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ヴィジュアル系とニューロマンティック:ジャパン人気と “ベルばら” ブーム〈前編〉

Re:minder

1978年10月27日 結成50周年!ニューロマンティックの元祖、ジャパン!

Z世代に語り継ぎたいロック入門ガイド Vol.3
ジャパン(前編)

今や化石化した “ニューウェイヴ” という音楽ジャンル。でも実は現代のロックにつながる重要な源流のひとつです。リアルタイム世代にとっては懐かしく、若い世代にとっては3周回ってカッコよく見えてくる…。

そう、平成生まれのニューウェイヴ伝道師として活動中の筆者が、“Z世代に語り継ぎたいロック” を、1970〜80年代のニューウェイヴを中心に、独自&後追いならではの視点からお届けします。めくるめく刺激とツッコミどころ満載なこのジャンルを風化させぬよう語り継ぐ、温故知新型洋楽ガイドをお楽しみください。

日本で爆発的人気を博した奇妙なバンド、ジャパン


今回取り上げるのは、主に1978年〜1982年ごろに活躍したイギリスのニューウェイヴバンド、ジャパン。まさにバンド名が彼らのその後の未来を予見していたかのように、今や日本とは切っても切れぬ強固な絆を持ったバンドである。前回お送りしたニューロマンティック(以下:ニューロマ)の代表的バンド、デュラン・デュランのヴォーカル、サイモン・ル・ボンは、以前インタビューにおいてこのジャパンを引き合いに自分たちが日本で人気が出た理由について、このように語っていた。

「とにかく僕らにとってはジャパンが巨大なインスピレーション源だったのさ。特にヴィジュアル重視という点でね。で、日本人はヴィジュアル性の高いアーティストを生来好んでいたから、彼らも日本で人気を確立していて、僕たちが受け入れられる下地を作ってくれたんだよ」(2004年8月、ミュージック・ライフ)


私は、このサイモンの冷静で的確な日本マーケット評がずっと印象に残っている。本国イギリスではデビュー後もしばらくの間サッパリ相手にされず苦悩。代わりに遠く海を超えた日本において本人たちも想像できなかったような爆発的人気を博した奇妙なバンド、ジャパンが作ってくれた ”売れる土壌” にちゃっかり乗っかったと思えなくもない。

まあなんともデュラン・デュランらしい戦略的な巧さが表れた発言だろう。なんだか、イギリスで端を発したニューロマのムーヴメントが、アメリカよりも先にこの日本で流行ったことの不思議な縁を、そのままサラッとまとめてくれたような、そんな評し方なのである。

念のためお伝えしておくと、ジャパンはニューロマとして売り出されたバンドではない(なぜなら、ニューロマというムーヴメントがはっきりとその名を冠して世間に登場したのは、ジャパンがデビューした少し後、1980年頃のことだから)。しかし、ジャパンの登場はその直後のニューロマブーム発端の最大のキッカケとなったともいえ、ジャパン無くしてニューロマの隆盛は興らなかったと言っても過言ではないだろう。

たったの4年ちょっとという活動期間に恐るべき変化と成長を遂げたジャパン


ついでに言うとジャパンはその音楽性においても、たったの4年ちょっとという活動期間のあいだに芸術面でも実力的なサウンド面でも恐るべき変化と成長を遂げたというなんとも奇怪なバンドなのだが、その辺の音楽性の変遷や日本人アーティストとの密な関わりについては私のアーカイブ記事早すぎたニューロマンティック、時代は「ジャパン」に追いつけなかったをご覧いただくとして、今回はちょっと別視点から掘り下げてみたい。

それは、当時ジャパンが文字通りの ”ビッグ・イン・ジャパン” 現象を起こすに至った要因とは一体何だったのか、という疑問だ。なぜこのようなことが起こったのか、リアルタイムを知らない後追いの私としては想像もできない、この珍現象をずっと不思議に思っていた。それ以前にもクイーンのような、日本でとりわけ人気が出たヴィジュアル先行型バンドの存在は、あったにはあった。しかし、ジャパンはその後の日本におけるニューロマブームに直接繋がっているという点でも、特筆すべき背景があったのではないかと考えている。

恐らくそれは、先のサイモン・ル・ボンによる評のとおり “生来ヴィジュアル性の高いアーティストを好む” 日本と、1970年代後半のジャパン登場が絶妙なタイミングでがっちりとリンクした、なんとも運命的な化学反応だったのではないだろうか。この ”ビッグ・イン・ジャパン” 現象、ひいては後の日本におけるニューロマ人気から、古来より少しずつ形を変えながらも連綿と紡いできた、日本独特の嗜好性と美学の歴史を逆説的に垣間見ることができる、そんな不思議な現象なのだ。

この ”独特な嗜好性” とはつまり、日本で古来から伝わる “中性的な美少年を崇める文化” である。古くから歌舞伎の女形や、サムライ文化における “衆道” と呼ばれる男性の同性愛を認める習慣があった日本では、江戸時代、吉原の花魁のあいだでも衆道の若衆みたいな髪型が最先端なモードファッションとして人気を博したほどで、この時代にしてすでに日本では “中性的な美学” という概念が確立されていて、そのフェティッシュ文化は最先端であった(そもそも女性が着物を着て美しい姿とされる「柳腰」は、この衆道文化に由来している)。

