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世紀の大発見「量子論」はいかに誕生したのか?Nスぺで話題の「二重スリット実験」を解説【量子超越】

NHK出版デジタルマガジン

世紀の大発見「量子論」はいかに誕生したのか?Nスぺで話題の「二重スリット実験」を解説【量子超越】

 量子コンピュータの科学的仕組みや白熱する開発競争、実用化によってもたらされる未来をミチオ・カク博士が解説した『量子超越 量子コンピュータが世界を変える』。NYタイムズ・ベストセラーの待望の邦訳である本書は、ポピュラーサイエンス書としては異例の売れ行きを記録し、発売直後に増刷が決定しました。
 本記事では、昨年末のNHKスペシャルで話題となった「二重スリット実験」についても解説している第3章「量子論」試し読みを公開します。

『量子超越 量子コンピュータが世界を変える』

第3章 量子論

 量子論を生み出したマックス・プランクは、多くの矛盾を抱えた男だった。一方では、このうえなく保守的だった。それは、父親がキール大学の法学教授で、公職を代々務める立派な伝統のある気高い家系だったためかもしれない。祖父も曽祖父も神学の教授で、おじのひとりは裁判官だった。
 彼は慎重に仕事をし、いつでも几帳面で、体制側の中心人物だった。見たところ、この温厚な男が、史上最大級の革命を起こし、量子の水門を開けて、それまで何世紀も慈しまれてきた考えを完全に打ち砕くようになるとは考えられそうになかった。だが、まさにそれを彼はやってのけたのである。

 1900年、主流の物理学者は、われわれを囲む世界が、みずからの法則で宇宙のあらゆる運動を説明したアイザック・ニュートンと、光と電磁気の法則を発見したジェームズ・クラーク・マクスウェルの成果により、すべて説明できると固く信じていた。巨大な惑星の運動から、砲弾の軌道や稲妻まで、何もかもがニュートンとマクスウェルによって説明できたのだ。米国の特許局は、発明できるものはもうすべて発明されてしまったから閉鎖を考えているとまで言われていた。
 ニュートンによれば、宇宙は時計なのだった。その時計は、彼の運動の三法則に従って、あらかじめ決まっていたとおりに正確に時を刻んでいた。これはニュートンの決定論と呼ばれ、数世紀にわたり世界を支配していた(古典物理学と呼んで量子物理学と区別されることもある)。

 しかし、ひとつ厄介な問題があった。いくつかゆるんだひもがあり、それを引っぱると、この精巧に構築されたニュートンのシステムがほぐれてしまうのだった。
 古代の職人は、かまどで粘土を高温に熱すると、やがてまぶしく光ることを知っていた。初めは赤く、次は黄色で、最後は青白くなる。われわれも、マッチを擦るたびにこれを目にする。炎のてっぺんは一番温度が低く、赤い。中央の炎は黄色い。そして条件が良ければ、炎の一番下は青白くなる。
 物理学者たちは、高温の物体についてよく知られていたこの性質を明らかにしようとしたが、まるっきりだめだった。熱が原子の運動にほかならないことは、彼らにもわかっていた。物体の温度が上がるほど、物体の原子の運動は速くなる。原子が電荷をもつことも、彼らにはわかっていた。電荷を帯びた原子が速く動くと、ジェームズ・クラーク・マクスウェルの法則に従って、(電波や光のような)電磁放射を発する。高温の物体の色は、その放射の振動数を示している。
 すると、ニュートンの理論を原子に当てはめ、マクスウェルの光の理論も用いると、高温の物体が発する光について計算することができる。ここまではいい。ところが、実際に計算をおこなうと、ひどいことになる。計算では高い振動数で放射されるエネルギーが無限大になるはずだが、それは実際にはありえないのだ。これをレイリー= ジーンズの破綻という〔レイリー卿とジェームズ・ジーンズは、古典物理学にもとづき、放射のエネルギー密度を与える計算式を導き、低振動数域では実験結果とよく一致していた〕。ニュートン力学に大きな穴があることが明らかになったのである。

