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上村松園（うえむら しょうえん）という女性の日本画家をご存知ですか？明治8年に生まれ、昭和24年に亡くなるその年まで、美人画一筋に描き続けた勤勉な画家でした。 松園の画に登場する女性は、どんな題材でも、媚びることなく、おもねらず、自ら選んだ道を懸命に生きようとしているように感じます。だからといって、端正な佇まいの女性だけを描いたかというとそうではなく、恋に狂い精神が崩壊した女性や、嫉妬に狂い生き霊となった女性も描いています。 常軌を逸したその姿は、ひとりの女性として懸命に生きていたからこそ…。だからでしょうか、画の中に全てを包容する松園の慈しみのまなざしを感じるのです。 松園が美人画を通して描きたかったのは、なんだったのでしょうか？この記事では、女性日本画家のパイオニアでもある、松園を紹介しつつ、松園が何を表現したかったのか、を考察していきたいと思います。

《雪》1940年

第1章｜女性職業画家のパイオニア 上村松園──筆で道を切り拓く

1875年（明治8年）、上村松園は、京都・下京の茶葉屋を営む上村家の次女として生まれました。本名は津禰（つね）。
父は松園が生まれる2ヶ月前に他界し、以後は母・仲子の手で育てられます。
祖父は、大坂町奉行・大塩平八郎の甥というから、由緒ある家柄だったのかもしれません。

上村松園

松園の才能をいち早く見抜いたのは、母でした。女性の教育がまだ限られていた時代、親類の反対を押し切って、仲子は娘に画の道を進ませる決断をします。当時は「女が絵を描くなど」と冷ややかに見られた時代。それでも仲子は、松園を京都府画学校へ入学させました。12歳のときのことです。

翌年、京都府画学校の鈴木松年が退職したことに伴い、13歳で学校を辞め、正式に松年の門に入ります。15歳のときには、描いた《四季美人図》が英国皇太子コンノート公の買上げとなり、絵の道に反対していた叔父も大喜びをしたそうです。15歳の女の子の画がいきなり英国皇太子に買い上げられたなんて、当時の環境を鑑みると、めちゃくちゃすごいことだったのだろうなぁ、と思います。

18歳のときに、松年の許可のもと、幸野楳嶺（こうの ばいれい）に師事し、土佐派の流れをくむ日本画を学びます。20歳のときに楳嶺が死去すると、楳嶺門下の四天王の一人といわれた竹内栖鳳の門に入ります。栖鳳とはその後も、長く師弟関係を築き、折に触れ助言をもらっていたようです。

男性ばかりの画壇の中、若き松園は異例の存在となり、精力的に作品を発表していきました。幼い頃から画を描くことが喜びだった松園は、一貫して画を極める道を進みます。

しかしその道のりは、平坦ではありませんでした。女性であることを理由に、画壇から疎まれることもあれば、偏見や憶測にさらされることもあったためです。

なかでも忘れがたい出来事として、出品した作品が毀損されるという事件が起こりました。展示会場に飾られていた《遊女亀遊》の顔が、何者かの手によって落書きされたのです。松園、29歳のときでした。

現代の感覚からすると、作品に触れることも控えるのが常識なのに、こともあろうか、汚すなんて…。松園ファンとしては悔しい限りですが、一番、はらわた煮えくりかえったであろう松園は、自著『青眉抄』で次のように語っています。

「人に何かを言われたり、画に何かをされるたびに、自分はただ静かに、よい絵を描いていこうと心に決めた。」（上村松園『青眉抄』より）

この言葉に、どれだけの覚悟があり、何があっても言い訳などしない、という静かでありながら消えない闘志を感じました。どんなときも、気高くあろうとしたのだろうか、と松園という人に思いを馳せてしまいます。

《遊女亀遊》は、松園の意向のもと、そのまま展示されました。この醜悪な誹謗中傷を世間に知らしめる、という意味を込めて……。

松園は母・仲子とともに暮らし、未婚の母としてひとり息子・松篁（しょうこう）を育てながら、画業に打ち込みました。仲子は、松園や孫たちの日常の世話をしながら、昼は茶葉屋、夜は針仕事などをする勤勉な人だったようです。松園をはじめ子孫に続く勤勉さは、仲子の血を受け継いだのかもしれませんね。

