮影の思い出について語っていただきました。
【写真】『ゴジュウジャー』佛田洋が語る「人が演じる巨大ロボ」の意義【インタビュー後編】
特撮監督の原点は、合体前のマシンを撮る「ミニチュア撮影」
ーー佛田監督は『地球戦隊ファイブマン』(1990年)で、特撮監督としてデビューされました。
特撮監督 佛田洋さん(以下、佛田):最初の頃は、所謂ロボ戦というより合体する前のメカの基地からの発進パターンとか空中戦などを撮っていました。あとは、変形合体のシーンや合体直後に決めポーズをするカットとか。
『ファイブマン』で言うと、「スターキャリア」の上に「ファイブロボ」が乗るカットなんかもミニチュアで撮りましたね。当時はCGもなく操演で変形シーンとかも全て撮っていたので撮影日数的にそれが限界で、ロボ戦はドラマのチームが一緒に撮っていたんです。「ロボット一筋40年!」とは言っても、最初はロボットが合体するところまでの所謂バンクシーンを撮っていた印象が大きいね(笑)。
ーー翌年の『鳥人戦隊ジェットマン』(1991年)では、ビル群の中をすり抜ける5機の「ジェットマシン」のカットも印象的です。
佛田:オープンセットにミニチュアのミラービルを立てて、手のひらサイズのミニチュアの「ジェットマシン」を飛ばしました。第2話では「ジェットホーク」がビルの鉄骨の中を抜けるカットを撮ったけど、「こんな長い鉄骨ないだろ!」って思うよね(笑)。でも、戦隊はそういうことが出来るからいいんです。
ーー『恐竜戦隊ジュウレンジャー』(1992年)の特撮カットは、後の『Power Rangers』でも使用されていて。世界中の子供たちが佛田監督の特撮に熱狂していた時期だったのではないでしょうか。
佛田:『ジュウレンジャー』をやっている頃は、当然『Power Rangers』をやるなんて思ってもいませんでした。ただ、この辺から敵の戦闘機の出番が少なくなってきたんですよ。その中で「守護獣」の活躍を考えるのには苦労した記憶があります。
地下神殿もそうですけど、第1話のタワービルが浮き上がるシーン、「ドラゴンシーザー」が水中から出てくるカットとか。戦闘機がない分、ファンタジーで面白そうなところを撮っていました。月面のバンドーラ城とかもミニチュアが凝ってて面白かったなあ。
“夕陽から龍が出てくる”カットは超えられない
ーー先日、白倉伸一郎さんと松浦大悟さんにお話を伺ったんです。その際に『五星戦隊ダイレンジャー』の「龍星王」が夕陽から出てくるカットについて、「その後も佛田さんには何回か龍をやってもらっていますけど、「あれは超えられない」と言っていますね」とおっしゃられていました。
佛田:戦隊メカには珍しく龍なんだよね。『超獣戦隊ライブマン』(1988年)から動物メカが出始めて、そのノウハウで『ジュウレンジャー』を作ったんだけど、龍は流石に初めてだなと。普通だったら、龍を戦隊メカとしては考えないでしょう。
当時のバンダイの担当の方には「龍のオモチャは映像化の可能性はある?」って何回も聞かれました。打ち合わせを進める中で、本来はおもちゃに寄せなきゃいけないんだけど、「おもちゃより関節を増やしてもいい」ということになったんです。「カッコいい画が撮れる方がいい」と。
現場で夕陽のライティングを作って、すごい量のピアノ線で協力して動かしましたね。操演の鈴木昶さんや尾上克郎さんはもちろん、現場にいたほぼ全員で頑張ったことを覚えています。『宇宙戦隊キュウレンジャー』(2017年)でも、月からリュウボイジャーという龍型メカが出てくるカットをやったんだけど、やっぱり超えられない(笑)。
ーーその後も『超力戦隊オーレンジャー』(1995年)では、「マシン帝国バラノイア」の戦闘機「タコンパス」のデザインを担当されたとか。
佛田:それは本当です。「タコンパス」は、いい戦闘機でした。監督もやりながら空いた時間にデザインして、ほとんど自主映画のようだったね。自分で描いて、自分で撮るんだから。
ーーまた、『激走戦隊カーレンジャー』(1996年)に登場する「RVロボ」の必殺技・RVソード激走斬りは、決めポーズが本当に格好良くて。
佛田:縮尺した「RVロボ」をレインボーさん(レインボー造型企画株式会社)に作ってもらいました。中に針金が入っていてポーズが取れるような仕組みになっています。決めのポーズを付けた後、棒で回して、最後の止まるところで組み替えて前足を出す。それをワイドレンズで撮影したんだよね。
ーーこの時代は、日下秀昭さんが長年戦隊ロボのスーツアクターをされていました。佛田監督から見た日下さんの良さはどんなところですか?
