「我が子が人を殺めた」彼は何故そこで“ふっと笑う”のか?ホ・ジノ監督に聞く『満ち足りた家族』【前編】
ホ・ジノ監督インタビュー「設定とテーマ編」
韓流ドラマが日本で流行する以前の1990年代後半。ミニシアターではハン・ソッキュ主演の恋愛映画『八月のクリスマス』(1998年)が静かなヒット作となっていた。ハン・ソッキュは、後に『シュリ』(1999年)で韓国映画ブームを牽引してゆくスター俳優だが、重要なのは『八月のクリスマス』がホ・ジノ監督の長編デビュー作であったことにある。
現在、韓国映画といえば、『犯罪都市』シリーズのようにエンタメ要素やバイオレンス描写を売り物とする作品、或いは、『ソウルの春』(2023年)のような史実を基にした作品が人気だが、かつては繊細な描写に秀でた人間ドラマも高く評価されていた。ホ・ジノ監督は<恋愛映画の名手>とも評され、イ・ヨンエ主演の『春の日は過ぎゆく』(2001年)や、ぺ・ヨンジュン主演の『四月の雪』(2005年)で人気監督となったという経緯がある。
そんなホ・ジノ監督の新作が、サスペンスの要素を帯びた衝撃の人間ドラマ『満ち足りた家族』(2025年1月17日[金]公開)だ。来日した監督にインタビューを敢行。示唆に富んだ監督の談話を2回に分けて掲載するが、前編は「作品の設定とテーマ」についてお聞きしたパートをお届けする。
「子どもの幸せのために親は何をすべきなのか? という物語」
『満ち足りた家族』の原作は、2009年にオランダの作家ヘルマン・コッホが執筆した小説「冷たい晩餐」(イースト・プレス刊)。これまでも、オランダで『Het diner(原題)』(2013年)、イタリアで『われらの子供たち』(2014年)、アメリカで『冷たい晩餐』(2017年)として映画化され、今作は舞台を韓国に置き換えた4作目の映画化作品となる。短期間に国際的なリメイクが何度も為されることは珍しいケースだが、ホ・ジノ監督は物語のどこに普遍性があると感じたのだろう。
これは、子どもの幸せのために親は何をすべきなのか? という物語ですよね。道徳的なものなのか? 或いは倫理なのか? そういったものは、韓国社会のその現象と似ていると思いました。
その点では、小児科医である弟のジェギュ(チャン・ドンゴン)の息子と、弁護士である兄のジェワン(ソル・ギョング)の娘が、大学受験を控えているという設定に、韓国社会の激しい受験戦争が反映されていると感じさせる。なぜならば、原作には無い設定でもあるからだ。
そうですね、原作には確かにありませんでした。この物語は、チャン・ドンゴンさんが演じたジェギュの夫婦が、江南に引っ越してきたところから始まっています。彼らの息子が引っ越した先で上手く馴染めなかったところから問題が始まっていますが、この家族が引っ越してきた理由というのが息子をいい大学に送るためなんですね。しかし、そこで馴染めなかったことから、ぶつかり合いが起きてしまいました。
もうひとり、ソル・ギョングさんが演じたジェワンの娘は、ある意味で韓国社会の一番象徴的な人物ではないかと思うのです。韓国のお金持ち、富裕層というのは、国内の大学ではなく、必ず海外の大学に留学させるんですね。ですから、弁護士の娘という人物は、ある意味で韓国社会のそういった状況というのを上手く反映している人物だと言えます。
「直接的に伝えるよりも、相手に考えさせる、解釈させる」
脚本上には書かれておらず、劇中の台詞においても説明されてない設定を、家族同士が交わす視線のような映像情報によって、観客がなんとなく推し量っている点は重要だ。例えば、<音>。映画は暗転した映像で始まるが、真っ暗な画面の中で諍いが起こっていることを、ホ・ジノ監督は<音>だけで表現してみせている。そのため、観客は能動的に<想像>し始める。それは、映画の冒頭で「そういう映画ですよ」と宣言しているようにも見えるのである。これは、監督が意図した演出なのだろうか。
この映画を描く時に、二つの方向性がありました。一つは社会的な問題を扱うということ。それからもう一つが、人間の本性ということです。その本性というのは、直接的に見せることが少し難しいと思いました。できれば想像させる、考えさせる。その行動そのものや、その人の内面が行動として如実に表れないようにしたいというように、徹底的に意図したわけではないのですが、そういった少しのスパイスを考えたところはありました。
例えば、自動車事故を起こした人物が現れます。その人物が、お兄さんのジェエワンが弁護する法廷で無罪を主張している時に、判事にも見えないように、ちょっと淡い笑顔を見せる場面がある。ふっと、ちょっとだけ笑うんです。そして、もう一つが、ジェギュがご飯を食べている時に、ふと笑う場面です。この笑うシーンというのは、息子が暴力を振るってしまったある人物が死んだことを聞いて、ご飯を食べる時にふと顔をほころばせるんですね。そういった場面で、例えば「死んでよかった」というふうに露骨に喜んでしまったら単純になってしまいます。ですから、そういった内面を隠すような、抑えるような演技というのを、いろいろとやってもらいました。
運良く死んだことに対して、人間は露骨に望んだり、喜ぶというように表立ってはできないものです。なぜならば、道徳的な観念ですとか、責任感があるので。しかし「死んでくれて良かった」というふうに思っているのだなということを、観ている人が解釈できるよう隠喩として描いてみました。直接的に自分のメッセージを「こうですよ」と伝えるよりも、少し遠まわしに、やんわりと伝えるという技法が好みで。直接的に伝えるよりも、何か相手に考えさせる、解釈させるということの方がわたしは好きですね。
「今の韓国社会のストーリーを伝えるために医師と弁護士という職業を選んだ」
ホ・ジノ監督の『春の日は過ぎゆく』で、主人公の職業は録音技師だった。また短編『二つの光』(2017年)では、主人公の職業が調律師だったように、監督作において<音>は重要な要素なのではないかと思わせる。加えて、『八月のクリスマス』の主人公が写真館を営んでいるなど、登場人物たちの(やや特殊な)職業も重要な設定だなと思わせる。今作においても、医者と弁護士という職業が、キャラクター造形に影響を与えているからだ。
そうですね、初期の作品は意図的に職業を選んでいたと思います。おっしゃる通り、『八月のクリスマス』では写真家、『四月の雪』では照明に関わる人物でしたが、『春の日は過ぎゆく』は音に関する人物でした。それでこの作品では、木々の葉っぱがぶつかり合うような音で、2人の恋心を表現しました。だから『春の日は過ぎゆく』ではサウンドがとても重要だったのです。思い返せば、一番最初が写真、二番目に音、三番目は照明で行ってみようかという感じでした(笑)。
これは、「初期三作の主人公たちを集合させることで、映画を作れる要素になっている」ということなのだとインタビュー後の雑談で監督が教えてくれた。
今作には弁護士と医師が出てくるのですが、これは原作にはない設定なんですね。イタリア映画『われらの子供たち』(2014年)の設定ではあったのですが、今の韓国社会のストーリーを伝えるのに良いのではないかと考えて、医師と弁護士という職業を選びました。
▶インタビュー「演出とキャスティング編」に続く
取材・文:松崎健夫
『満ち足りた家族』は2025年1月17日(金)より全国ロードショー