 ある日、プランクは物理学の講義のためにレイリー= ジーンズの破綻を導き出そうとしたが、奇妙な新しい方法でやってみた。従来の方法でやるのに飽きていたので、あくまで学生に教えるためという理由で、突飛な仮定をしたのだ。彼は、原子の発するエネルギーが、量子というとびとびの小さなかたまりでしか存在しないと想定した。ニュートンの方程式によれば、エネルギーはかたまりごとではなく連続的なはずなので、これは非常識な考えだった。しかし、エネルギーがあるサイズのかたまりで生じるとプランクが仮定したところ、温度と光のエネルギーとをまさに正しく結びつける曲線が得られた。
 世紀の大発見だった。

量子論の誕生

 それは、いずれ量子コンピュータを生み出すに至る長いプロセスの第一歩だった。
 プランクの革命的な考察は、ニュートン力学が不完全で、新たな物理学が登場しなければならないことを示していた。宇宙についてわかっていると思っていたことのすべてを、すっかり書き換えないといけなくなったのだ。

 だが、いかにも保守的だった彼は、自分の考えを用心深く提示し、試しにエネルギーのかたまりというトリックを持ち込めば、自然界で見られる実際のエネルギー曲線が正確に再現できる、とそつのない言い方をした。
 計算のために、プランクはエネルギーの量子のサイズを表す数を導入する必要があった。それを彼はh(プランク定数ともいい、6.62……× 10^-34 ジュール秒)と呼んだが、これはおそろしく小さな数だ。われわれの世界では、hが非常に小さいので量子効果は見えない。しかし、どうにかしてhの値を変えられたら、量子の世界から日常の世界へ途切れなく移行できる。ほとんどラジオのダイヤルを回すように、ずっと回してh=0にすると、常識的なニュートンの世界になり、量子効果はなくなる。一方、逆に回すと原子未満の奇妙な量子の世界になる。この世界は、物理学者がまもなく明らかにしたように、『トワイライト・ゾーン』〔超常現象を扱ったSFテレビドラマシリーズ〕のようなものだった。
 これをコンピュータにも応用できる。hをゼロに持っていけば、古典的なチューリングマシンに到達する。だがhを大きくすると、量子効果が現れだし、古典的なチューリングマシンが次第に量子コンピュータに変わる。

 プランクの理論は実験データとまぎれもなく一致し、物理学のまったく新しい分野を切り開いたが、彼は何年も、古典的なニュートンの考えをかたくなに信じる人々に攻め立てられた。この反対の嵐について、プランクはこう書いている。「科学の新しい真理は、反対者を説き伏せ受け入れさせることによって勝利を収めるのではない。むしろ、反対者がやがて死に絶え、その真理になじんだ新たな世代が育つことによって勝利を収めるのだ」
 しかし、どれほど反対が激しくても、量子論を支持する証拠はどんどん増えていった。それはまぎれもなく正しかったのである。
 たとえば光は、金属に当たると電子をたたき出し、その電子がわずかな電流を生み出す。これを光電効果という。こうしてソーラーパネルは、光を吸収して電気に変換することができる(多くの電化製品にもよく利用され、太陽電池式の電卓は乾電池の代わりに太陽電池を用い、現代のデジタルカメラは被写体からの光を電気信号に変換している)。

 ついにこの効果の説明をなし遂げた男は、スイスのベルンにある地味な特許局でこつこつ働いていた、貧乏で無名の物理学者だった。学生時代、彼は多くの授業をサボっていたので、教授たちは推薦状に辛辣な内容を書き、その結果、彼は卒業後に応募したどの教職にも就けなかった。何度も失業しては家庭教師やセールスマンなどのアルバイトを転々とした。両親への手紙に、自分は生まれてこなかったほうがよかったのかもしれないと書きさえしていた。そしてようやく、特許局の下級職員になれた。たいていの人は、彼を落伍者と呼ぶだろう。
 光電効果を説明したこの男の名はアルベルト・アインシュタインで、彼はそれをプランクの理論を用いてなし遂げた。プランクに倣い、アインシュタインは、光のエネルギーはとびとびのかたまり、つまりエネルギーの量子(のちに光子と呼ばれる)として生じ、それが金属から電子をたたき出すのだと主張した。

