第13回『東宝映画スタア☆パレード』島崎雪子&上原美佐 黒澤映画で輝きをみせた名ヒロイン二人
今でもスタジオ入口に『七人の侍』と『ゴジラ』の壁画を掲げる東宝。〝明るく楽しいみんなの東宝〟を標榜し、都会的で洗練されたカラーを持つこの映画会社は、プロデューサー・システムによる映画作りを行っていた。スター・システムを採る他社は多くの人気俳優を抱えていたが、東宝にもそれに劣らぬ、個性豊かな役者たちが揃っていた。これにより東宝は、サラリーマン喜劇、文芸作品から時代劇、アクション、戦争もの、怪獣・特撮もの、青春映画に至る様々なジャンルに対応できたのだ。本連載では新たな視点から、東宝のスクリーンを彩ったスタアたちの魅力に迫る。
「黒澤明は女性を描くのが苦手」とは、よく語られるフレーズである。
確かに女性が主人公となる作品はそれほど多くなく、戦時非常態勢の下、レンズ工場で勤労する女子挺身隊の日常を捉えた『一番美しく』(44)と、やはり戦時下で左翼主義の夫が獄中死し、残された妻(原節子)がその実家で逞しく生きていく姿を描く『わが青春に悔いなし』(46)、あとは晩年の『八月の狂詩曲』(91)くらいしかない。
しかし、男性の主人公に大きな影響を及ぼすヒロインが登場するものには、夫と盗賊を惑わす強かな妻(京マチ子)が登場する『羅生門』(50/大映)、原節子が男たちを翻弄する傲慢な女性に扮した『白痴』(51/松竹)、さらには、夫たる戦国武将に主君や友への謀反・殺害をそそのかす悪妻(山田五十鈴)が強烈な印象を残す『蜘蛛巣城』(57)などがあることから、あながち「黒澤が女を描くのが下手」とは言えないように思う。
香川京子も『悪い奴ほどよく眠る』(60)と『天国と地獄』(63)で、三船敏郎の夫の運命を大きく左右する妻に扮したほか、『赤ひげ』(65)では男を〝喰い殺す〟色情狂の女まで演じている。香川は、黒澤が「僕は女性のあれはよく分からないから」などと言って、あまり明確な指示を出さなかったと証言しているが、「女の人はあまり表面には出ないけれど、位置としては重要な役割を占めている場合が多い」とも語っており、女優として難しいことを要求されたという意識が強いようだ。
『酔いどれ天使』(48)で結核を克服する少女の久我美子が、いかに強い(そして爽やかな)印象を残したか――。『野良犬』(49/新東宝)で新米刑事の三船敏郎に的確なヒントを与えるスリ常習犯・岸輝子の存在感の大きさや、『醜聞(スキャンダル)』(50/松竹)で脇役(蛭田弁護士の娘:彼女も結核に侵されている)でありながら物語の展開を劇的に変える桂木洋子の無垢な魂、さらには、『椿三十郎』(62)で拉致された城代家老の奥方(入江たか子)が三十郎に与える示唆の奥深さなどを見れば、黒澤が〈女性が映画に与える影響力〉を解っていることは明らか。
『生きる』(52)でも、玩具工場で働く意義や喜びを説く小田切とよ(小田切みき)がいなかったら、渡辺勘治は自らの目標を見出せなかったに違いなく、黒澤が女性を描くことが苦手などとはとても言えそうもない。
男たちが前面に出る『七人の侍』(54)にあって、彼ら以上に深い印象を残したのはヒロインたる津島恵子(百姓・万造の娘)と、利吉(土屋義男)の女房を演じた島崎雪子である。
実はこのお二人、1953年に雑誌『近代映画』が実施した「スタア人気投票」で、津島が一位、島崎が六位にランクインするという輝かしい実績をもっていた(※1)。
したがって、この黒澤時代劇は当代の人気女優を、満を持して迎えた作品であり、実際二人はフィルムでも三船、志村に次ぐ三番目、四番目にクレジットされている。勝四郎(木村功)と恋仲になるという重要な役どころの津島恵子はともかく、たったワンシーンのみの出演にもかかわらず、こうした厚遇を受けた島崎の人気のほどが窺える。
▲野武士の山塞で悲壮な最期を遂げる『七人の侍』の島崎雪子 イラスト:Produce any Colour TaIZ/岡本和泉
石坂洋次郎原作・藤本(真澄)プロ製作による『山の彼方に』(50/千葉泰樹監督)で「フレッシュガール」に選出され、原節子が『青い山脈』で演じた役名を芸名にしてデビューした島崎雪子。続く『夜の緋牡丹』(同/新東宝)では、役を得られないかもしれないという不安から失踪事件を起こしたりもするが、同体制で作られた東宝映画『若い娘たち』(51)では、杉葉子や若山セツ子らと文字どおり若い娘役を好演。これが好評だったことから、東宝入社を果たす。
今の目で見ても魅力的なのが『青い真珠』(51)という本多猪四郎初監督作だ。本作で島崎は燈台員の池部良と恋仲になる海女に扮し、清冽な印象を残す。同年の成瀬巳喜男作品『めし』では、原節子の姪にして、その亭主(上原謙)を惑わす里子役を奔放に演じ、演技の幅を広げる。
