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不登校の息子と卒業式。小学校と特別支援学校、大きく違った学校の対応と親子の本音

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不登校の息子と卒業式。小学校と特別支援学校、大きく違った学校の対応と親子の本音

監修:鈴木直光

筑波こどものこころクリニック院長

不登校の子どもの卒業式、どんな形が正解?

息子が本格的な不登校になったのは、コロナ禍1年目の小学校6年生の時でした。相次ぐ臨時休校や分散登校、マスク登校というこれまでの日常からかけ離れた生活の中で、もともと息苦しかった学校生活がさらに息苦しくなりました。それでも「友だちに会いたい」と頑張って登校していた時期もあったのですが、日々変わりゆく学校の決まりごとに戸惑い、特別支援学級の新しい先生の指導方法が息子には合わず、支援教室にたった一人で取り残されることが多くなり、とうとう限界が来て登校できなくなってしまいました。

「卒業式をどうするか」という話を持ちかけられたのは、3学期の始めでした。その頃、特別支援学級に所属はしていたものの、担当の先生とのコミュニケーションが難しく、ほとんど会話ができない状態だったため、提案してきたのは学校管理職である教頭先生でした。私は息子の気持ちと心身の状態が第一だったので、正直卒業式などどうでもよく「息子が出たいなら全力でサポートするけども、出たくないなら出なくてもよい」というスタンスでした。

学校側から出していただいた提案はこんな感じでした

・頑張って卒業式に出る
・卒業証書授与だけでも出る
・卒業式終了後に校長室で卒業証書授与を行う
・卒業式終了後に体育館にて教職員のみで簡易卒業式を行う

全てが出席を前提とするもので、人前や集団が難しい息子の状態を考えるととてもじゃないけれど現実的と思えませんでした。「とにかく卒業式には出てほしい」という学校の意思だけは伝わりましたが、私は「大変申し訳ありませんがどれも難しいと思います」と答えました。すると教頭先生はこのような提案をしてきました。

「じゃあお母さんだけ!教職員一同と体育館でお母さんに卒業証書を授与させてください!」

それではただの見せ物でしかないように思えました。泣きたい気持ちを抑えながら、「では出れたら出る。これでいいですか?」とその場限りの答えを出しました。学校側も一旦それで納得してくれました。

それぞれの未来へと向かう卒業式

小学校の卒業式当日。私はすぐにでも家を出られるよう、メイクも洋服もそれなりに整えた状態で、息子にどうしたいか、最終的な気持ちを聞きました。結果はやはり「行きたくない」とのことでした。

式はもうとっくに始まっていましたが、卒業証書と記念品を受け取るためだけに、私は下の娘だけを連れて学校に向かいました。ちょうど学校に着いた頃、卒業生たちがたくさんの拍手と祝福を浴びながら、体育館を出てくるところでした。顔見知りの子どもたちに写真撮影を頼まれて、「おめでとうー!」と言いながら笑顔で何度もスマホのシャッターを押しましたが、心の中ではずっと泣いていました。息子の出席を望んでいた訳ではないのですが、『どうして息子はここにみんなといられないのだろう。みんなと卒業したかったのに』という思いが拭いきれませんでした。息子が「行きたくない」と言ったのは『卒業式』で、みんなと『卒業』はしたい気持ちはあったのです。みんなは地元の公立中学校に進むけれど、息子が進学するのは特別支援学校で、道は完全に別れてしまいます。友だちと笑い合うことのできる、最後の機会でした。

卒業式が終わったばかりでお忙しいだろうと思い、廊下で隠れるように卒業証書を受け取りました。教頭先生は「せめてちゃんと授与を……」と最後まで仰ってくださいましたが、私は固辞しました。小学校の半分を、行き渋りや不登校、付き添い登校からの再登校、そしてまた不登校と輝かしい学校生活を送ることができなかった私たちには、この形が一番ふさわしいと思いました。担任の先生に感謝の気持ちをお伝えして、未来への喜びあふれる学舎を後にしました。それが私たちの卒業式でした。

特別支援学校の卒業式は…?

特別支援学校中等部に進学した息子ですが、環境が変わったからといってすぐに登校できるようになったわけではありませんでした。大人への信頼を失くしてしまった息子が、もう一度『大人』や『先生』に心を許すことは難しく、それでも特別支援学校の先生方は根気強く息子と向き合ってくださいました。小学校高学年の時は、私の付き添いなしでは授業が受けられなかった息子が、登校できた日は1人で1日学校で過ごしてくることができたのです。特別支援学校の先生の細やかな気遣いや配慮が、息子の固く冷たく閉ざされた心を溶かしていくのが分かりました。1人の人間として尊重し、成長をサポートしてくださるその姿勢がありがたくてしょうがありませんでした。

