Yahoo! JAPAN

#3 数多くの「物語」であり、「法律」である旧約聖書──加藤隆さんによる『旧約聖書』再入門【NHK別冊100分de名著】

NHK出版デジタルマガジン

#3 数多くの「物語」であり、「法律」である旧約聖書──加藤隆さんによる『旧約聖書』再入門【NHK別冊100分de名著】

加藤隆さんによる「旧約聖書」と「一神教」への再入門 #3

いまなお終わることのない宗教対立。そのルーツとは何なのでしょうか?

ユダヤ教で成立し、キリスト教、イスラムへと引き継がれる「一神教」的態度とは? 「何もしてくれない」神が、なぜ「神」であり続けるのでしょうか? 『NHK別冊100分de名著 集中講義 旧約聖書 「一神教」の根源を見る』では、千葉大学文学部教授の加藤隆さんと、その謎に迫ります。

「旧約聖書」「一神教」への再入門となる本書より、そのイントロダクションと第1講「こうして神が誕生した」全文を特別公開します。(第3回/全6回)

旧約聖書は「掟」である

 きわめて重要なことを指摘しておきます。

「ユダヤ教の聖書」は、ユダヤ教の枠内で権威ある書物としてつくられ、そして実際に権威ある書物として定着しました。しかし、民族の古い歴史を記録しておいて尊重されるようにする、といった程度のものではありません。

「ユダヤ教の聖書」は、「律法」とされています。「律法」という日本語は、ユダヤ教の「律法」だけを指す特殊用語になっていて、意味が分かりにくいかもしれません。元のヘブライ語では「トーラー」です。「トーラー」は、まずは普通の語で、「法律」「掟(おきて)」といった意味の語です。たとえば英語では「Law」という単純な訳が用いられています。

 ある集団に「法律」「掟」があるならば、その集団のメンバーは、その「法律」「掟」を守らねばなりません。たとえば「日本」という集団があって、そこに「法律」「掟」があれば、その「法律」「掟」はメンバー全員に対して強い権威があります。メンバーは、その「法律」「掟」を守らねばなりません。

 聖書が「律法」であるということは、聖書が、単なる「聖典」や「古典」ではなく、「法律」「掟」のような強い権威をメンバー全員に対してもつものだということを意味しています。

 ところで「法律」「掟」は、行動の方針や義務、禁止事項などがあれこれと定められているものだというのが、通常の理解です。「ユダヤ教の聖書」の中には、「法律」「掟」らしきテキストも含まれていますが、「ユダヤ教の聖書」は、全体としては物語です。「物語」が「法律」「掟」だというのは、きわめて困惑させられる事態です。しかし「ユダヤ教の聖書」は「律法」とされていて、つまり「法律」「掟」として権威があるとされています。

「法律」「掟」ならば、集団のメンバーは、それを遵守しなければなりません。ところが、実際の「ユダヤ教の聖書」「律法」は、物語です。物語をどのように遵守しろと言うのでしょうか。「ユダヤ教の聖書」「律法」は「法律」「掟」としては不適切である、とされるべきところです。しかし「ユダヤ教の聖書」は「律法」であって、「律法」としての権威があるものとして定着します。「ユダヤ教の聖書」「律法」は「法律」「掟」としてはいかにも不適切であるとしても、それは「法律」「掟」のように権威あるものとして存在しているので、無視したり否定したりすることはできません。とするならば、物語が「法律」「掟」とされていることの意味を考えて対処する、ということになります。

いつ、どのように編纂されたのか

「旧約聖書」「ユダヤ教の聖書」は、いくつもの文書(英語では「book」)が集められてできあがっています。古代ユダヤ教が展開する中で、だんだんとつくられました。

 まとまりのあるものが最初に成立したのは前五世紀から前四世紀頃で、ユダヤ民族がペルシアの支配下にあった時期です。ユダヤ教が民族宗教としてそれなりに本格的に成立したと言えるのは、「出エジプト」の出来事の時です。前十三世紀のことです。この時から、聖書の最初の部分が生じるまで、八、九百年の時間が流れています。ユダヤ教には長い間、聖書は存在しませんでした。ユダヤ教は聖書に基づいて存在しているのではない、ということになります。