 こうして、新しい物理学的原理が現れてきた。アインシュタインは、「二重性」つまり光エネルギーがふたつの性質をもつという概念を持ち込んだ。光は光子という粒子のようにふるまえ、光学では波のようにもふるまえるのだ。なぜか光はふたつの形態をとりうるのだった。
 1924年、若き大学院生ルイ・ド・ブロイが、プランクとアインシュタインのアイデアをもとに、次の大きな飛躍をなし遂げた。光が粒子にも波にもなりうるのなら、物質がそうなってもいいのではないか? 電子も二重性をもつのかもしれなかった。
 これは常識はずれの考えだった。物質は原子という粒子でできていると考えられていたからだ。原子は、2000年前にデモクリトスが導入した概念である。しかし、ついに巧みな実験でこの考えが覆された。
 池にいくつか石を投げ込むと、さざ波ができて広がり、互いにぶつかって、水面にクモの巣状の干渉縞が生じる。これは波の性質の説明になるが、物質のおおもとは点状の粒子なので、波のように干渉縞は作らないと考えられていた。
 だが、今度はまず2枚の紙を用意して平行に立てて設置しよう。1枚目の紙に2本の小さなスリットを開け、光線を放射する。光は波の性質をもつので、明暗の明瞭な縞模様が2枚目の紙に現れる。両方のスリットを通り抜けた波は、互いに増幅したり打ち消し合ったりして、2枚目の紙に干渉縞と呼ばれる帯ができるのだ。これはよく知られている。

二重スリット実験の図。2本のスリットを開けた障壁に電子線を当てると、2本の明瞭なスリットの像ができるのではなく、複雑な波状の干渉縞ができる。電子を1個ずつ当ててもそうなる。1個の電子が両方の穴を通り抜けているとも言えるのだ。今日でも物理学者は、1個の電子がどうしたら同時にふたつの場所に存在しうるのかを議論している。

 しかし次に、光線を電子線(電子のビーム)に替えてこの実験をやってみよう。電子線を1枚目の紙に開けた2本のスリットに放射すると、2枚目の紙に2本の明瞭なスリットができると予想できた。これは、電子が点状の粒子と考えられ、1 個の電子は2 本のスリットのどちらかを通るが、両方は通らないはずだったからだ。
 この電子での実験を実際におこなったところ、光線の場合と同じように波状の模様が現れた。電子が単なる点状の粒子ではなく、波のようにふるまっていたのだ。原子は長らく物質の究極の単位と考えられていた。それが光のような波になろうとしていた。こうした実験で、電子と同じように原子も波と粒子の両方のふるまいをすることが実証されたのである。

 あるとき、オーストリアの物理学者エルヴィン・シュレーディンガーは、物質を波と見なす考えについて仲間の友人と議論していた。そこで友人が、物質が波のようにふるまえるとしたら、それが従うべき方程式は何だろうかと尋ねた。
 シュレーディンガーはその方程式に興味をそそられた。物理学者にとって、波はなじみ深い。光の光学的性質を調べるのに役立ち、海面の波や音楽における音の波として分析されることも多いからだ。そこでシュレーディンガーは、電子の波の方程式(波動方程式)を明らかにすることにした。その方程式は、宇宙に対するわれわれの理解を完全に覆すことになる。ある意味で、あなたも私も含め、あらゆる元素をもつ宇宙全体が、シュレーディンガーの波動方程式の解なのである。

波動方程式

 今日、シュレーディンガーの波動方程式は、量子論の基盤としてどの大学院の高等物理学でも教えられている。これは量子論の核心をなしている。私はニューヨーク市立大学で、このひとつの方程式の意味をまる1学期かけて教えることもある。
 歴史家は、シュレーディンガーが量子論の礎となるこの有名な方程式を発見したまさにそのときに、何をしていたかを知ろうとした。だれが、あるいは何が、20世紀最大級の創造のヒントを与えたのか?

高橋弘樹氏(ビジネス動画メディア ReHacQ -リハック- プロデューサー)絶賛

めちゃくちゃ面白い!
素粒子物理が2050年の世界をどう変えるか……
こんな楽しい世界を知らずに2020年代を生きるのはもったいなさすぎる。
量子コンピュータの描く未来を考えることは、こんなにワクワクするのだとみんなに知ってほしい。
本書の内容を、量子コンピュータと物理の楽しさを、 7歳の息子に夢中になって話した。

著者

ミチオ・カク
ニューヨーク市立大学理論物理学教授。ハーバード大学卒業後、カリフォルニア大学バークリー校で博士号取得。「ひもの場の理論」創始者の一人。著書に『2100年の科学ライフ』『人類、宇宙に住む』『神の方程式』(以上、NHK 出版)など、数多くのベストセラーを生み出す。

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