そして、松園の「母であり、画家であること」──その両立に向けた姿勢も、後の松園の絵に宿る慈しみの視線へと結実していったのでしょうか。

日本画壇への影響としては、松園は、日本の公的な美術制度において、職業画家として本格的に認められた初めての女性でした。
こうした努力の積み重ねは、やがて国からの顕彰へとつながっていきます。1941年、松園は女性として初めて帝国芸術院会員に推挙され、さらに1948年の亡くなる1年前、女性画家として初の文化勲章を受章しました。これは、日本の美術界における女性の地位を塗り替える、画期的な出来事でした。

松園は、描くことそのもので道を切り開いてきた人でした。近代日本の美人画の代表作家として、西の松園、東の鏑木（かぶらき）清方と言われています。そして、「松園の前に松園なし、松園の後に松園なし」とまでいわれるほど、松園流の作風を確立したのです。

第2章｜"母のように描く"──上村松園のまなざしと「真・善・美」

上村松園が生涯を通して描こうとしたもの──それは、真（まこと）・善（よきこころ）・美（うつくしさ）でした。

「私はこの世に真と善と美との存在する限り、それに向かって歩いてゆこうとする女性の姿を、描いて行きたいと思います。」
（上村松園『青眉抄』より）

置かれた環境の中で、何かにおもねるでもなく、懸命に自分の内側に宿る「真・善・美」を貫いて生きようとする女性たち。恋に落ちること、怒りに燃えること、子を見守ること、生活をすること──そのすべての中に、真・善・美が宿っている。松園のまなざしは、そんなふうに世界を見つめていたのではないでしょうか。

また、松園は絵を描くときの心持ちを、こう語っています。

「母が子を育てるような気持ちで筆をとる」──。

そのまなざしは、単に外見を写すのではなく、人物の内にあるものを慈しみながら、そっとすくい取るようなものでした。

たとえば、襟元を直す仕草、ふと落ちる視線、道具を手にしたときの手元の角度──それらは決して大げさな演出ではなく、ごく自然な日常の一瞬を切り取ったかのように描かれています。

松園がそうした細部に心を配ったのは、所作や装いの中にこそ、その人の人となりがにじむと考えていたからかもしれません。彼女が「母のようなまなざし」で描こうとしたのは、表面的な美しさではなく、内に宿る静かな強さ──「生きる力」だったのでしょう。

第3章｜まなざしをかたちにする──上村松園の技法

上村松園の絵には、静かな空気感があります。凛とした佇まいのなかに、やさしさと強さ、そして確かな意志が感じられる──その絶妙な均衡は、松園の緻密で高度な技術によって支えられていました。

■ 線──静けさを宿す、ミニマムな描線

松園の作風が確立されてからの絵に共通しているのは、しなやかで繊細な線です。顔や首筋、手先の輪郭は、迷いがなく、周囲との境界線を描き分けているのに主張しすぎず、必要最小限に感じられます。

着物を描く線も、輪郭と質感を浮き彫にするのに必要最小限にし、あとは色彩や文様で表現する。それが、現代にも通じる洗練さ、モダンさを醸し出している気がします。

また、髷の髪が顔にかかる部分は、ほわっとした柔らかさを表現するため、線なのか、淡く塗っているのか判別つかないような、細かな描写をしています。しかし、よーく見ると、極細の線を柔らかく引いています。

流れる線、最小限の表現、立体感と質感を表現するための極繊細な淡い線。精緻な線を様々使い分けて、細やかな女性の心の綾までも描いているようです。

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上村松園《わか葉》1940年　名都美術館

■ 色──岩絵具と胡粉が生む、清浄と気品

日本画ならではの岩絵具を用いた松園の彩色は、驚くほど柔らかく、奥行きがあります。とりわけ印象的なのは、肌に使われる胡粉（ごふん）の美しさ。真珠のようにわずかに光を含む白は、ただの「白い肌」ではなく、品格、静けさ、精神性までも感じさせる「清浄な肌」として存在しています。

