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オイルマネーで潤う国々が、なぜ「脱石油依存」を目指すのか?【「新しい中東」が世界を動かす】

NHK出版デジタルマガジン

オイルマネーで潤う国々が、なぜ「脱石油依存」を目指すのか?【「新しい中東」が世界を動かす】

 天皇陛下、総理大臣のアラビア語通訳官も務めた元外交官の中川浩一さんによる著書『「新しい中東」が世界を動かす 変貌する産油国と日本外交』が刊行されました。
 広大な砂漠、石油産業で富む王族、終わらないテロや戦争……いまだにこうしたイメージだけで中東を捉えていませんか。中東諸国の表裏を知る中川さんが、大規模改革で台頭する「新しい中東」の様相を明らかにし、エネルギー依存が著しい日本が進むべき道を大胆に提言します。刊行を記念し、本書の「はじめに」と本編の冒頭を特別公開いたします。

(NHK出版公式note「本がひらく」より、本記事用に一部を編集して転載。)

『「新しい中東」が世界を動かす 変貌する産油国と日本外交』

『「新しい中東」が世界を動かす 変貌する産油国と日本外交』はじめに

 二〇二五年一月二〇日、アメリカで第二期トランプ政権が発足します。
 ところで、第一期(二〇一七年から二〇二〇年)政権のとき、トランプ大統領が最初に訪問した海外の国を答えられる日本人は多くはないのではないでしょうか。答えは中東の大国サウジアラビアです(二〇一七年五月)。
 それでは、なぜトランプ大統領はサウジアラビアを最初の訪問国に選んだのでしょうか。答えは明快で、トランプ大統領はビジネスマン。サウジアラビアには世界を牛耳るオイルマネーが溢れているからです。
 結果的に第一期トランプ政権の中東外交で最大の成果は、同じくオイルマネーに溢れるアラブ首長国連邦(UAE)と、先端技術に溢れるイスラエルの国交正常化の実現でした(二〇二〇年八月)。イスラエルが、アラブ諸国と国交正常化したのはエジプト(一九七九年)、ヨルダン(一九九四年)以来で、実に二六年ぶりの歴史的な出来事でした。
 しかし第一期でトランプ大統領が実現できなかったのが、そのイスラエルとサウジアラビアの国交正常化でした。なぜならサウジアラビアはアラブ、イスラムの盟主で、いわば「最後の砦」の立場だったからです。
 トランプ大統領は、第二期では、このやり残した宿題に優先順位をあげて取り組んでくる可能性は高いと私は見ています。イスラエルが持つAI(人工知能)やサイバーセキュリティーなどの先端技術と、世界最大の産油国の豊富なオイルマネーが結び付けば、中東に巨大な経済圏が確立され、新たなビジネス機会が到来するからです。
 このように、イスラエル(ユダヤ)とアラブ諸国が敵対関係にあったのはいまや昔のことで、いまの中東の構図は、政治面ではイスラエル(ユダヤ)とイラン(ペルシャ)及びその代理勢力の戦いに移ってきています。
 二〇二四年四月には、在シリアのイラン大使館をイスラエルが爆撃したことへの報復として、中東史上初めて、イランがイスラエルを直接攻撃し、その後両国の報復合戦が続いています。またそれより前、二〇二三年一〇月には、(イランの支援を受けた)パレスチナのイスラム過激派組織ハマスがイスラエルを急襲、イスラエルのガザ地区への軍事作戦はいまも続いています。

日本人からすると、中東はいまでも戦争状態で危険な地域と映っていても、やむをえないかもしれません。それは片面では事実だからです。しかし、その背後では、産油国のオイルマネーを巡り、アメリカ、中国、ロシアなどの大国が蠢いているのです。また、韓国、インドなどの新興勢力も中東のビジネス界に積極的に進出しています。
 その産油国は、近年、オイルマネーが価値を有する間に脱石油依存を実現すべく、産業の多角化を急激に図り、外国の投資を呼び込もうと躍起になっています。
 そういう中東のリアルはつゆしらず、残念ながら、いまでも日本人の多くは、中東は遠い地域として、他人事のようにとらえているのではないでしょうか。
 しかし、現在の日本の原油輸入の中東依存度は、九五%を超えていて、そのうち、大半を産油国サウジアラビアとUAEに依存しているのです。これらの国との強固で安定的な関係がなければ、いつか日本への原油が途絶え、日本人の生活は干上がってしまうかもしれません。
 そして、これら産油国との関係強化のカギは「ビジネス」です。まさに第二期トランプ政権が中東で実現したいことと、日本が国益をかけて実現すべきことが合致しているのです。しかも、日本はアメリカと違い、原油を中東地域に依存しており(アメリカはシェール革命後、世界最大の原油生産国の一つです)、中東地域の安定は、アメリカ以上に日本の国益に直結するのです。