それはヨーロッパと日本における、男の理想形の違いにもよく現れている。基本的にヨーロッパでは男性的な美というのは成熟したマッチョイズムであるのに対し、日本のそれは男性に成り切る前のまだ青い少年・青年の頃が最も美しいとされ、なおかつ中性的であればあるほどその輝きは増すのだ。

唯一無二の中性的な妖しさと麗しさを兼ね備えたジャパンのルックス


そう、この “中性的な美少(青)年” こそ、まさしくヴィジュアル性を最重要コンセプトとするニューロマ美学の真骨頂なのであり、それはつまり、デヴィッド・ボウイが見せた両性具有なヴィジュアルとパフォーマンスに大きく影響を受けている。そして、そんなニューロマが誕生する前夜の1978年、すでに唯一無二の中性的な妖しさと麗しさを兼ね備えたジャパンのルックスに、日本の少女たちが飛びつくのは必然だったのだろう。

日本におけるジャパン人気はデビュー前にして実に凄まじかった。そのスゴさはデビュー前にして “麗しい新人バンドがいる” と噂を聞きつけた音楽雑誌がバンバン取材を組み、まだレコードも出していないにも関わらず、雑誌『音楽専科』から写真集が発売されるという異様ぶり。移動する先々でグルーピーの少女たちに囲まれ、本国イギリスとは天と地ほども違う歓迎のされ方に、いたく感動すると同時に少々怖い思いもしたとボーカルのデヴィッド・シルヴィアンは回想している。

まだレコードをリリースしてもいない新人バンドが日本で雑誌の表紙を飾ったり、写真集まで売れたという事実。国内のバンドでさえ珍しいのに外タレと来ればそれはもう他に例を見ないほど特異な光景だったんじゃないだろうか。その決定的な要因はやはり、当時の日本の大衆文化における流行が大きく影響していたと考えられる。

日本の大衆文化で耽美主義が加速していた1978年


ジャパンが登場した1978年という時代、これもまた日本の大衆文化で耽美主義が加速していた時代だ。先述したように美少年信仰が古くから根強い日本であったが、その独特の美学がいよいよティーン向けのメインストリームにおいても市民権を得始めていた。日本が世界規模で見ても革新的な発展を見せていたカルチャー、少女漫画である。

それ以前から三島由紀夫や澁澤龍彦といった文学の世界でその片鱗を見せていた少年愛ものが少女漫画界においても正面から取り上げられ始めた1970年代。竹宮惠子『風と木の詩』(1976年)や萩尾望都『トーマの心臓』(1974年)といった作品は、現代のBL(ボーイズラブ)の原点との呼び声高く、美少年の同性愛を描く少女漫画家が次々と登場した。いわゆる “やおい”、今でいう腐女子の起源だ。

萩尾望都は他にもニューロマっぽいゴシック要素も窺えるヒット作品『ポーの一族』(1971年)なども発表、これらの作品は当時の少女たちの美少年礼讃に拍車をかけたことだろう。だが個人的には、これぞジャパンの日本人気にダイレクトに影響したーー ひいてはその後のニューロマブームをそのまま受け入れる雛形を作った、とも考えられる作品がある。それが『週刊マーガレット』で1972〜73年にかけて連載された池田理代子原作『ベルサイユのばら』(1972年)だ。

まんまニューロマの世界観だった “ベルばら”


18世紀のフランス革命前夜を詳細な史実とフィクションを織り交ぜて描き、悲劇の王妃マリー・アントワネットと男装の麗人である近衛連隊長オスカルを主人公に、究極に耽美的な美しいタッチで描かれた “ベルばら”。その物語は大人が読んでもキリスト教的愛の哲学やマルキ・ド・サド作品を引用したキャラ設定、そして革命当時に流行したルソーの自由思想など色んなメタファーを切り口に考察を楽しめるという、連載開始から50年たった今も進化し続ける少女漫画の金字塔である。連載終了後すぐ宝塚歌劇団で舞台化されたこともあって、1970年代の日本で “ベルばらブーム” と呼ばれる旋風を巻き起こした。

私自身、小学生の頃に狂ったように読みまくり、おそらくリアルタイムで少女だった読者の皆さま同様、人生で最初に中世ヨーロッパの耽美世界を教示してくれたバイブル。ニューウェイヴ、ニューロマ伝道師をしている今にして思えば “三つ子の魂百まで” といったところなのだが、最近15年ぶりくらいに原作を再読、アニメ版も見直したところ、まだニューロマという存在すら知らなかった15年前には思いも寄らなかったインスピレーションが舞い降りた。待てよ、これってまんまニューロマの世界観じゃないか、と。

昭和に生きていない私は “ベルばら” とジャパン人気の相関性に確証が持てないまま独自考察をしていた。だがこの度、分厚すぎて読むのを先延ばしにしていた『JAPAN 1974-1984 光と影のバンド全史』(著:アンソニー・レイノルズ)の中でハッキリと、そしてサラッと “ジャパンの日本人気の影に、ベルばらブームがあった” との記述があるではないか。

しかし、これに関する詳しい考察は見当たらないゆえ、次回はこの “ジャパン人気とベルばらブーム” についてさらに掘り下げてみたい。

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