45歳で脱サラ、年収2,000万のブルーベリー農家へ。「安定ルート脱落、怖かった」大手メーカー退職した理由。
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今回お話を聞いたのは、大手メーカーの管理職を45歳で辞め、未経験から観光農園「ブルーベリーファームおかざき」をオープンした畔柳茂樹(くろやなぎしげき)さん。安定を手放し、好きなことを軸に未知の世界に飛び込んだ、その半生とは。
朝から晩までフル稼働。脱サラ前は立派な企業戦士だった
──大手メーカー時代は多忙な日々を送っていたそうですが、当時の仕事観はどのようなものでしたか?
はたらくからには世間に認められたい、そのためにはがむしゃらにがんばるべきだと思っていました。当時は、良い大学に入り良い会社に就職し、そこで出世するのが自分にとって重要だったんです。
時代も今と違い、上司の言うことは絶対。何を言われても問答無用ではたらきました。指示内容を納得してやるという次元ではなく、とにかくスピード感を持ってやりきることがすべてでしたね。
8時までに出社して退社するのは23時ごろ。休日返上で仕事に行く。それが当たり前になっていました。500人いた同期の中でも、トップレベルのがんばりと成績だったと思います。
──いわゆる「企業戦士」として走り続けたのですね。
20代はそれで実力もついたし無駄ではなかったのですが、40歳で管理職に就き、数年が経った時から、「なんのためにはたらいているのだろう。未来はどうなるのだろう」と忙しさと負の思考に溺れていきました。
どんどん心を病んで、心療内科を受診した結果、うつ病寸前にまで追い込まれていたんです。
──そこからどのような生活を送られていたのですか?
毎朝4時に目が覚めて眠れないんです。起きてまず考えるのは「今日会社に行ったらあれをしないと」「アメリカからメールが届くからその対応を」といったことばかり。
布団の中にいる時から仕事で頭がいっぱいで、デスクに着くころには疲れ果てていました。
ようやく仕事を終えた帰りの車内で、奇声を発するのもしょっちゅうでしたね。日々の鬱憤が自分に向かって爆発するんです。「この野郎!馬鹿野郎!」って。
家族に心配をかけないよう、家に着くまでただただ叫ぶ。そうやってなんとか苦しみを吐き出していました。人間をやめるか会社を辞めるかというところまで来て、ようやく退職を決意しました。限界でしたね。
つらさから逃げるのは勇気ある選択
──エリート道を歩んできた畔柳さんにとって、辞める理由がマイナスであることに後ろめたさはありませんでしたか?
かなりありました。この仕事を一生は続けられないと思い始めてから退職まで、10年もの時間がかかりましたから。
名のある大学を出て、大企業に入って、ここまで出世してきた。そのルートから“脱落”するのが不安でたまらなくて。多くの仕事を任され、部下もいた私にとって“逃げた卑怯者”のレッテルを貼られるのも怖かったです。でも今は真逆の考えを持っています。
──真逆ですか?
マイナスな理由で辞めるのは、決して卑怯なことではない。つらさから逃げるのは勇気ある決断だと今は思っています。いかにうまく逃げられるかで、人生の豊かさが変わる。つらいことからは逃げて、別のステージへ行けばいいんです。
会社には自分の代わりはいくらでもいます。心身がボロボロになってでも私が会社に踏みとどまっていた理由の一つは、小さなプライドでした。私がいないと会社が困ると。
でも良く考えれば17万人も社員がいる会社で誰かが抜けたとして、代わりの存在がいるのは当然です。いざ辞める決断をしてみると心が楽になりました。ものごとって迷っている時が一番つらいんですよね。
好きを仕事にしたら、収入もやりがいもアップした
──晴れて退職した畔柳さん。なぜ農業での起業を選ばれたのですか?
自由が欲しかったからです。好きなことを仕事にして、自分ではたらき方を決めて、健やかに毎日を過ごしたいと願っていました。
私は自然が大好きです。子どものころから、動物・昆虫・植物など、命を育むものに尊さを感じてきました。家庭菜園でささやかな喜びを感じつつ「もし起業するなら農業がいい」とずっと思っていたんです。
──起業すると決めた時は農業への知見もあまりなく、栽培作物も決まっていなかったのだとか。未経験領域への挑戦に不安はありませんでしたか?
退職を決めて迷いが消えた途端、未来への不安はすべて期待に変わりました。真っ暗だった目の前に光が差したようで、農業のことを考えると楽しくて楽しくて。「これからは全部自分で決められるんだ!」と、開放感でいっぱいでした。
退職後は農業大学校に通ったり、全国の農園を訪ねたりしながら農業を学びました。並行して、具体的な事業計画を練ったりも。会社員時代からビジネスプランを立てるのは得意だったんですよ。
──農業で成功するのは難しいと思われがちですが……。
実は、農業はチャンスに満ちた業界なんです。高齢化などにより農家の数は減少していますが、日本の人口が急に減る可能性は低い。
つまり、需要はあるのに供給が足りなくなるんです。これはビジネスチャンスにほかなりません。
──数ある作物の中からブルーベリーを選んだのはなぜですか?