中学3年生の3学期を迎え、卒業式が近づいてきましたが、正直なところ、卒業式のことを考える余裕は全くありませんでした。息子も私も、特別支援学校高等部への進学ではなく、外部の通信制高校を受験するための試験対策でいっぱいいっぱいだったのです。作文や面接の練習には先生も付き合ってくださり、なんとか受験を終えることができた私たちは、そこでやっと「卒業式」の話し合いをすることとなりました。

小学校の卒業式のことを先生方に話しました。特別支援学校の先生方の意見は「今の息子くんの状態でも卒業式はしんどいんじゃないかなと思うんです。でも、僕たちはここで息子くんとお別れになってしまうので、せめてさよならは言いたいです。卒業証書がもし受け取れそうなら、教室で。担任陣と息子くんとお母さんでお別れ会をしましょう。無理はしなくていいです。息子くんがもし来れなかったら、何人かだけでも息子くんにお別れを言いに行かせてください」と仰ってくださいました。息子の答えは「行きたい。最後やから、先生に会いたい」でした。

本当の卒業は、過去からの卒業だった

卒業式当日の放課後、私と息子は特別支援学校へと向かいました。教室では、担任の先生だけではなく、これまでお世話になった1年生や2年生の時の担任の先生まで来てくださいました。息子の到着に合わせて、校長先生が教室まで来てくださり、卒業証書授与が行われました。名前を呼ばれると、息子が大きく「はい!」と返事をして前に出て、証書を受け取りました。一度も練習したことがないのに、しっかりとした大きな声で、最後にはガッツポーズまでして。その様子に涙ぐんでいる先生もいらっしゃいました。

そのあとは先生方と写真を撮ったり、思い出話をしたり。息子と先生方の思い出は、ほとんどが家庭訪問の時のものでしたが、担任の先生は数少ない登校日に撮った写真を、手作りのアルバムにまとめて「息子くんの卒業アルバムだよ」と渡してくださいました。そこには、先生方の思いがしっかりと感じられました。

「息子くんなら大丈夫だよ」「パソコンでゲーム作ったらまた教えてな」「学校にもいつでも遊びに来てくれていいんやで」と楽しく笑いながら、正門前に呼んだタクシーのところまで、先生方がお見送りしてくれました。小学校の卒業式では複雑な思いを抱えながら帰った道を、今度は未来への希望と共に息子と帰りました。

今度は間違いなく『卒業』したと思いました。小学校の卒業式の時に感じた、孤独や失望感、学校への未練のようなものも全てこの卒業式で取り払われたような気がしています。

卒業式はこれまでの信頼の積み重ね

節目として、卒業式というのは大切なものです。もちろん、学校式典としての卒業式に参加できることが理想ではありますが、うちの息子のように集団が難しかったり、人が多い場所とだとパニックになってしまったり、長時間の待機や雑音が気になってじっとしていられない子どももいると思います。多くの児童が在籍する学校では、対応が難しいケースもあるかもしれませんが、「誰のための卒業式か」というのを考えていただけたらなと思います。「ぜひ卒業式に!」と言うならば出席を前提とせず、無理なら無理で、本人の状況に合わせて、『できそうなこと』と『難しいこと』を丁寧に検討していただきたいです。

3学期を迎え、いよいよ卒業式のことを学校と話し合う時期になったという方もいらっしゃるかもしれません。全ての子どもにとって卒業式は大切なもので、その気持ちは尊重されるものです。「卒業式に出ない」という選択も、同じように尊重されるべきだと思います。

私が学校側に提案していただいたような部分参加や、少人数での卒業式、別室での卒業証書授与、卒業式にもいろいろな形があります。過去の事例なども含め、実現可能なものがあるかどうか学校管理職の方に一度相談してみるのも良いと思います。今春、卒業を控えた子どもたちが後悔のない卒業式が迎えられるよう、心から願っております。

執筆/花森はな

(監修:鈴木先生より)
私は、学校の先生方に「子どもファースト」で物事を考えてほしいと常々感じています。例えば、対人・視線恐怖や社交不安により人前に出るのがはばかれる場合は、個別で卒業式をやるという選択肢があるのです。また、卒業式に参加しなければ証書がもらえないわけではありません。宿題についても一律で出すのではなく、不登校などで授業に遅れているお子さんの場合は、その子のレベルに合った宿題を出すことが望ましいのです。少しでもハードルを下げてできた達成感を味わえることが重要です。また、「中学進学にあたり、IQの結果がないと特別支援の教育委員会で議論できない」といった理由で2年前にやったばかりのIQテストを受けるように言うなど、本人のためを思っているとは考えられないケースも見受けられます。型にはめた教育の時代はもう終わりなのです。

(コラム内の障害名表記について)
コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。

神経発達症
発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。
知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。
※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。

ASD(自閉スペクトラム症)
自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。

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