 しかし聖書が、つくられ始めます。「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」の五つの文書からなる、いわゆる「(モーセ)五書」です。これに他の文書がだんだんと付け加わって、文書の数が増えていきます。

 聖書の文書は、初めの頃は、すべてヘブライ語で書かれていました。ヘブライ語は、古い時代のユダヤ人の言語です。しかし、聖書の編纂が始まる前五世紀から前四世紀頃には、一般のユダヤ人はヘブライ語ではなく、アラム語を使っていました。ヘブライ語は、勉強をした知識人だけが分かる言語でした。

 前二世紀初めに、重要な事件が生じます。ヘレニズム文化(アレキサンダー大王以降のギリシア文化、前四世紀後半以降)が支配的だった時代です。

 ヘレニズム文化の一大中心地だったエジプトのアレキサンドリアで、ヘブライ語聖書のギリシア語訳がつくられます。「七十人訳聖書」(「セプトゥアギンタ」)です。

 聖書の翻訳版は、無数につくられます。古代にもいくつもつくられました。書物が外国語で書かれていて容易には読めない場合、自分が読める言語の翻訳版があると、全体の様子をある程度のところ理解しようとする際に、きわめて便利です。しかし聖書については、「本当のテキスト」は、あくまで原語のものであって、原語のテキストに比べて翻訳版のテキストは「価値が劣る」「究極のところでは依拠できない」とするのが、基本的な立場です。ところが長い聖書の歴史の中で、「七十人訳聖書」だけが、ギリシア語圏において、元のヘブライ語聖書から独立して、このギリシア語聖書それ自体に権威があるように位置づけられました。「七十人訳聖書」は、無数に存在する翻訳版聖書の中で、特別な位置づけのものです。

 この時期には、どの文書が聖書に含まれるかが確定していなくて、新しい文書が付け加えられるということがまだ可能でした。こうした中で、最初からギリシア語で書かれた文書がギリシア語聖書の一部として加えられるということが生じてきました。ヘブライ語聖書に含まれていない文書が、ギリシア語の「七十人訳聖書」には含まれているということになって、聖書にどの文書が含まれるかという点で、異なった立場の聖書が併存することになりました。

 この状態は後一世紀末に、終止符が打たれることになります。「ヤムニア会議」と呼ばれるユダヤ教の知識人の集団があって、そこで「聖書はヘブライ語で書かれた三十九の文書で構成される」ということが決定され、この決定が定着します。ユダヤ教では、この立場が、現在でも守られています。この決定以降は、「ユダヤ教の聖書は三十九の文書からなっている」ということになります。

 キリスト教は、「ユダヤ教の聖書」を「旧約聖書」として受け継ぎました。しかしキリスト教が受け継いだのは、ヤムニア会議以降の「三十九の文書からなるユダヤ教の聖書」ではなく、ヤムニア会議以前の状態の「ユダヤ教の聖書」でした。ユダヤ教とキリスト教の分裂がはっきりするのは、後一世紀末近くです。「ヤムニア会議」の時というのは、両者が分裂しようとしている時ですから、ユダヤ教とキリスト教の間はきわめて険悪でした。ユダヤ教の側での決定を、キリスト教の側が素直に受け入れる雰囲気ではありませんでした。

 この頃、キリスト教は、かなりの勢いで拡大していました。特にギリシア語圏(ローマ帝国の東半分)で、キリスト教は大きな勢力になります。このために、キリスト教がユダヤ教から受け継いだ「ユダヤ教の聖書」は、実際には基本的に「七十人訳聖書」であるということになりました。つまりキリスト教の「旧約聖書」は、「七十人訳聖書」系統の「ユダヤ教の聖書」が支配的で、それは、「三十九の文書」以外の、最初からギリシア語で書かれた文書を含むものでした。