日本中の農家をまわっていた時に、驚くほど大粒で甘いブルーベリーに出会ったのがきっかけです。ブルーベリーは小粒で酸っぱくて生食には向かない、ジャムにするものだとばかり思っていましたが、その考えが見事に覆された瞬間でした。
あまりの感動と衝撃に、神さまが私のためにブルーベリー農家の仕事を取っておいてくれたんだと本気で思ったほどです。「これだ!」と。
調べてみると、ブルーベリーだけで生計を立てている農家は日本には存在しないと分かりました。育成しにくく、収穫作業に膨大な時間がかかる上に鮮度を保つのが難しいからです。
そこで、観光農園としてお客さまに収穫を楽しんでもらうことにしたんです。その場で採って食べてもらえば新鮮さもキープできるし、輸送コストもかかりませんからね。
これからはモノではなく、経験などのコトを売る時代。うまくいくと思いました。
「会社を辞めて農業をします」と上司に報告した時は「年収が2桁下がるぞ!家族4人暮らすのに、年収が100万円以下になってもいいのか?」と言われました。でも、「ブルーベリーファームおかざき」は今、年間60日の営業で年収2千万円を達成するまでに成長しています。
──農業を始めてからどのようなワークスタイルになりましたか?
起業当時は一人で農園を管理していたので、ブルーベリーの栽培と収穫に来るお客さまの対応が主な仕事でした。農園は収穫時期である6〜8月だけオープンするので、会社員時代に比べると余裕のあるスケジュールでしたね。
何より、自然に囲まれて好きな仕事をすることで、心も体も健やかになりました。
現在は農園の運営はスタッフに任せ、セミナー開催や書籍の執筆など、想いやノウハウを発信するのが私の主な仕事になりました。これまでの経験を活かし、かつての自分のように苦しむ人々をサポートするのが使命だと感じるようになったからです。
なので、農園に出るのは毎日1〜2時間ほど。ブルーベリーの生育状況のチェックをしています。これがリフレッシュにもなるんですよね。
それ以外はほとんど事務所でデスクワークをしていますが、20年間の会社員生活のおかげで、パソコン作業に苦はありません。セミナー受講生のための動画やYouTubeの制作、ブログの更新などを行なっています。
帰宅するのは17時ごろで、夜は家族で食事をした後、ジムに行ったり本を読んだりと自分の時間を楽しんでいます。
挑戦に成功は約束されないけれど、それでも誰もが好きなことで生きていけると伝えたい
──好きなことを仕事にし、成功するためのポイントが知りたいです。
好きなことを仕事にしてうまくいくのは、「いかに人の役に立つか」「いかにキャッシュポイントをつくるか」を考えられる人です。キャッシュポイントとは、ビジネスにおいて収益が発生するタイミングのこと。
たとえば本がどんなに好きでも、たくさん読むだけではお金は生まれない。仕事にはならないですよね。ところが「悩みを解決できる本を選んであげよう」と人の役に立つアクションを起こして、その対価としてお客さまにお金を払ってもらえれば、それは立派な仕事になります。
お客さまが喜ぶことを想像して行動に移し、その貢献が報酬として支払われるサイクルをつくるんです。
──とはいえ、成功できるのは限られた人だけ……という読者の声も聞こえてきそうです。
挑戦に成功は約束されませんが、挑戦すれば成長は約束されています。だからまずは挑戦してほしい。成功者の失敗談は山のようにあります。一度の失敗を恐れて挑戦しなければ、成功もありません。
無理に大胆に挑戦しなくて良いんです。副業から始めるとか、誰にも言わずにこっそりやってみるとか。その積み重ねが成功につながるかもしれません。
命に関わるほど仕事に追われたつらさが、農家として成功するチャンスだった。私が今そう思えるのは、あの時勇気を出して挑戦したからです。
──畔柳さんにとって、はたらくとは?
自分らしく輝くための手段です。
私は、悩む人たちの力になるという使命感を抱いてから、すらすらと言葉が出てくるようになりました。会社員時代は人前で話したり本を書いたりする力が自分の中にあるなんて思いもしませんでしたが、好きなことを仕事にしたら、潜在能力が目覚めたんですよね。その力を最大限発揮することこそ、自分らしく輝くことだと思っています。
──最後に、スタジオパーソル読者である「はたらく」モヤモヤを抱える若者へ、「はたらく」をもっと自分らしく、楽しくするために、何かアドバイスをいただけますか?
世間にある「起業」「はたらく」に対するネガティブな固定観念は信じなくていい。やりたいことがあるなら、ぜひチャレンジしてください。起業してしばらくは苦しい日々が続くとか、世間の風は冷たいとかよく聞きますが、私は違うと思っています。勇気を出して起業した私に、周りの人たちはみんな優しかった。
今では、私の話をきっかけに挑戦して「人生が変わりました!」と言ってもらえるのが一番の幸せです。一生をかけて、好きなことで生きる喜びを伝え続けていきます。
(「スタジオパーソル」編集部/文:徳山チカ 編集:いしかわゆき、おのまり 写真提供:畔柳茂樹さん)