酒井順子「負け犬の遠吠え」ってタイトル、今じゃ絶対できない
「負け犬の遠吠え」などの著書で有名なエッセイスト、酒井順子。8月20日の「大竹まことゴールデンラジオ(文化放送)」では、酒井順子がなぜ今は「負け犬の遠吠え」と表現できないのか語った。
酒井「20年前、私は『負け犬の遠吠え』っていう本を書いたんですが、多分今だったら同じタイトルでは絶対に書けないと思うんですよ」
大竹「そうですよね」
酒井「それこそ差別語だと言われてしまいそうです。当時、私は自虐的な意味で自分のことを“負け犬”と言っていて、自分を笑うみたいな感じで本を書いたんですけれども、当時も誤読されることはあって『私たちを“負け犬”呼ばわりするなんてけしからん』っていう声もあがっていました。そういうことを考えると今“負け犬”というカテゴリーを作ることは絶対できないと思うんですね。今は結婚しない人は、できないのではなく敢えてしないとか、恋愛に興味がない人もいるし、結婚という形にいきたくない人もいます。みんなそれぞれの道なので、それぞれで認めましょうという考え方です。それは本当にその通りだと思いますので、この書き方は今やできなくなっているなと思いますね」
小島慶子「酒井さんの新しいご著書『消費される階級』の中では。その人の生き方はその人の選択だから、それでいいよね。人がとやかく言うのはやめようっていうのは、人への優しさ。ですが、それと同時に誰かがおせっかいをしたり、その人を気にするっていうことによって初めて『助けて!』って言える人とか、自分もやりようがあるんだって気付く人もいるはずなんです。でも、ほったらかしにされちゃうので、自分は孤独で困っているっていうこと自体が言いにくくなっちゃってる面もあるっていうことは何度も指摘されていますよね」
酒井「わけあってこういう状態なんですっていう顔をしなくちゃいけないんじゃないかっていう人もいて、昔のように簡単に手を指しの延べられなくなってしまったっていうのは色んな面であると思いますよ」