生まれ変わり?!祖父からもらった一文字を我が子の名前に
3人の子ども達と、にぎやかな日々を送っているライターの“あしださき”です。赤ちゃんが生まれるとき、「その子にどんな素敵な名前を贈ろうか」と夫婦で相談し、悩む…というのはよくあることだと思います。しかし、わが家の子どもたち3人の中で、私が29歳の時に出産した第2子の“名付け”だけは、悩まず、迷わずに決まりました。具体的には、妊娠初期の時点で、ほぼ決定していました。それには、私たち夫婦が大好きだった祖父との“約束”が関係しているのです。
忘れたくない“大切な人の名前”をこの世に残すこと
第2子の“唯人(ゆいと)”という名は、夫の祖父の名前から一文字いただいてつけました。
「あと5年(生きるつもり)だからね」
そう言って、夫の祖父は大腸がんの手術のために入院し、そのまま他界してしまいました。女の子のひ孫が2人生まれ、次は男の子のひ孫の顔を見たいと切望していた祖父。私たちは「必ず見せてあげるから元気になって!」と約束をしたまま、それを果たすことは叶いませんでした。
私たちは結婚前から夫の祖父母に大変お世話になっていました。厳格で口数は少ないが、愛情深く涙もろい性格の祖父を、私も夫も大好きでした。「おい、男の子はいつになったら生まれる?」が口癖の祖父を喜ばせてあげることができなかった…。心残りが多く、つらすぎる別れでした。
まさか生まれ変わり?! お通夜の日に妊娠判明
祖父のお通夜が行われる日、私の妊娠が発覚しました。まだ病院に行っても早すぎるような時期だったのですが、「第六感」が働いて妊娠検査薬を試したのです。
陽性を示すラインを見て、「あ、もう生まれ変わったの?」という心境になってしまいました。不謹慎にも、それがとてもおかしくて夫と笑いました。
「これがもし運命だとしたら、おなかの赤ちゃんはきっと男の子だろう。名前は、祖父の名前から「唯」の字をもらってつけよう」
私たちの心はすでに決まっていました。妊娠発覚当日、お通夜に参列しながら祖父のことを想いました。
悩まず迷わず! ピンチを乗り越えるため決めた名前
妊娠初期に大量出血を起こし、そのまま緊急入院していた時のことです。このまま赤ちゃんが流れてしまう最悪の結末もありえる状況。そんな場面でもネガティブにならずに、このピンチを乗り越えたいと思っていました。
そこで、おなかの赤ちゃんを「“赤ちゃん”ではなく、名前で呼ぼう」と勝手に1人で決断。その時パッと「ゆいと」という名前がいいと思いつきました。
1人で入院していたので誰にも相談などしていません。しかし、もう私の中ではほぼ決定という気持ちでした。すでに「ゆいと」とおなかに呼びかけ始めていたのですから。
不思議なもので、名前を呼ぶことで勇気が湧き、「一緒に頑張っている」という気持ちにもなれました。
最後の一文字は、家族たちによる投票で…
その後、おなかの子の性別は男と判明。危機を脱して順調に育っていく“ゆいと”に「漢字を決めてあげなくては」と“名付け”を本格的に意識し始めたのは、妊娠10ヶ月に入った頃だったと思います。
正直に言えば、この段階で私たちは少しだけ迷いました。それは、「ゆい」の漢字は決定でしたが、「と」という漢字は「登」と「人」の2つの候補のどちらも捨てがたいという「迷い」でした。最後の手として「赤ちゃんの顔を見て判断する」という意見も出ていました。
しかし、名前は、私たち夫婦だけでなく家族のみんなが呼んでくれるもの。「家族に意見を聞いてみてはどうか」ということに。そこで、夫の両親と祖母と弟、私の両親と弟にどちらが良いか投票してもらうことにしたのです。
結果は、大差で“唯人”でした。「響きも漢字の意味合いも良い」と非常に好評でした。何より私たち夫婦としては、大切な祖父の思い出をいつも近くに感じられる名前。とても満足しています。
小学生になると自分の名前について調べる宿題が出ました。しかし、唯人にとって名付け話は、すでに聞きすぎるほど家族の話題になっていて、もはや説明不要なほどでした。「ひいおじいさんの名前の一文字をもらいました。僕が生まれる前に死んでしまいましたが、なぜかとても身近な人だと感じています」と話す息子を、祖父はこれからも見守ってくれるでしょう。
[あしださき*プロフィール]
在宅ライター歴3年。怪獣ハウスで記事を書く日々。分かりやすく、読みやすい記事を心がけています。自身の子育ての悩みは尽きず、今は4歳の次男の猛獣っぷりに1日数回心が折れています。最近気になるワードは「アンガーマネジメント」。怒らずに過せる日はいつ来るのか。
※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。