 私は、一九九四年に外務省に入省し、アラビア語専攻を命じられました。一九九五年からのエジプトでのアラビア語研修後、パレスチナ勤務時代にはアラファトPLO(パレスチナ解放機構)議長の通訳を務めた後、霞が関本省では、天皇陛下、皇后陛下、小泉総理、安倍総理(第一期)などの通訳官を務め、多数のアラブ諸国首脳との懸け橋として、日本の中東外交の最前線を目の当たりにしてきました。
 現在は、ビジネスコンサルタントとして、日本と中東のビジネスの架け橋になるべく、毎月、日本と中東を往来し、変貌する産油国を日々ウォッチしています。先ほども述べたように、サウジアラビアをはじめとするこれらの国々のスローガンは、「脱石油依存」。脱炭素、AI、ヘルスケア、再エネ、宇宙、メタバース、エンタメなどが彼らのキーワードです。そこにはまさに「新しい中東」が出現しています。
 そのような「新しい中東」とこれから日本はどう付き合うべきか。
 そもそも日本はどのような中東外交をこれまで展開してきたのか。
 そして、これからどうしていくべきか。
 それこそが、本書の真のテーマです。読者のみなさまと一緒に考える材料として、私がこれまで三〇年間見てきた中東世界、外務省で外交官として中東外交に関わってきた経験、知見を提供したいと思います。
 また、さらに過去にさかのぼり、私の外務省時代の上司にもお話をうかがいました。元国連大使の吉川元偉氏、元サウジアラビア大使の奥田紀宏氏、元レバノン大使の大久保武氏には、この場を借りてお礼を申し上げます(本書の内容についてはひとえに私の責任です)。
 トランプ米大統領の再登場で世界が激変する時代において、この本を通じて、世界の主戦場となる中東のリアルについて、読者のみなさまの理解が深まるとすれば、これほどの喜びはありません。

「混沌」と「喧噪」のアラブ世界

アラビア語との出会い

 夕暮れの砂漠に浮かぶラクダのシルエット、民族衣装に身を包む王族たち、現在も絶えることのないテロや戦争――。「中東」と聞いて、大多数の日本人が思い浮かべるイメージは、いまもこのようなものかもしれません。実は、外務省に入る前の私もまったく同じでした。
 本書の主たるテーマは日本の中東外交ですが、それを論じる前に、まずは「中東」がいかなる世界なのかを読者のみなさんと共有しなければなりません。以下では、まったくの素人から中東を専門とする外交官となった私の体験をベースに、謎と不思議に満ちた中東世界を紹介してみたいと思います。
 私と中東との関わりは、まったくの予期せぬ出会いから始まっています。一九九三年一〇月、翌春から外務省への入省が内定していた私のところに、外務省の人事課から電話がかかってきました。
「中川さんにはアラビア語をやってもらいますので、よろしくお願いします」
 外務省では、入省する際に必ず「専門言語」が割り当てられることになっています。内定者は、第五希望まで書いて人事課に提出するのですが、とりたてて得意な言語がなかった私は、英語、スペイン語、フランス語など、いわゆる「ありきたり」な言語を書いて提出しました。アラビア語はどこにも書いていません。にもかかわらず、ふたを開けてみるとまさかのアラビア語への配属――私にとっては、まさに青天の霹靂でした。
 いまとなってはお恥ずかしい話ですが、外務省に入ったとは言え、アラビア語への配属は本当に想定外だったこともあり、それがどの地域で話されている言葉なのかすら、当時の私にはよくわかっていませんでした。そこで慌てて調べ、それが中東の二一の国と地域で話されている言語であること(中東で話されている他の言語についてはこのあと触れます)、また国連の六つの公用語の一つであることを初めて知ったのです。
 実は、アラビア語は非常に汎用性の高い言語で、統計にもよりますが、使用人口は二億とも三億とも言われます。一方で、習得するのは大変難しい。たとえば、アメリカ国務省が定めている語学カテゴリーでは、アラビア語の習得は「最難関」のポジションに位置づけられています。
 日本の外務省においてもアラビア語は最難関です。外務省に入省した職員は、割り当てられた専門言語の研修を受けます。外交官にとって、語学はすべての土台です。語学ができない外交官は、たとえて言うなら泳げない水泳選手と同じです。ですから、まずは国内で一年、次いで現地で二年、みっちりと語学研修を受け、外交官としての土台固めをすることになります。
 なぜアラビア語が最難関と言えるのか。それは現地研修の期間を比較すれば一目瞭然です。先ほど述べたように、現地研修は二年が原則なのですが、ただ一つアラビア語だけは三年に設定されています。つまり、それだけ外国人にとって、特に日本人にとっては難しい言語なのです。
 入省当時二四歳の私は、最難関と名高いアラビア語をゼロから習得し始めたのです。

