チェロでヴァイオリンってアリ? ——菅井瑛斗、遊び心と本気の“全曲勝負”で挑むリサイタル
圧倒的なテクニックと情熱的な演奏で知られる、若きチェリスト・菅井瑛斗。2025年夏、彼はクラシック界でも異色のプログラムに挑む。演目に並ぶのは、すべて、ヴァイオリンのための名曲たち。
「なんでチェロなのに、ヴァイオリンの曲を?」と思った方、実はそこが、この企画の“面白さ”のスタート地点。
「正直なところ、チェロのリサイタルって、いい曲ばかりでも途中でちょっと飽きちゃうことがあって……。だったら、『チェロリサイタルって楽しいんだ!』と思ってもらえるようなコンサートにしたい。これは僕がリサイタルをやる上でのテーマになっているんです(以下、菅井)」
そこでたどり着いたのが、“全編ヴァイオリン超絶技巧曲をチェロで弾く”という、もはや「破天荒」と言えるプログラム。
「小学生の子供たちでも、一瞬たりとも目が離せない!と思わせられるような、エンターテインメントとしてのクラシックを、技術もある自分なら誰もやったことのないような超絶技巧の曲で、と思った時、この二つを掛け合わせたときに、全曲ヴァイオリン曲のプログラムを思いつきました」
技術的な挑戦もかなり大きいが、それでもチェロで演奏する意義を菅井は確信している。
「ヴァイオリンの名曲って、演奏会で映えるというか、キャッチーで華やかで、聴き手の耳にもすっと入ってくる曲が多いんです。そんな曲を、人間の声に近い楽器のチェロで演奏することが出来たら、ものすごく良いと思うんですよね。そうしたら、後進のチェリストのレパートリーにもなって、チェロリサイタル全体、チェロ界全体にまで新しい風を送り込めたらいいな、と思ってます」
そんな菅井の挑戦へ、演奏予定の4曲について “推しポイント” をインタビュー。菅井瑛斗の音楽観にも迫る。
(※記事内に掲載しました楽譜の画像は、全てヴァイオリン用の楽譜で本人が使用するものではなく、また楽譜の権利はすでにパブリックドメインのものとなります)
『ツィゴイネルワイゼン』——チェロで奏でる哀愁とドラマ
「この曲、初めて大阪で聞いた時、"あ、これは絶対チェロに合う" って思ったんです」
サラサーテの名作『ツィゴイネルワイゼン』は、ヴァイオリンの超絶技巧で有名な一曲。菅井にとっては、その“哀愁”と“ドラマチックさ”が心に刺さったという。
「チェロって人の声に一番近いって言われるんですけど、あの哀しげなメロディはチェロで弾いたほうが“歌”として響くと思うんです。そんな沢山揺れながら歌う前半と、一気に切り替わって激しい超絶技巧で弾き切る後半。この両面がギュッと詰まったこの曲を絶対チェロで弾きたいと思ったんです」
実際にチェロで弾いてみると、ヴァイオリンとの違いが思わぬところで効いてくる。
「ヴァイオリンがスラー・スタッカートで弓を返さずに演奏するところ、チェロはヴァイオリンよりも弓が短いので大変なんです。しかも前例もほとんどないから、解決するとしたら自分で解決するしかない。時々絶望に浸りながら試行錯誤の毎日です」
ほぼ前例のない挑戦。そのぶん孤独な作業でもあるが、チェロ界に新しい可能性を開く一歩にもなるはずだ。
『序奏とロンド・カプリチオーソ』——優雅な超絶技巧
「サン=サーンスは好きな作曲家なんです。チェロ協奏曲もロマンティックなメロディが素敵で。『序奏とロンド・カプリチオーソ』は当時はチェロじゃ絶対弾けなかったと思いますけど、やっぱり冒頭のなんとも言えない哀愁はチェロにぴったりですよね」
『序奏とロンド・カプリチオーソ』はサン=サーンスが書いた、まさにヴァイオリンのための“ショーケース”。それをチェロで演奏するという暴挙(?)に、あえて挑戦する。特に難しいのは、楽譜の最後の1ページだという。
「最後の1ページがとにかく難しいんです。過去にチェロで演奏されたこともあるらしいんですけど、6人がかりで、しかもゆっくり1小節ずつ弾いた、みたいな話です」
菅井にとってはパリ・エコールノルマル音楽院への留学を控える中でのこのリサイタル。サン=サーンスはその壮行の意味もあるが、何より難しいのはその「フランス的」な、難しさを超えた先にある音楽と菅井は語る。
「留学に行くからこそ、フランスの作品を入れたかったんです。激しい曲ですけど、パニックみたいな感じでなく、優雅・おしゃれな超絶技巧なんですよね。難しさを出さず余裕を持って弾けるかどうか、が、この曲の良さが伝わるかどうかの勝負だと思ってます」
