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成人し、親元を離れて暮らす発達障害娘が自ら見つけた居場所。「大学に進学したい」思いに重なる青年期のインクルーシブ・プログラムとは

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成人、独立した発達障害娘が自ら見つけた居場所。「大学に進学したい」思いに重なる青年期のインクルーシブ・プログラムとは

監修:井上雅彦

鳥取大学 大学院 医学系研究科 臨床心理学講座 教授/LITALICO研究所 スペシャルアドバイザー

本人が安心し楽しく過ごせる場所

発達障害のある私の娘は現在25歳。私は、娘が安心して楽しく過ごせる“居場所”をずっと探してきました。

娘が小学生の頃にはまだ放課後等デイサービスがなかったので、娘は放課後の居場所として隔週で2時間程、近所の造形教室に通っていました。
そこはフリースクールが主宰していて、不登校のお子さんも通っており、年齢もさまざまでした。

毎回、制作のテーマはありましたが自由度が高く、時間の半分ぐらいは個々が好きなことをして過ごしていました。最初の1、2回は私も同伴しましたが、慣れてくると娘はひとりで通うようになりました。講師の先生は、子どもたちの大胆な発想や伸び伸びとした感性をいつも褒めてくれました。幼稚園の頃から絵を描くことが好きだった娘は、そこでは水を得た魚のようにイキイキとしていました。そこは娘にとって居心地がよい場所で、小学校卒業までこの造形教室に通いました。

中学生になると娘は、障害児専門の塾に通い始めました(この塾はのちに放課後等デイサービスになりました)。

また、基幹相談支援センター(地域活動ホーム)主催の余暇支援活動にも通い、料理やフラワーアレンジメントのほか、ネイルや化粧やヘアメイクなどのプログラムにも参加しました。高校生になってからは、同センター施設内のショートステイなども利用しました。

社会人になってからは医師が主宰する“インターネットを活用した余暇支援活動”に参加しました。

これらはすべて私が探し、事前に下調べをして娘に合っているかなどを確認してから参加していました。

子どもに必要な福祉や支援の情報を調べること、伝えることの限界

娘は高等特別支援学校卒業後、特例子会社(※)に就職しました。そして、親元から離れ、グループホームに入居することを自ら選びました。
※特例子会社とは、障害のある人の雇用促進と雇用の安定化を図るために設立された会社のこと

娘が選んだグループホームは県外だったため別の自治体管轄になり、福祉支援の担当者も変わりました。

グループホーム入居後に、娘から余暇を過ごす場所について相談されたことがありました。一緒に暮らしていた高校生までは、私が娘に合いそうな居場所やコミュニティについて調べていましたが、娘が入ったグループホームのある地域の支援情報を私はほとんど知らなかったので「支援者の人に聞いてみて」としか言えず、親の私から支援の情報を伝えることの限界を感じました。

娘はその後、多くの支援者の方のお世話になり、私がサポートしなくても余暇を過ごす場所やコミュニティにも出合うことができました。6年勤務した特例子会社を退職し、就労継続支援A型事業所(※)に転職しますが、そのときも相談支援センター相談員やハローワーク、ジョブコーチなどの支援者の方々がサポートしてくださいました。
※障害や難病のある人が、雇用契約を結び支援を受けながら働くことができる障害福祉サービス

大学のセミナー、とな⁉

娘が就労継続支援A型事業所に転職してしばらくしたころ、「高校時代の恩師から、大学のセミナーに誘われた」と連絡がきました。

娘が通っていた高等特別支援学校でお世話になったG先生が定年退職後、カレッジ型福祉サービスなどに携わり、障害のある子どもたちの支援に尽力されていることは知っていましたが、大学のセミナーに娘が誘われるなんて、私はびっくり仰天です。

私は、まずセミナーにかかる金銭面が心配でした。

以前娘が特例子会社で働いていた頃、そこの先輩に『自分が興味あることを学びなおしたい』という理由で退職し、それまで働いたお金で専門学校に入学した方がいました。でも、娘にはそのような貯蓄はありません(むしろマイナス)。

私は娘に「先生に、自分は他の同級生とは違って実家暮らしじゃないからお金に余裕がないけど大丈夫かどうかを聞いてね」と伝えました。

恩師G先生

その後、そのセミナーは障害のある若者と大学生が共に大学で学ぶための行政と大学の連携・協働を通じたインクルーシブ・プログラムであること、セミナー受講が無料であることなどが分かりました。社会人向けの生涯学習に近いものと知り、私はほっとしました。

娘は高等特別支援学校卒業後、就職をしましたが、「大学に進学したい」という思いがあったことは察していました。また、娘は中学2年生まで通常学級で過ごしていたこともあり、“定型発達の人たちのコミュニティへの参加”をどこかで求めていたことも私は知っていました。
そんな娘がこのプログラムに強い関心を持つのは当然でした。

娘の卒業から7年が経ちますが、その間もG先生はずっと子どもたちのことを想い、彼らが活き活きと過ごせるような居場所を創り続けてくださっていたと知り私は胸が熱くなりました。

新しいインクルーシブ・プロジェクト

このような取り組みをしている自治体や大学があることを、私は全く知りませんでした。

G先生は「当事者と大学生がフラットな関係性の中で学べるようになることを願っています。インクルーシブ・プログラムは大学生にとってもかけがいのないものだと思います」とおっしゃっています。

私もこの取り組みが全国に広がってスタンダードなものになってくれたら良いな、と思います。

そして日本の従来のインクルーシブ・プログラムとは違う『障害のある当事者自身が己の意志を発信し、大学生たちも能動的・自主的に関わっていく』そんな“青年期のインクルーシブ・プロジェクト”が今後、社会にどのような変化をもたらすのか、今から楽しみでなりません。

親として思うこと

親は“子どものため”と思ってさまざまな情報収集をし、居場所を探します。親なきあとのことを心配して、就労先や住むところを探します。

でも、その行動は果たして子ども本人が望んでいることなのか、本人はそこに幸せを感じているのか。

実は一連の行動は“親自身の安心のため”なのではないか?

子どもが成長するにつれ、いろいろと考えさせられます。

高校生までは私が娘にとって必要であろう福祉や支援の情報を探してきましたが、今回のように娘自身が積極的に情報を探すようになってきたことを私はとてもうれしく思っています。それらは、親のフィルターを通さず、娘自らが望み、選んだ情報だからです。

そして、そんな場を創ってくださる方々、サポートしてくれる人々に、私は感謝の気持ちでいっぱいです。

執筆/荒木まち子

(監修:井上先生より)
勉強だけでなく、余暇や居場所づくりは幼児期から成人期まで継続的に必要なことです。成人期になって、自分でそういった場が選択できるようになったベースには、幼児期からの親御さんのご努力があったのだと思います。働く場所以外の交流の場は、親にとって心配な部分もありますが、信頼できる支援者の方たちのサポートがあることによって、本人も親御さんも安心して参加できる場所になっていると思います。
先輩や友人との交流によって、自分の価値観や生活スタイルに広がりがでてくるとよいですね。

(コラム内の障害名表記について)
コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。

神経発達症
発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。
知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。
※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。

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