65年前にさかのぼる!アメリカ統治下時代の沖縄にテレビが初めて流れた物語。照屋年之(ゴリ)脚本 池間夏海 主演
史実をもとにしたコメディドラマ!
1959年11月1日、沖縄テレビは沖縄初のテレビ局として65年前に開局した。 開局当時、沖縄はアメリカ統治下の時代で、政治的、社会的変革がいちじるしく、沖縄のアイデンティティや文化形成に大きな影響を及ぼしていました。そんな時代にできたテレビ局としてどのような歴史を歩んだのか。 沖縄テレビは、当時を知るテレビマンから聞いた史実を元に、笑って観られる、コメディドラマを制作。
沖縄を代表する豪華出演者たち
主演は、池間夏海さん。 全国でも映画、ドラマなどマルチに活躍する池間さんは沖縄県豊見城市出身。沖縄なまりもお手の物、ドラマでは、天真爛漫で仕事に奮闘する65年前のテレビ局新人ディレクター「知花数子」を演じる。 そして、脚本は、数々の名作映画を監督してきた照屋年之さん、ことガレッジセールゴリさん。史実をもとに脚本を手掛けた照屋さん。沖縄にはじめてテレビが来た時代のテレビマンたちの奮闘ぶりや今では考えられないことを照屋さん節のコメディタッチで描いています。
そのほかにも、具志堅用高さん、真栄平仁(ひーぷー)さん、津波真一さん、護得久栄昇さん、ありんくりんさん、ゆっきー(キャン×キャン)さん、メインキャストの神田青さん、堀川恭平さん、垣花拓俊さん、などなど…沖縄を代表するタレントたちが多数出演している。
どんなドラマ!?あらすじをちょっとだけ教えちゃいます
~現代~ 悩めるテレビ局…
1959年11月1日、米国統治下の沖縄で最初に設立されたテレビ局としてスタートした沖縄テレビ放送。 開局から65年が経ち、テレビを取り巻く環境は大きく変化し、番組制作現場にも大きな影響を及ぼしていた。沖縄テレビの制作部長・本橋(モコ)は悩んでいた。 視聴率を取るだけがテレビなのか。似たような番組ばかりが提案される企画会議。 テレビが本当に伝えるべきこととは何なのか…
本橋は彼女の祖母で沖縄テレビの先輩でもある比嘉(旧姓:知花)数子が入院している病室を訪ね、タコライスを条件に開局当時のことを教えてもらえることとなった。
―以降、ものがたりは、新人ディレクター知花数子(池間夏海)の経験をもとに語られていく。―
~1956年~ 放送免許申請
1956年、後の琉球政府行政主席となる当間重剛と沖縄テレビ初代社長となる具志頭得助が放送免許を米国に申請。
~1959年~ ついに沖縄にテレビが来た
1959年11月1日、開局祝賀式典の日。 テレビを放送する側も見る側もみんなが初めてテレビに触れる瞬間。 開局当時は放送できる番組が少なく、番組やニュースのフィルムを東京から飛行機で輸入していた。即時性を求められるニュースにおいてはフィルムが遅れることは死活問題であった。
放送できる番組が少ないことで工夫も生まれた。 少ない人数でお金もなく、家にも帰れない、苦労は多かったが当時の沖縄テレビ局員たちの努力により今では考えられないような数の番組が制作されていたのであった。 水曜劇場、アベッククイズ、のど自慢、ドラマにお料理番組など、特に水曜劇場は番組名を郷土劇場と変えて今日まで続いている。
~1960年~ 生中継で…
1960年6月、当時の米国大統領アイゼンハワーが来沖60年安保闘争や社会情勢が不安定な中で、沖縄テレビは生中継を行う。 そしてある事件が起こる…
~1963年~ 伝説の番組が誕生
1963年、会社の経営を軌道にのせようと今では伝説とも言われている番組「沖縄名士劇」が誕生。 沖縄名士劇はプロの役者ではなく、地元の社長達がお芝居を演じるチャリティで多くの社長達が賛同し集まってくれた。 しかし、中には一癖も二癖もあるような社長もいたようで…果たして無事本番を迎え成功をおさめることができたのか。沖縄テレビの経営を軌道にのせることはできたのか?
ドラマ担当者の想い
当時の局員たちは入社当時に22歳であれば、現在は87歳となっています。語られるべき歴史を残すことができる時間は限られています。 そして、ただ伝えるのではなく、次世代を担う若い人たちに楽しく伝わって欲しいです。 脚本をガレッジセールのゴリこと照屋年之さんに担当していただき、史実をもとにしたコメディドラマに仕上げました。 沖縄テレビって面白い!と言っていただけるドラマです。 ぜひ、気軽に楽しくご覧ください。 きっと、沖縄テレビの’好き’なところが見つかると思います。