また、着物の色使いにも注目です。松園はブルーや紫の着物が好みだったようですが、特にブルーの着物は作品に多く登場します。

夏の単衣では透け感を、それ以外の季節には陰影をつけずにマットな質感で着物を表現することが多く、それが、とてもモダンで、現代アートを見ているような気分になります。色彩の表現にも「真善美」が宿っていたのでしょう。

■ 構図──抑制された動きのなかに、情緒が立ち上がる

松園は、傘をさしたり、舞を舞ったり、子を抱いたり、月を眺めたり、針仕事をしたりと、女性たちの様々な暮らしぶりを描いています。
しかし、動的なシーンを切り取っているにも関わらず、激しい動きや、大きく体をくねるようなポーズはありません。その静止した構図のなかに、見る者の想像を呼び起こす「間（ま）」が存在しています。

たとえば視線の先にあるもの、わずかに傾いた体の重心、手元の仕草。それらが描かれることで、絵の外にある物語や感情が、立ち上がってくるのです。この"描かないことで語る"構成力こそが、松園の技法の真髄ともいえるでしょう。

《牡丹雪》1944年

■ 髪・指先・衣文（いもん）──細部に宿る「感情」

松園がとくにこだわったのが、髪と手の表現です。髪は1本1本丁寧に描かれ、つややかで整っていながらも、風や動きの痕跡をほのかに感じさせます。指先の角度や、袖口のゆらぎにさえ、心のゆれが込められているかのようです。

衣文（着物の折り目や重なり）もまた、ただの布の動きではなく、その人の心情やたたずまいを映す鏡として描かれています。

■ 写実と理想のあわいに

松園の絵は、写実性を備えながらも、あくまで「こう在りたいと願う姿」を描いています。そこにあるのは、現実とかけ離れた理想化ではなく、現実のなかにある信念を丁寧にすくい上げた描写です。

つまり松園は、実際に生きる女性のなかにある真・善・美を、現実に忠実でありながら、気高いかたちで結晶化していったのです。

第4章｜画のなかに息づく女性たち──上村松園の代表作より

松園の作品は、能に題材を求めた系列と、母性を主題とした作品の二系統が中心となっています（もちろん、他の題材も多数あります）。
ここでは、能の題材として《序の舞》、《焔（ほのお）》、母性の題材として《母と子》《晩秋》をご紹介します。

■ 《序の舞》（1936年）

《序の舞》1936年

松園といえばこの作品。
彼女の最高傑作のひとつであり、松園自身も描きたかった究極の女性の姿を描き切ったと評しています。

「何ものにも犯されない女性の内に潜む強い意志をこの絵に表現したかった。一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香り高い珠玉のような絵こそ、私の念願するものなのです。」（『青眉抄』より）。「優美なうちにも毅然として犯しがたい女性の気品をかいた。」（『青眉抄』より）。

扇を手に仕舞を披露する良家の令嬢。
昭和初期の風俗の中に、古典的で優美で端然とした心持ちを表現しています。
このモデルは複数いるようですが、息子の松篁（しょうこう）の妻をメインのモデルにしたようです。

■ 《焔》（1918年）

《焔》1918年

源氏物語の六条御息所の生霊。愛と嫉妬に囚われ、激しい情念をまとった女性を描いた異色作です。荒れた黒髪、爪を立てた手、鋭い目元、着物に描かれた蜘蛛の巣模様──松園が公私ともにスランプに陥り、それを克服したときの作品です。

心の中にくすぶる自らの苦悩を、六条御息所の生霊に投影したとも言われています。しかし、生霊という題材を俗っぽくさせないための工夫を凝らしています。装束を平安時代ではなく桃山時代に変えて、立ち姿に幽玄さを醸し、生霊の象徴として足を描いていません。

また、能面の泥眼（白目を金で塗るお面）にヒントを得て、目の部分にうしろから金泥を塗っています。これが、気高くありたいのに、生き霊となってしまった女の哀しさを映し出している気がします。

この作品を発表したとき、世間は騒然としました。清らかな美人画を多く描いていた今までの作品とは一線を画する空恐ろしい画。松園の凄みに圧倒された人たちも多かったようで、月日が経つにつれ、評価が高まっていった作品です。