学んだ言葉が通じない

 現地研修に出る前の一年は、日本国内で、アラブ人の先生からアラビア語の基礎を教わりました。アラビア語の文字を書く、発音練習をするといった、もっとも基礎的な内容です。
 それに続く三年間(一九九五年七月~九八年六月)、私はエジプトで語学研修を受けました。当時、アラビア語の研修地はエジプト、シリア、ヨルダンの三か所でした(二〇一一年にアラブの民主化運動、いわゆる「アラブの春」がシリアでも発生し、シリア国内の治安が不安定になって以降はエジプト、ヨルダンの二か所のみ)。
 エジプトと言えばピラミッドです。アラブ世界に疎かった私も、そのくらいのことは知っていました。ところが、シリアやヨルダンがどんな国で、何があるのかはほとんど知りません。その程度の知識レベルで、ともかく少しだけでもイメージしやすそうなエジプトに行った私は、そこで数々の洗礼を浴びることになりました。
 まずは、現地で使われているアラビア語について説明しましょう。
 現在のアラブ社会で使われているアラビア語は、テレビのニュースや新聞で使われる言葉と、日常会話で使われる言葉が大きく異なっています。前者はフスハー(正則語)、後者はアンミーヤ(方言)と言います。
 両者はまったくの別物です。日本語で言えば、平安時代の古語と現代の日本語くらい、あるいはもっと離れていると言っても過言ではありません。別物であることを表現するたとえとして、東京の標準語と関西弁の差などと言われますが、実際はそれどころではありません。
 同じアラビア語圏でも、国によってフスハーとアンミーヤの乖離度合いは異なるのですが、エジプトはそれがもっとも離れている国でした。要するに、テレビで流れるニュースは理解できても近所のエジプト人とは話せない、エジプト人と話すことはできてもニュースはわからない――そういう事態が生じるわけです。
 私が日本国内で習ったアラビア語はフスハーでした。つまり、フスハーを習ったことをもって「アラビア語を勉強した」という気持ちになってエジプトに行ったわけです。もちろん、人々が日常会話で使うのはアンミーヤだということは聞いていましたが、「そうは言ってもフスハーで通じるだろう」と少々高を括っていたのも事実です。
 ところが実際に行って会話してみると、フスハーではまったく通じない。エジプトに到着し、エジプト人にフスハーで「お元気ですか?」と話しかけてみても、本当に理解してくれないのです。「そんなばかな」と思うかもしれませんが、これは誇張抜きの事実です。
 会話ができないということは、日常生活を送ることが困難であることを意味します。エジプトに行った私は、その厳しさにまず直面しました。

著者

中川 浩一(なかがわ・こういち)
元外交官。1969年生まれ。慶應義塾大学卒業後、1994年外務省入省。1998年~2001年、在イスラエル日本国大使館、対パレスチナ日本政府代表事務所(ガザ)、PLOアラファト議長の通訳を務める。その後、天皇陛下、総理大臣のアラビア語通訳官(小泉総理、安倍総理〈第1次〉)や在アメリカ合衆国日本国大使館、在エジプト日本国大使館、大臣官房報道課首席事務官などを経て2020年7月、外務省退職。同年8月から国内シンクタンク主席研究員、ビジネスコンサルタント。著書に『総理通訳の外国語勉強法』(講談社現代新書)、『ガザ』『中東危機がわかれば世界がわかる』(ともに幻冬舎新書)など。

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