「そういう意味では、ハイドンのチェロ協奏曲第2番に近いんです。難しいんですけど、『簡単ですよ』みたいな雰囲気で弾かなきゃいけない、というのが凄いチャレンジングなんです」
“難しさを超えた優雅さ”——その中に、彼の今の挑戦と、その先のチェロ奏者としての確かなまなざしが垣間見える。
『パガニーニのカプリース』——チェリストの新しい“選択肢”にしたい
「ヴァイオリニストの先生方でもあまり弾かれないかもしれないんですけど、それだったらチェロで自分が弾いてしまおう、っていう気持ちもあります。パガニーニという作曲家は、同じ弦楽器でも、チェロにとっては自らチャレンジしない限り来てくれない。だからちょっとでも仲良くなろうと思って」
ヴァイオリニストにとっての試練、パガニーニのカプリース。今回、菅井はその中から24番をチェロの無伴奏ソロとして演奏する。主題と11の変奏・フィナーレからなるこの曲。ヴァイオリンでも難易度の高い、左手でのピツィカートなども出てくるが、菅井にとってはこれまでの経験が生きているという。
「1月のリサイタルで演奏したコダーイでも出てきたんです。あの時は正月返上で練習して、本番まで持って行ったんですけど、その経験が生きてます」
しかし同時に「まだ弾ける気がしない、恐ろしいです(笑)」と話す菅井。笑いながらも、表情は本気だ。
「チェロで無伴奏ソロって、選択肢が少ないんですよ。バッハとかコダーイくらい。でも、こういう挑戦で、後輩たちが “パガニーニもありじゃん" っていう空気につながれば嬉しいですね」
“あえてチェロでやる意味”、それをしっかり形にして届けたい——そんな気持ちが伝わってくる。
Kodaly Cello sonata 世界最難関曲!3分ver. コダーイ無伴奏チェロソナタ
『シャコンヌ』——言葉にならない思いを音に
そしてもう1曲が、バッハのシャコンヌ。
「バッハの無伴奏チェロ組曲は、1曲1曲がそこまで長くない。シャコンヌのような長尺の構成は、最初に触れた時は『こんなに長いの?』となりました。長い中で、サン=サーンスやサラサーテのように、切り替える瞬間もない。その分だけ、音色や演奏で場面を変えていかないといけない。10分以上の曲を飽きさせずに表現する。大きな挑戦ですね」
バッハの『シャコンヌ』は、演奏時間も長く、構成も深い“魂の作品”。チェロで弾くには構造的にも音域的にも難易度が高いけれど、それでも「どうしても弾きたかった」と話す。
「亡くなった後輩と、チェロカルテットで最後に共演したのがこの曲だったんです。コンクールの場でも互いに切磋琢磨してきた後輩で、今回、プログラムをヴァイオリン曲のみにすると決めた時に、必ずこの曲を入れたいと思いました」
“音を置く”、その重みを感じながら弾く時間。テクニックだけではない思いが、演奏には込められるだろう。
「中間で音楽が明るくなる箇所は、カルテットの時から好きな箇所でしたけど、今はカルテットの音源を聞いたりするとこの場所で泣きそうになってしまいます。彼がいない今、自分がその分の思いを背負って、この曲を演奏したいです」
「難しい話は抜きで。とにかく来て感じてほしい」
ヴァイオリンの名曲へ、挑戦と想いの詰まったリサイタルは、8/11・大阪公演を東大阪市文化創造館・小ホールにて、8/16・東京公演は銀座の中心にある王子ホールにて開催予定だ。
「東京公演は銀座のホールです。昼のコンサートなので、聴いたあとはショッピングや食事を楽しむ休日にしてほしいですね。『銀座で音楽を聴く』という体験自体が特別なことだと思います。大阪も楽しみです! 笑いの文化が根付いている街で、反応も熱い。大阪の音楽仲間もたくさんいるので、気合が入ります。ただ、笑いの街でトークをするのはハードルが高い(笑)。だから、ちょっと大目に見てもらえると嬉しいです」
とにかく公演には気軽に来てほしい、と菅井は語る。
「全部どこかで絶対に聴いたことのある曲だと思います。それに、演奏前にも、専門用語なしで曲の聴きどころも伝えるので、予習もしなくて大丈夫。初めてクラシック聴く人でも安心してもらえたら嬉しいです」
菅井瑛斗の「新しいチェロリサイタル」。チェロって、こんなに自由で熱くて、面白い。そんな発見を、音でまっすぐ届けるリサイタルになるだろう。
取材・構成:藤原健太