1952年には、市川崑監督による源氏鶏太もの『ラッキーさん』、自らの失踪劇をなぞったようなバックステージもの『金の卵』、そして、またも池部良との共演作となった石坂洋次郎もの『若い人』、三船敏郎の恋人役に扮した『激流』などに出演後、東宝を離れフリーとなる。
シャンソン歌手を目指しレッスンを受けていた島崎は、59年にNHKのオーディションに合格。歌手として再出発を果たし、これが『暗黒街の弾痕』(61)の「ナイトクラブの女歌手(実は産業スパイ団の女ボス)」役につながっていくのだが、日活の助監督・神代辰巳と結婚していたことなど、当時は知る由もなかった。
▲雪姫役に抜擢された上原美佐 イラスト:Produce any Colour TaIZ/岡本和泉
黒澤明が惚れ込み、『隠し砦の三悪人』(58)のヒロイン・雪姫に抜擢したのが上原美佐である。
「気品と野生の二つの要素がかもしだす異様な雰囲気がある」との黒澤の評価は言い得て妙で、この役が『スターウォーズ』のレイア姫に引き継がれたと知ったときには、なるほどと膝を打ったものだ(※2)。
ホットパンツのような軽やかな衣装を纏い、馬も操るアクティブな姫君役は、既成の女優にはなかなかいなかったのだろうが、上原の台詞回しの生硬さに違和感を覚えたのも確か。
そもそも一本の出演作もないまま、黒澤時代劇のプリンセスを演じた上原。四千人もいたという〈お姫様役〉応募者には適任者がおらず、東宝中部支社の宣伝部員が彼女を見出したとされるが、よほど映画界が性に合わなかったか、上原はクランクアップ後、作品の公開を待たずに女優引退を表明する。これに対し、水野久美、三井美奈と三人で「スリー・ビューティーズ」として売り出しを諮っていた東宝が引き留め、結局、引退は撤回される。
▲『隠し砦の三悪人』劇場パンフレット(寺島映画資料文庫提供)
その後も上原が意に反して出続けた作品は、宝田明との共演作『大学の28人衆』と『ある日わたしは』、鶴田浩二の相手役を務めた時代劇『戦国郡盗伝』、やはり岡本喜八監督作で馬賊に扮した『独立愚連隊』、稲垣浩による神話劇大作『日本誕生』(以上59年)等々。
翌60年も、松林宗恵監督作で佐藤允・水野久美との共演作『現代サラリーマン 恋愛武士道』、同じく松林作品で夏木陽介の許嫁に扮した『ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐』と渋々仕事は続けたものの、自らの才能に限界を感じていた上原は岡本喜八作品『大学の山賊たち』を最後に、再度引退を宣言。結局九作品に出演したのみで、映画界から完全に姿を消す。
演じた役柄が馬賊を除いて、ほとんどが健康的なお嬢さんやお姫様役ばかりだったのは、会社が彼女の限界を悟っていたからに違いなく、現に東宝も慰留することはなかった。
▲『太平洋の嵐』、『大学の山賊たち』紹介グラビア(『東宝映画』60年4・5月号/寺島映画資料文庫提供)
上原は62年に一般男性と結婚。没したのは黒澤明や三船敏郎、千秋実が住んだ成城の地だったというから、『隠し砦の三悪人』の繋がりは最後の最後まで続いていたことになる。
ちなみに、『隠し砦の三悪人』には〝隠れたヒロイン〟と言うべき女性が登場する。それは、雪姫一行が敵方に捕らわれたとき、「姫は私です!」と身代わりを申し出る百姓娘の樋口年子。
上田吉二郎の人買いに売られそうになったところを雪姫に救われ、その恩義から敵方はおろか、又七・太平のずる賢い百姓からも姫を護る役目を果たす〈名もなき百姓娘〉に、シンパシーを覚えた方もさぞや多いことだろう。
樋口はその後も、『悪い奴ほどよく眠る』(60)で藤原釜足が演じる和田課長補佐の〈娘〉、『椿三十郎』(62)では三船=三十郎から「お前たち(九人の若侍)より頼もしいぜ」と言われる〈頼もしき腰元〉役に起用されるなど、まさに黒澤映画の裏ヒロインと称すべき女優さんであった。
あなたのお気に入りの黒澤ヒロインは、どの作品のどの女優だろうか?
※1 東宝・黒澤関連では原節子が3位、高峰秀子が9位、香川京子が10位、桂木洋子が12位にランク。
※2 ジョージ・ルーカスは『スターウォーズ』で牢に捕らえられたレイア姫を撮るにあたり、又七と太平が息をのんで眺めた雪姫の寝姿と全く同じポーズを取らせている。
高田 雅彦(たかだ まさひこ)
1955年1月、山形市生まれ。生家が東宝映画封切館の株主だったことから、幼少時より東宝作品に親しむ。黒澤映画、クレージー映画、特撮作品には特に熱中。三船敏郎と植木等、ゴジラが三大アイドルとなる。東宝撮影所が近いという理由で選んだ成城大卒業後は、成城学園に勤務。ライフワークとして、東宝を中心とした日本映画研究を続ける。現在は、成城近辺の「ロケ地巡りツアー」講師や映画講座、映画文筆を中心に活動、クレージー・ソングの再現に注力するバンドマンでもある。著書に『成城映画散歩』(白桃書房)、『三船敏郎、この10本』(同)、『七人の侍 ロケ地の謎を探る』(アルファベータブックス)、近著として『今だから! 植木等』(同2022年1月刊)がある。