■ 《母子》（1934年）

《母子》1934年

母の衿元に手を添え、ぐっと身を乗り出す幼い子ども。その小さな存在を、優しく、しっかりと抱きとめる母の姿には、深い慈愛と静かな気品があります。日常のささやかな一場面が、松園の手によって、崇高な母子像へと昇華されています。

この作品が発表されたのは、松園が実母・仲子を亡くした年の秋。以降、松園は母という存在を主題に据えた作品を描くようになります。本作は、その第一歩ともいえる記念碑的な一枚であり、晩年の新たな画境を開く契機にもなりました。

柔らかな肌の質感、精緻な髷（まげ）の描写、重ねられた衣の美しさ──そこには、美人画で長年磨かれてきた松園の感性と技が、惜しみなく注がれています。

■ 《晩秋》（1943年）

障子のほころびを繕う若い女性──「晩秋」は、静かな所作の中に母への追慕を込めた、松園晩年の名作です。青い無地の小袖に、縞模様の帯。黒い掛け袷の下からのぞく薄桃色の襦袢が、清らかな佇まいにほのかな艶を添えています。

松園はこの女性の姿に、亡き母の面影を重ねたといいます。障子の縦枠を効果的に取り入れた構図や、簡素な画面の中に漂う洗練された抽象性に、若き日の作風とのつながりも感じられる一作です。

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《晩秋》1943年　所蔵：大阪市立美術館

まとめ｜受け継がれる静かなまなざし──松篁・淳之へ

上村松園は、画業と、母としての人生を両立させながら、ひとり息子・松篁（しょうこう）を育てました。松篁もまた絵の道を選び、人物画ではなく花鳥画の中に「美」を追い求めていきます。

「母の描いた人物像の精神を、花鳥のなかに込めたかった」と語ったように、松篁の作品にも、凛とした呼吸が流れています。その美意識は、孫・上村淳之（あつし）へと継がれました。

淳之は、写実と詩情をたたえた鳥の画家として知られています。「祖母の絵は、静かで、内側からものを言う。私もまた、鳥を通して"語らずして語る"絵を描きたい」と語るその言葉に、三代を通じた"美の姿勢"が継承されています。

松園の女性たちも、松篁や淳之の鳥たちも、言葉を発することはありません。けれど、そのたたずまいには、感情のゆらぎや、やさしさ、祈りのような意志がたしかに息づいています。上村家三代が描き続けてきたのは、ただ美しいものではなく、美しくあろうとする精神そのものなのかもしれません。

【2025年開催・開催予定の展覧会情報】

2025年は、上村松園の生誕150年にあたる節目の年。代表作が一堂に会する貴重な展覧会を開催。お見逃しなく！

生誕150年記念 上村松園展（大阪中之島美術館）

会期：2025年3月29日（土）～6月1日（日）
見どころ：『母子』（東京国立近代美術館蔵）、『序の舞』（東京藝術大学蔵）など、初期から晩年までの100点以上を展示。巡回なしの大規模回顧展。
▶︎ 詳細はこちら　生誕150年記念 上村松園展

別展「上村松園と麗しき女性たち」（山種美術館）

会期：2025年5月17日（土）～7月27日（日）
見どころ：松園の作品22点とともに、小倉遊亀、片岡球子ら同時代の女性画家の作品も紹介。
▶︎ 詳細はこちら　別展「上村松園と麗しき女性たち

【松園の画に会える場所──美術館情報】

上村松園の作品は、日本各地の美術館に所蔵されており、展覧会や常設展示でその静謐なまなざしにふれることができます。
ここでは代表的な美術館をいくつかご紹介します。
※ お出かけの際は、事前に各美術館情報をご確認ください。

松伯美術館：奈良県

松園の孫である上村淳之が館長を務めた、松園の作品を多数所蔵。
松園の息子・上村松篁と孫・上村淳之の作品も含めた三代の作品を所蔵・展示しており、季節ごとに展示替えを行いながら、約30点の作品を常設展示。
松伯美術館

東京国立近代美術館：東京都

重要文化財《母子》​所蔵
東京国立近代美術館

山種美術館：東京都

代表作《蛍》《砧》《牡丹雪》など​所蔵
山種美術館

大阪市立美術館：大阪府

重要文化財《晩秋》​所蔵
大阪市立美術館