 現代では、「旧約聖書は三十九の文書からなる」「旧約聖書の元の言語はヘブライ語である」というのが、キリスト教の聖書についての通念のようになっています。しかしこの理解は、不正確だということになります。

 たとえば、「旧約聖書は、三十九の文書ないしその他の文書からなっている」というような言い方をするならば、一応のところ正確な言い方だということになります。この立場は、キリスト教の立場ですし、「ヤムニア会議」以前のユダヤ教の立場でもあります。

本書『別冊 NHK100分de名著 集中講義 旧約聖書』では、・第1講 こうして「神」が誕生した
・第2講 「創造神話」の矛盾
・第3講 人間は「罪」の状態にある
・第4講 なぜ神は「沈黙」したのか
・第5講 神の前での自己正当化
・第6講 「沈黙」は破られるのか

という全6回の講義を通して、旧約聖書という一神教の根源を探っていきます。

■『別冊 NHK100分de名著 集中講義 旧約聖書 「一神教」の根源を見る』(加藤 隆 著)より抜粋
■脚注、図版、写真、ルビは権利などの関係上、記事から割愛しております。詳しくは書籍をご覧ください。
※本書における「旧約聖書」からの引用は著者による訳です。

著者

加藤 隆(かとう・たかし)
1957年生まれ。ストラスブール大学プロテスタント神学部博士課程修了。神学博士。東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻博士課程修了。現在、千葉大学文学部教授。専門は、聖書学、神学、比較文明論。「神的現実」(ディヴィニティ)と諸文明の関係についての関心からスタートして、「愛」の現実、「美」の現実へも関心が広まってきた。著書に、La pensée sociale de Luc-Actes, Presses Universitaires de France, Paris, 1997、『新約聖書はなぜギリシア語で書かれたか』(大修館書店、1999)、『一神教の誕生』(講談社現代新書、2002)、『旧約聖書の誕生』(筑摩書房、2008/ちくま学芸文庫、2011)、『歴史の中の『新約聖書』』(ちくま新書、2010)、『武器としての社会類型論』(講談社現代新書、2012)など。
※すべて刊行時の情報です。

【関連記事】

おすすめの記事

新着記事

  1. 低流通魚<コノシロ>をスナック菓子に? おやつカンパニーが「モッタイナイおさかな活用計画」始動

    サカナト
  2. “何をするか”より“誰と出会うか”|元女子サッカー選手・柏野海佑さんが語るセカンドキャリアの築き方

    Sports for Social
  3. 【源元 くろとり食堂】盛りも一切の妥協なし!コスパ最強の海鮮丼|新潟市西区黒埼

    日刊にいがたWEBタウン情報
  4. 【藤沢 イベントレポ】湘南海街珈琲祭2025 - 湘南エリア最大級のコーヒーの祭典

    湘南人
  5. 劇場版『ゾンビランドサガ ゆめぎんがパラダイス』ファンブック発売決定記念 源さくら役・本渡 楓インタビュー

    Febri
  6. 缶コーヒーの「#マーク」に隠された意味 コカ・コーラ社に聞いた“色が変わる理由”

    おたくま経済新聞
  7. 猫の『興奮スイッチ』が入ると表れるサイン5つ 発動しがちな条件や注意すべきことまで

    ねこちゃんホンポ
  8. 親子で楽しめる参加型企画や演出が盛りだくさん! 『Concert for KIDS ~そらくんといっしょ!~』鶴川公演レポートが到着

    SPICE
  9. 朗読劇『富江』、声優の笠間淳と増元拓也による「カサマス企画」の新曲とタイアップすることが決定

    SPICE
  10. fox capture plan、THE CHARM PARKとの2マンライブを来年3月に開催決定 コラボ曲を配信リリース&リリックビデオを公開

    SPICE