佛田:日下さんの一番の良さは、人の悪口を言わないこと!(笑)人間ができていて、すごく紳士な方です。ガタイも良くて、戦隊ロボならではの重みがありますし、ポーズの一つ一つが決まるんですよね。
「格好良い方がいい」で繋がる撮影現場
ーー『救急戦隊ゴーゴーファイブ』(1999年)は、第1話からミニチュア特撮が盛りだくさんでした。
佛田:『ゴーゴーファイブ』は、個人的にも思い入れがある作品です。第1話はずっと特撮で、改めて観るとやっぱりやり過ぎだよね(笑)。子どもの頃に好きだった『サンダーバード』みたいな世界観だったし、それまでに積んできたノウハウとも合致したんですよ。撮影はきつかったけど楽しかったなあ。
具体的に言うと、「イエローアーマー」と「ピンクエイダー」がジャッキで立ち上がるシーンはサンダーバード2号をイメージしているんです。合体の理屈を考えて、ある程度ワイヤーで釣り上げたりもしました。「レッドラダー」のハシゴもおもちゃはそんなに伸びないから、救助シーンが面白くなるように改造して。スポンサーの方もみんな「格好良い方がいい」って許してくれましたよ。長く現場でやっていると、「格好良い方がいい」でスタッフが一丸となる瞬間があるんです。
ーー2000年以降はフルCGのマシンやロボが登場し、近年ではLEDウォールなど、新技術の導入も始まっています。
佛田:最近だと『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』の電脳世界みたいな世界観は、セットでは作りきれませんから、CGと両立させていました。「できないことができる」っていうのは刺激になったよね。選択肢の一つとしては良かったと思います。
例えば『王様戦隊キングオージャー』の何ヵ国かを一度に撮らなきゃいけない撮影でも、「次はトウフ、次はシュゴッダム」という具合に背景をすぐに変えられるんです。ただ、派手な爆発は火薬を使うから、そこはオープンセットでやる必要がありますね。
ーー最後に、子供たちに伝えたいスーパー戦隊のロボの魅力を教えてください。
佛田:『ブンブンジャー』の第1話で、敵をドライバーで締めて『デコレーションケーキだ!』っていうシーンがありましたけど、ああいう面白いことができるのは戦隊ロボの良さですよね。日本のアニメはもちろん、アメリカの『トランスフォーマー』『パシフィック・リム』とか、色々な映像表現ができるようになった中で、スーパー戦隊ならではの『ロボット』というのがあると思うんですよ。
個人的には、人っぽいところが好きなんだよね。JAE(ジャパンアクションエンタープライズ)のスーツアクターさん達が演じていて、やられた時に「うっ、痛い」って演技したりするじゃないですか。スーパー戦隊のロボットは、ドラマの中でそういうものを効果的に見せられるんですよね。他のアニメとか映画と差別化できる部分ですし、色々試せるからやっていて楽しい。
それが、スーパー戦隊の醍醐味ですね。
[インタビュー/田畑勇樹 撮影・編集/小川いなり]