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読売ジャイアンツの歴代背番号11 別所毅彦や斎藤雅樹が背負った栄光のナンバーを田中将大が継承

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楽天時代の田中将大,ⒸSPAIA

巨人移籍の田中将大が背番号11

楽天を自由契約になっていた田中将大投手(36)の巨人入りが決まり、背番号は11と発表された。

楽天では18、MLBヤンキースでは19を背負ったが、11は初めての番号。日米通算197勝の右腕が新天地、新背番号で再スタートを切る。

巨人の主な歴代背番号11を紹介しよう。

別所毅彦:1950~62年

1949年に南海から移籍した別所は1年だけ29を背負い、1950年から11に変更。1952年に33勝を挙げて最多勝に輝くなど通算310勝をマークした。

滝川中時代に甲子園で左肘を骨折しても投げ続けた伝説の右腕。巨人で挙げた221勝は現在も球団史上最多となっている。

渡辺秀武:1964~72年

社会人野球の日本軽金属から1963年の都市対抗終了後に巨人入りした渡辺秀武は、2年目の1964年から背番号11。1970年にはノーヒットノーランを達成するなど23勝を挙げ、1973年1月に高橋善正との交換トレードで日拓に移籍するまで巨人の11を背負った。

通算606試合に登板して118勝100敗8セーブの成績を残し、1982年に引退している。

高橋善正:1973~77年

中央大から1966年の第2次ドラフト1位で東映に入団した高橋は、1973年に小坂敏彦、渡辺秀武との交換トレードで巨人に移籍。渡辺の背番号11を受け継いだ。

巨人には5年間在籍して10勝に終わり、1977年に引退。その後、巨人、中日、日本ハム、大洋などでコーチを歴任し、母校・中央大の監督も務めた。

角三男:1978、81~89年

三菱重工三原から1976年ドラフト3位で巨人入りした角は、1978年に60試合登板、5勝7敗7セーブをマークして新人王に輝いた。

入団当初に背負っていた11は、1978年3月に大洋から移籍してきたジョン・シピンに譲ったが、シピンが引退すると1981年から再び着用。同年は8勝20セーブで最優秀救援投手に輝くなど抑えの切り札として活躍した。

その後、日本ハム、ヤクルトとわたり歩き、通算38勝60敗99セーブの成績を残して1992年にユニフォームを脱いだ。

斎藤雅樹:1990~2001年

斎藤は市立川口高からドラフト1位で入団した当初は背番号41だったが、20勝を挙げた1989年オフに11に変更。翌90年も20勝を挙げ、2年連続最多勝、最優秀防御率に輝いた。

その後も巨人のエースとして5度の最多勝、3度の沢村賞など輝かしい実績を残し、通算180勝をマーク。歴代の背番号11の中でも特に活躍した選手だろう。

久保裕也:2003~15年

斎藤の引退後、1年は空き番となっていた11を継承したのが、2002年自由獲得枠で東海大から入団した久保。主にリリーフとして活躍し、2010年には79試合に登板するなど献身的にチームを支えた。

その後、DeNA、楽天と所属を変えながら通算54勝37敗37セーブ113ホールドの成績を残した。

上原浩治:2018年

上原は1998年ドラフト1位で入団した当時は背番号19をつけ、メジャー移籍後も19を背負い続けたが、巨人に復帰した2018年は菅野智之が背負っていたため1年だけ11を着用した。

同年は36試合に登板して5敗14ホールド。2019年から再び19に戻ったが、同年シーズン中に引退した。

その後、2019年は山口俊、2021~23年は平内龍太が背負った11。平内は66に変更したため、2024年は空き番となっていたが、田中が再び11を輝かせるか注目だ。

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記事:SPAIA編集部

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