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【静岡の高校サッカー戦後史Vol.58】清水商業(現清水桜が丘)が1969年度、初の全国出場!当時の主将は名将・大滝雅良氏だった

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【清水商③】初の全国で鮮烈の準V

※2011年3月〜11月に「静岡の高校サッカー 戦後の球跡」のタイトルで静岡新聞に掲載した連載を再掲しています。年齢等も掲載当時のままです。静岡サッカー応援アプリ「シズサカ」でまとめてご覧いただけます。

1969年度総体県予選で初優勝し、金メダルを贈られる


1969年(昭和44年)度のシーズンインに備え、清水商は春休みに滋賀県に遠征した。この遠征を通し、「やれそうだとの手応えを感じた」と、当時の主将で、いまは母校の指揮を執る川口雅良(現・大滝、静岡市清水区在住)が振り返った。

総体県予選決勝で静岡工を撃破

主将の目の確かさを立証するように、5月のスポーツ祭を制し、初めて県王者に輝いた。続く戦いの場は6月の総体県予選。ここでも快調な歩みをみせて決勝に進出し、静岡工と対戦した。

全国行きを懸けた戦いは互いに譲らず、0−0で延長にもつれ込んだ。その延長も後半。1年生ながらCFに起用された山田良雄(イハラケミカル)がGKのファーサイドに流れた右センタリングをとらえ、決勝点をたたき出した。「1年生なので無我夢中だった」というプレーが勝利を呼び込み、全国へ初名乗りを上げた。

総体本番は栃木県で行われた。初の全国舞台とあって「一戦一戦必死だった」と川口。だが、1回戦で福島工(福島)を4−1で倒して勢いに乗り、快進撃をみせて4強入りする。準決勝は地元勢の宇都宮学園(現・文星芸大付、栃木)が相手だったが、望月脩司(静岡市清水区在住)の4得点の活躍もあって、6−0と圧勝し、初出場ながら決勝に勝ち上がった。

漫画「赤き血のイレブン」の浦和南に逆転負け

決勝は浦和南(埼玉)と顔を合わせた。永井良和(後の日本代表)を擁し、漫画「赤き血のイレブン」のモデルになった強力チームだった。しかし、臆することなく、前半8分、準決勝で気を吐いた望月のシュートで先手を取った。永井に同点弾を許したが、後半6分、今度は遠藤吉則(東洋製罐)が決めて、再びリードした。

結果は、浦和南の反撃に遭い、2−4の逆転負けだった。「指導力の差が出た。選手諸君に申し訳なく思った」と、監督の苫米地康文(静岡市駿河区在住)は、記念誌「蹴闘[シュート]」の中で自戒している。だが、初めて踏んだ全国舞台でいきなり準優勝し、「清商」の名を強く印象付けたことは間違いない。

冬の全国選手権は総体で準優勝したことから、国体で3位に食い込んだ藤枝東とともに、推薦出場した。選手権のピッチを踏むのも初の体験だった。2回戦で韮崎(山梨)に2−3で屈したとはいえ、夏に続いての全国体験は、貴重な財産としてその後の歩みに生かされていく。(敬称略)

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